Les MARCELLINS Christophe PACALET 

〜フィリップ・パカレの従兄弟、若きクリストフ・パカレ氏とは?〜

(Cercié/Beaujolais 2004.4.10)

 

 

 

 

ボトルを手に、クリストフ・パカレ氏。印象的なボトルにフラッシュが反射してしまい、スミマセン、、、。

自宅に届いた1件のメール。

― クリストフ・パカレのセミナーに、参加しませんか?

 ん?どのパカレ?正直言って、そう思った。折しも日本では私の再渡仏と入れ違うように、フィリップ・パカレ氏のセミナー巡業(?)が行われたばかりだ。そのフランス版であろうか?

 オペラ座近くのセミナー会場に着き、赤と黒のコントラストも鮮やかなそのボトルを見た時、記憶が一つの線になった。確かにそのワインはパリでも自然派ワインの品揃えの豊富な店に鎮座していて、店員が力強く私に薦めてくれたのを覚えている。

『あの』パカレの従兄弟で、もちろん『あの』マルセル・ラピエールの甥です」。

薦められた時にはいつもタイミング悪く、私には既に購入を決めたワインがあったので数回見送り、なぜかそのまま記憶に彼方に置き去りになっていた。

 こういう時、最初から知名度があって良いじゃないか、という楽観的な考え方もあるが、私はむしろ同情する。そのアペラシオンで標準以上のものを生み出してやっと「当然」のように言われ、もしごく標準のワインなら「叔父なら、従兄弟なら、ねぇ、、、」との批評も覚悟しなければいけない。そして最初に挙げた私の「どのパカレ?」的な、曖昧な認識も招くかもしれない。実際、遺産分割がそのままワイン名に反映されることが多い産地では、いつまで経っても「あの××の、、、」の枕詞を取ってもらえない生産者が何と多いことか。

 しかも目の前に立っているクリストフ・パカレ氏は、見たからに若い生産者だ。32歳だという。この若さにして偉大な親戚と同レベルで語られる。プレッシャーは無いのであろうか。

 

クリストフ・パカレ氏とそのワイン

 

 クリストフさんがもっと若かった時代、彼は料理人として国内外を旅して歩いた。話は逸れるが、私は迷いながら自分の職を選び採ったり、若い頃に沢山の旅をしてきた人達が好きである。なぜならその迷ってきた過程で得た見聞は、一つの世界しか知らない人達には無い広い視野や柔軟性、打たれ強さを生むはずで、そして他分野での苦労ゆえか他者への理解力があることが多く思われるからだ。遠回りに見えても、それらの経験は必ず何かをその人に残す。

 話をクリストフさんに戻そう。当時彼がレストランでボージョレーをサービスしようとすると(ホールにも出ていたようである)、多くの客が手でグラスをさっと覆い、入れるな、と暗に牽制した後こう付け加える。

「ボージョレー?知ってるよ。ヌーヴォーでさんざん飲んでるからね。他のにして」。

これは大いに彼を悲しませた。なぜなら勿論彼は、故郷での叔父達の努力やそこから生まれるボージョレーの真の実力を知っていたからである。

デュブッフ氏には僕だけでなく、多くのボージョレーの生産者達が感謝していると思う。彼はボージョレーを活性化し、光を当てた偉大な人で、僕自身も彼への尊敬の念は変わることはない。でもボージョレーのステレオタイプなイメージを拭うことも簡単ではない」。

 ガストロノミーの世界を経て故郷に戻った彼は、1999年より自身のワインを造り始める。故郷にいた時から叔父達の存在が常に身近にあったため、それはごく自然な流れであったようだ。そして現在は最も濃く、叔父・ラピエール氏のエスプリを引き継ぎつつある人と言って良いだろう。

現在彼が造るワインは「コート・ド・ブルイィ」「シルーブル」「シェナ」「ムーラン・ナヴァン」の4種類である。

 

ワイン造りの特徴

 

 畑仕事は当然ながらビオディナミである。ビオロジー、ビオディナミ、どちらの手段であっても高い収量の上、根も深く張らず、加えて人工酵母で味わいをコントロールしてしまっては、それは環境問題に貢献しても、ワインの味わいには全く反映しないと私は常々捉えている。しかしその点を彼は完璧にクリアし、剪定段階から始まる収量の制限、そして収穫には他生産者の約2倍の時間をかける。収穫に時間がかかるのは区画毎の熟度を徹底的に見極め、畑での選果も非常に厳しいからで、全房発酵の障害となる腐敗粒や乾燥粒が入っていれば、躊躇無く房ごと捨てる。収穫後の畑の風景を見た人によれば、通常なら収穫されそうなブドウが樹や畝に大量に残っているらしい。

 醸造に関して特徴的なことは、熟成樽にワインを移した時点でまだ大量に糖分が残っている場合がある、ということであろう。これに関しては後日当HP「裏話」に掘り下げて述べたいが、醸造学の一般論から見ると、残糖度の高いまま樽熟成に移行することはバクテリアの繁殖を促す可能性もある、危険極まりない行為である。残糖度が高い場合は緩やかな一次発酵と共にマロラクティック発酵も進み、最終的にはほぼ同時に二つの発酵が終了する。このリスキーな過程を成功させるためには健康で清潔なブドウと数種の自然酵母、そしてカーヴを低温(13℃以下)に保つことが、必要不可欠であるという。そして成功すれば、低温下でじっくりと変化したワインは美しいフローラルなアロマを得るのである。

 また醸造・熟成過程でSO2は添加されず、澱引き・清澄・濾過も行わない。

 

テイスティング

 

  自然派ワイン造りに励む当の生産者達の苦労も知らずにこう書くのは心苦しいが、ビオのサロン等では、特にSO2を用いない(或いは極力減らした)ワインの中に、何とも言えない酢酸臭や腐敗臭を感じてしまうことは、正直多い。それらが感じられなくても今度は全く同じような漢方臭が支配して没個性になってしまう。危険な手段をクリアしてワインにその土地と生産者の個性を生かすことが出来る造り手は、そう多くないと思うのだ。

 実際、自然派で有名な生産者でも、特に赤に関しては「SO2を入れないワインに、同じような味わいが多い」と言い切る者もいるし、ビオに対して懐疑的な人に言わすと「自然に徹してテロワールを隠してしまうなんて、馬鹿げている」と、より手厳しい。

 だがその中でクリストフ・パカレ氏のワインは、「成功ビオ」だと思う。今回は2002年の全てのワインを試飲したが、どのワインも同じボージョレーという産地で括ることが出来ないほど個性がくっきりと浮き上がっており、それはコート・ドールの産地がヴィラージュによって個性を変えるのと同じである。土壌の説明を聞けば尚、「なるほど」と思わせる説得力がある。

 特に際立っていると個人的に思われたのは、樹齢70年のブドウから生まれる「コート・ド・ブルイィ」だ。重心の重い熟したイチゴに、オレンジ(マーマレードやグラン・マニエ)、牡丹の花、甘草、丁字、ホールの黒コショウの香りが層をなして広がり、自然派特有の懐かしいような優しさもある。熟したタンニンにはガメイにありがちな生臭さや青さが無く、香りのイメージと一致した味わいは、旨味・甘味・酸味・余韻の心地よい苦味のバランスがとても良い。このアペラシオンの新しい魅力を教えてくれながらも難解なワインではなく、気軽にテーブルで楽しみたいと思わせる親近感がある。

 また今回はセミナーだったため、参加者にはパリのワイン・ファンが多くいたが、

「ガメイやボージョレーはキライだったけど、これは素直に美味しい」

というコメントが頻繁に出たのが印象的だった。消費者は普通、生産者のこだわり等を知らずに口にするのだから、これはとても大切なことだと思う。単純明快なことだが、こだわって造っても美味くなければ飲み手の心を動かすことは難しい。美味い、と感じて初めてそのこだわりまでを知りたくなる。

そういう意味でクリストフ・パカレ氏の一連のワイン達は、近いうちにカーヴを訪れてみたいと思わせる魅力に溢れている。

 

最後に

 

 今回のセミナーを主催し、声をかけて頂いた「Club Passion du Vin(クラブ・パッション・デュ・ヴァン)」の伊藤様と阿部様、ありがとうございました!