Domaine de l’ARLOT 〜何かが、変わった!〜 (Nuits−Saints−Georges 2004.5.28) |
オリヴィエ・ルリッシュ氏。着実に説明を進めてくれ、かつサンパである。 |
試飲会などで久しぶりに口にしたドメーヌのワインが、「おや?前と印象が随分と違う」と感じることが時折ある。
このドメーヌのワインもそうだった。3月にブルゴーニュ全域で開催された試飲会「Les Grands jours de Bourgogne」で、「何かが変わった?」と思ったのだ。
1987年、ネゴシアンのジュール・ブランが所有していた畑を保険会社AXAが買い取ったのがドメーヌ・ド・ラルロの始まりだ。そしてその後はドメーヌ・デュジャックでの経験を持つジャン・ピエール・ド・スメ氏が指揮を執っている。そのせいかワインのスタイルはデュジャック寄りと言われることも多いが、個人的には特にデュジャックとの共通点は見出せず(ただ旨味のある果実味は昔のデュジャックと近かったかもしれない)、むしろ時に突出して感じられる酸に少しのアンバランスさを感じることが多かった。
しかし久しぶりに出会うラルロのワインは旨味を残しながらも、香りの複雑性が増し、酸やミネラルがよりピュアな印象を伴いワインに溶け込んでいて、長い寿命を予感させるカッチリとしたバランスが際だっていたのである。品格が生まれたとでも言うべきであろうか。
ビオディナミへの周到な準備 |
ニュイ・サン・ジョルジュの中心地から南に約2キロ、プリモー・プリッセイにドメーヌはある。ドメーヌの正面から見るだけでは分からないが、モノポールである「クロ・デ・ラルロ」に囲まれた敷地内には、ドメーヌの前を通る国道74号線とは別世界のような庭園が広がり、昔の石切場跡に続いている。この敷地の歴史とドメーヌの資金力を十二分に感じさせてくれる眺めである。
まずこのドメーヌで触れておくべき事は、1987年のドメーヌ開始直後からビオディナミ実践に向けて非常に慎重に実践区画を増やし、着実に成功を収めつつあることだ。開始時は「ごく伝統的な農法」という名の下での、除草剤や殺虫剤といった化学薬品の廃止から着手されたが、現在では全ての区画がビオロジーの条件を満たして既に4年経ち(ラベルには特に記載されていない)、同時に1999年から計14ヘクタールの畑で数ヘクタール単位ずつ行われてきたビオディナミへの移行も、2005年には完了する予定である。
「ワイン造りの95%は畑にあると思っている。ただ私たちはブルゴーニュの一ドメーヌとしては、まだ語れるほどの過去の経験が無く、成果を確認しながら私たちの畑に合う方法を模索する必要があった。そして今では土の色が全く変わったと実感している。また近年は私たちだけでなく、かなり多くのドメーヌが、有機的アプローチのための実験区画を持っているのではないだろうか」。
案内して頂いた醸造技術責任者の若きオリヴィエ・ルリッシュ氏は、ビオディナミへの移行に費やしている17年という堅実な時間のことを、謙虚に語る。
だがビオディナミがそのまま品質に直結するわけではないことはこのHPでも触れてきたが、このドメーヌで見逃してはならないのは1987年以降、各カテゴリー、赤白ともに一貫して守られている収量の低さで、それは平均して34hl/haを超えないように剪定の段階から調整されていることであろう(これは時にデュジャックの収量が「えっ!?」と驚くほど多いのとは対照的だ)。実際に過去の収穫データを拝見するとと2003年のような特殊なミレジムは別にしても、30hl/haを切っているキュヴェもある。そして畑と選果台での2回の選果を経たブドウは、除梗・破砕されず(キュヴェやミレジムにより、一部除梗される場合もある)、ピジャージュとごく稀にルモンタージュを経て、約3週間後に樽に移されが、樽に使われる樽材も樽会社に自ら赴き、その伐採場所、樹齢を吟味して選んだものをドメーヌで2年以上乾燥・熟成させてから使用する。樽材に自らの手をここまでかけるドメーヌは珍しい。
これらの外からは見えない試みが安定してきたのが、近年のミレジムなのかもしれない。そこでテイスティングである。
敷地内に広がる庭園の岩肌。石灰の石切場跡で、この上にもブドウ畑がある。 |
庭園から、季節の花とブドウ畑に囲まれたドメーヌを見下ろす。 |
テイスティング |
今回のテイスティング銘柄は以下。テイスティング順に記載。
― 赤 ―
〜バレル・テイスティング 2003〜
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コート・ド・ニュイ・ヴィラージュ クロ・デュ・シャポー
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ニュイ・サン・ジョルジュ プルミエ・クリュ クロ・ド・ラルロ モノポール
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ニュイ・サン・ジョルジュ プルミエ・クリュ クロ・デ・フォレ・サン・ジョルジュ モノポール
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ヴォーヌ・ロマネ プルミエ・クリュ レ・スショ
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ロマネ・サン・ヴィヴァン
〜ボトル・テイスティング〜
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コート・ド・ニュイ・ヴィラージュ クロ・デュ・シャポー 2002
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ニュイ・サン・ジョルジュ プルミエ・クリュ 2002
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ヴォーヌ・ロマネ プルミエ・クリュ レ・スショ 2002
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ニュイ・サン・ジョルジュ プルミエ・クリュ クロ・ド・ラルロ モノポール 2002
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ニュイ・サン・ジョルジュ プルミエ・クリュ クロ・デ・フォレ・サン・ジョルジュ モノポール 2002
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ロマネ・サン・ヴィヴァン 2002
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ニュイ・サン・ジョルジュ プルミエ・クリュ クロ・デ・フォレ・サン・ジョルジュ モノポール 1998
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ニュイ・サン・ジョルジュ プルミエ・クリュ クロ・ド・ラルロ モノポール 1998
― 白 ―
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ニュイ・サン・ジョルジュ プルミエ・クリュ クロ・ド・ラルロ モノポール 2003(バレル)
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ニュイ・サン・ジョルジュ プルミエ・クリュ クロ・ド・ラルロ モノポール 2002(ボトル)
スショ、ロマネ・サン・ヴィヴァンに、ヴォーヌ・ロマネを試飲する時の喜びを感じつつも、最も印象的だったのがニュイ・サン・ジョルジュの二つのモノポール、「クロ・ド・ラルロ」と「クロ・デ・フォレ・サン・ジョルジュ」の性格の明確な違いである。
ともにニュイ・サン・ジョルジュらしい力を持ちながらも前者はピンクのバラなどのエレガントなフローラルさが樽の時点から顕著で、瓶詰めされた2002年にはエシェゾーのような品のあるスミレもある。アペラシオン・ニュイ・サン・ジョルジュとしてはこの畑は南から2番目、つまりヴォーヌ・ロマネから非常に離れた場所にありながら、その軽やかさやピュアさは、限りなくヴォーヌ・ロマネを彷彿とさせるものなのだ。ドメーヌ周辺の石灰の石切場跡を見る限り、ピノ・ノワールの区画でもかなりの石灰の多さが予想され、それゆえのミネラルがこの軽やかさを生むのかもしれない。
一方後者、クロ・デ・フォレ・サン・ジョルジュは、血を感じさせる鉄っぽいミネラルや黒いスパイス、旨味のある果実味がバレル、ボトルのテイスティングを通して顕著で、非常にオリエンタルな印象だ。また男性的な力強い骨格は「まさに地に足を降ろしたニュイ・サン・ジョルジュ」である(しかし重くはない)。そして6年の熟成を経た1998年になると、この二者の性格の差は、よりくっきりと浮かび上がる。この差を楽しみたければ、やはりこのドメーヌのワインは最低でも5〜6年は待つべきであろう。
また冒頭で述べた試飲会でも感じたバランスの良さは2002年、そして生産者の力量が出るミレジム、2003年の一連のワインに改めて実感する。「今飲めて、熟成にも耐えうる」というフレーズは時に聞き飽きた感もあるかもしれないが、逆に言えば「熟成に耐えうるワインは、若い時から絶妙なバランスを持っているもの」だと私は捉えている。このバランスは固かろうが今でもやはり美味しさに繋がり、またこのバランスがあるからこそ、特に2002年などは最低でも10年以上の熟成を見越して丁寧に導かれたワインだと思うのだ。ともあれ、2002年、2003年のこのドメーヌのワインには、以前私が感じた違和感やぎこちなさが全く無い。
「以前と変わったような気がするって?それが良い変化ならいいけれど。特に以前と変えたことは無いけれど、1987年からの試行錯誤が少しずつ良い方向に向いて、何をすれば良いかを皆が分かってきたのだと思う。ビオロジー、ビオディナミだって、そう。ブドウに成果となって現れるのはやはり3〜4年かかるだろう。ただ土の変化がブドウに、そしてワインに、土地の個性としてはっきりと映し取られつつあるのなら進歩だと思う」。
ルリッシュ氏が少し嬉しそうに、こう答えた。
ビオの動きが一部では過激(?)に進む中、一方では深刻な病害や大幅な減収穫を招いたり、それゆえビオからリュット・レゾネ(非常に厳密な減農薬)に戻る生産者もいる。またナチュラル嗜好が醸造面で裏目に出て、顧客が付いていけないワインも存在する。実際、ビオへの移行はフランス国内でも目立つが、その味わいに非常に根強い反論あるのも事実なのだ。だがビオは生産者に「自分の畑には何が必要か?」という疑問を投げかけたことは事実で、その点においてドメーヌ・ド・ラルロは着実に顧客を掴まえつつ、非常に綺麗に時代の流れに乗っているのではないだろうか。そしてそれを可能にしたのは、やはり10年単位で取り組んできた慎重な仕事だと思うのだ。