Domaine de CHASSORNAY 〜フレデリックの、言葉たち〜

(Saint−Romain 2004.5.27)

 

 

 

 

カーヴにて。日本滞在は多忙ながら楽しかったようで、覚えたての日本語と身振りを交えて話す内容に大笑い!

 カーヴでのバレル・テイスティングを終え、日の長い夕刻、彼の自宅のバルコンで2002年のサン・ロマンの赤と白を開ける。私のテイスティング・メモには香りや味わいなどの感想の横に、「スーパー・サン・ロマン!♡♡♡」(夥しい日々の試飲の中で、言葉の羅列だけでは後日メモを見てもイメージやその時受けた感動が戻りにくく、私のメモはかなり幼稚な記号だらけなのだ)。そう、この人のワインの中で、良い意味で所謂「らしくない」と、最も飲み手に感じさせるのは「サン・ロマン」ではないだろうか?

 同行者がふと、口にした。

「このワインは大好きだけれど、私が知っているサン・ロマンらしくない」。

 するとテーブルで皆に生ハムを勧めていたフレデリック・コッサール氏の手が止まり、少し熱く、こう言った。

AOCとは、ATC、つまりアペラシオン・デュ・ティプ(Type:タイプ)・コントローレではないだろう?サン・ロマンはこうあるべき、だなんて、誰が言えるんだ?それにヴィラージュという大きな括りがもつ傾向と、一つのリュー・ディや、その中に更にある多様な土地が持つ個性は、決してイコールではないよ」。

 言葉は誰が言うかによって、大きく他人に響くものだ。そしてこの人のワインを飲み、その仕事を垣間見た時に、「AOC≠ATC」は説得性を持つ。ニコラ・ジョリィ氏が叫ぶ「人工酵母で味わいを操作したワインでテロワールを語ること自体に矛盾がある」、そしてマルセル・ダイス氏が嘆く「収量を抑えもせずにガバガバ取ったブドウの嫌な個性、青臭い、猫の小便臭い、石油臭い等をセパージュの個性として捉えるとは失礼極まりない」、、、そんな言葉までもが鮮明に、思い出された。

 

その仕事とは

 

 3月には来日を終え、既にそのセミナー内容などはネット上でも詳しく紹介されているので、ここではセミナーで余り触れられなかった部分を2点のみ紹介したい(前提として、栽培ではビオディナミを実践した上で非常に低収量、遅く午前中のみの収穫。また醸造では時に5〜6時間かけてのプレス、SO2無添加、通常の倍以上である30日以上のマセラシオン・カルボニック、100%新樽熟成、澱引き・濾過・清澄を行わないことがある)。

 

 まず、1点目である。

 「SO2を添加せずに全ての醸造・熟成過程を行うこと。これがドメーヌを始めた時の最初の大きな目標であり、難関だった」。

こう語るフレデリックだけでなく、今や自然派=SO2が限りなく少ない、というのがごく当然のように語られるが、ではなぜそこまでしてSO2を排除する必要があるのだろう?「自然な味わいを得るため」という答えは分かりやすいようで、明瞭ではない。SO2を入れることによって不自然になってしまうことを知るべきである。そしてその「不自然になるもの」とは「自然酵母」であった。

「土が生きている」畑なら収穫時のブドウには「その土地固有」の自然酵母が付着し、これら自然酵母がブドウに寄与し生み出すものこそが、まさにその土地の味わいであると言われている。一方、SO2は酸化酵素だけでなく、この自然酵母の働きも抑制してしまう。つまり発酵が停滞すれば人工酵母に頼らざるを得ない場合も出てきてしまい、その時点で彼らの目指すピュアな味わいとは方向がずれてしまうのだ。また一つの土地に約30種類ある自然酵母は、発酵・熟成過程で異なるそれぞれの温度で適性を持つものがあり、世代交代を行う。ブドウの健全さ、セラーの環境(特に清潔さと温度)という条件が完璧に整っていれば、自然酵母のバトンタッチで果汁を安全にワインに導いていくのである。

そして2点目としてフレデリックの特徴的な手段、「長時間かけてのプレス」や「長い発酵期間」、続く「新樽100%熟成」であるが、これらは全て「良質なアロマとタンニンを生かすこと」と関係がある。

まずはプレスであるが、彼がぎりぎりまで収穫を遅らせたブドウは、種のタンニンまで熟し切っており、またアロマをたっぷりと含んだ皮を持つ。だがこの長所も、スピーディなプレスで種や皮を潰してしまっては、マストやワインに完璧には移し切れないのだ。また赤に関しては発酵期間の前半でワインに溶け込むのは粗いタンニンであり、このタンニンが自然にワインに溶け込みフィネスの元となるのに後半の期間があるという。そして自然派と言われる人たちの中では少数派である「新樽100%熟成」。これに関して、彼は新樽の役割を誤解してはいけないと力説する。

樽を『味付け』の為に使うのでは『決して』(フランス語でジャメ、であるが、ジャメ×100回くらいの勢いで否定する)、ない。僕のワインを飲んで、樽の風味が強いと感じるかい?焼きはごくごく軽めだ。味の素のような樽は、一切ゴメンだ。ぞっとするよ。

 僕が樽を使うのは『微酸化』の加減の点。新樽は古い樽よりも微酸化が進むが、アロマを定着させ、特に2003年のような固いタンニンを自然に和らげてくれるのは、この僅かな酸化だ。SO2無しでワインを導く時に、僕は温度よりもむしろ酸化に気を配るが、ワインに力があればこの微酸化はプラスに働くものだ」。

 どの過程も切り離して語れる単純なものではなく、また生産者によって解釈は違うだろう。ただフレデリックが用いている全ての手段は「完璧なブドウがあってこそ」という真理にピッタリと寄り添っていることだけは、醸造家でもない私でも断言したい。

 

 その「完璧なブドウ」を生む畑であるが、当HPでも紹介した馬での耕作人、エリック・マルタン氏と作業を進めている話は既に日本でも有名だ。この場合、馬で働くことよりも、「土の男」であるエリックが賞賛することに、フレデリックの真剣な仕事ぶりが伺えるのではないだろうか?ちなみに「SO2無添加」続く新たな試みは、従来のビオディナミで使われている煎じ薬系以外に自然界から、より立証性のある有効なものを探し出すことであるらしい。

 

テイスティング

 

今回のテイスティング銘柄は以下。テイスティング順に記載

〜バレル・テイスティング 2003〜

     ブルゴーニュ・ルージュ ブドー

     サン・ロマン・ルージュ スー・ロッシュ

     オークセイ・デュレス・ルージュ レ・クレ

     ニュイ・サン・ジョルジュ プルミエ・クリュ クロ・デ・アルジエール

〜ボトル・テイスティング 2002〜

     サン・ロマン・ルージュ スー・ロッシュ

     サン・ロマン・ブラン コンブ・ベザン

 

 冒頭のサン・ロマンが「♡♡♡」であれば、ニュイ・サン・ジョルジュは「♡♡♡♡」であった。2003年はブルゴーニュであっても酷暑のせいで、涼しさよりもねっとりとした味わいを予感させる香りの後、口に含むとヴォリュームは見事でも余韻がストンと落ち、最後に乾きが口に残ってしまうものが結構ある。だが、このニュイ・サン・ジョルジュは特にその余韻において、2003年が陥りがちな単調さと対極にある。

 現時点では還元香が強いものの、熟し切った赤い果実や、挽いたピンクや黒コショウ、甘草、丁字様のスパイスが奥から沸き上がってきて、何よりもこのワインに複雑な予感を与えているのは、まだツボミの固い真っ赤なバラを思わせる香りである(私自身は、美しい花の香りを感じられるワインは、そう多くないと捉えている)。そして味わいは暑かったミレジムらしく濃厚にねっとりしているが、骨格と質の良い酸があるために余韻まで伸び続ける。決してその「ねっとりさ」は重さに着地しない。彼のワイン造りに一貫性があるように、このワインには香りから余韻までにチグハグさは全く無く、バランスと安定感がある。

 彼の一連のワインに、単に「自然な味わい」とフレーズを付けてしまうのは、先述の「ATC」を押しつけるのと同じくらいに失礼なの事ではないだろうか?今回の試飲、そして2年前の訪問でもそう思った。もし「自然」という言葉をどうしても使わなければならないのなら、少し大袈裟な表現だが「自然の奇跡」や、「自然の不思議」のほうが相応しい。

結局は一つの区画とそこにある土、そこに巡ってくる気候、そしてそこに関わる人間の仕事の質。でも真剣に取り組めば取り組むほど、畑から始まる自然のエネルギーの流れの中では、自分の力は取るに足りないと感じるよ」。

謙虚にフレデリックは言うが、土地のエスプリをぎゅっとワインに導くことの出来る人は、そう沢山いるものではない(ああ、グラン・クリュを手がけて欲しい、、、)。

 

訪問を終えて

 

 サン・ロマンの村の中にドメーヌの所在地を示す看板が無いばかりか、ドメーヌ自体にも目立つ表札は無く、しかも訪問時には門が閉じられていた。これでは教えられない限り、ドメーヌの場所を探し出すのは無理だろう。フレデリックもそれを知ってか、アポイントの時間には外に出て車の私たちの到着を待っていた。訪問の依頼がウンザリするほどあることが容易に想像される。

「アメリカ人は、評価の高かったキュヴェとミレジムだけを買いたがり、一方オスピスなどでさっさと醸造してしまったワインをあなたの名前で熟成してください、なんて依頼もある。自分の目先の事しか考えていないご都合主義の依頼の多さにはゲンナリ」。

 こう書くと気難しい人に思われるかもしれないが、多くの依頼を断る事は、自分の仕事の本質を守るためには必至なのだろう。そして実際彼はワインを一歩離れると非常にお茶目なブルっ子だ(彼の過激なジョークに、私は一度ならず数度も彼をはたき倒して?しまったほどだ)。

一見敷居が高いようで、その敷居をまたいでしまえば素直に好きになってしまう。バルコンでは吐き出さずに飲んだワインと、日の長い季節のサン・ロマンの美しさにほろ酔い加減になりながら、そんな印象が深まった次第である。