「La Grappe」
ジャンシス・ロビンソン女史も注目した試飲会にて

(St−Emilion 2004.4.1)

 

 

 

 

 「多分彼女は、ジャンシスだ」。

 試飲をしている私に、今回の「ボルドー・プリムール」における試飲を全てアレンジしてくれたラファエルが耳打ちした。場所はサンテミリオンのシャトー・ロル・ヴァランタンで、「La Grappe(ブドウの房の意)」と称する、あのステファン・デュルノンクール氏主催の試飲会が開催されていたのである。時間をおいて振り返るとそこには一人の金髪の女性が、グラスの横にパソコンを設置して、黙々とテイスティング・コメント(だと思う)を入力している。女史は入力し終えると、新たなワインを取りに、すたすたと各シャトーの試飲テーブルに向かっていく。連れの女性との会話はアメリカ英語でないことは確実で、そしてその顔はメディアで何度も見た、まさしくジャンシス・ロビンソン女史であった。

 欧米系らしからぬほっそりと小柄な女史は理知的で、パソコンの横に新たなワインを置きテイスティング、そしてまたもや入力をこなしていく。パソコンにワインをこぼしたらどうするのだろう(私はワインで、モニターをぶっ壊したことがある)、という私の小さな心配などは全く女史には届いていないようである。素晴らしい集中力(って、私は女史に見惚れている間、全く集中していなかったことになるのだが、、、)!そして何よりも会場にパソコンを持ち込むという、する人によっては恐ろしくイヤミになりそうな行為をサラリと出来てしまい、毅然としながらも、話しかければニッコリと答えてくれそうな雰囲気を持ち合わせているところに、この世界の権威であるオーラがある。

 

 ところで女史も注目するこの「La Grappe」、ステファン・デュルノンクール氏主催というよりも、「チーム・ステファン・デュルノンクールの試飲会」と呼んだ方が良いかもしれない。そこでワイナート最新号でも大々的に取り上げられたデュルノンクール氏であるが、ここでも簡単に氏の活動に触れてみたい。

 周知のように、かのティエポン・ファミリー(ル・パン、ヴィユー・シャトー・セルタンなど)のフランソワ・ティエポン氏が「まだ評価されていない優れたアペラシオンからも、リーズナブルで素晴らしいワインを提供する」目的でネゴシアン・エルーブル、「Terra Burudigala(テッラ・ブルディガラ)」をボルドーに設立したのが2001年の春。そしてステファン・デュルノンクール氏も同年からコンサルティングとしてこの事業に参画した。彼らの動きはコート・ド・カスティヨンなどを「周辺地区」と見なしていた業界に一石を投じるものとして注目されているが、その方針は「テッラ・ブルディガラ」のパンフレットにあるステファン・デュルノンクール氏のこの言葉に、よく現れていると思う。

 

― 偉大なテロワールでワインを造ることはある意味簡単だが、それより劣るとされているテロワールでワインを造る時には、テロワールは我々によりクリエーティヴであることを要求する。

 

 そして続く氏の言葉は、「思慮深いブドウ栽培」であり、「自然への尊敬」、そして「尊敬無しには表現は生まれず、私達が求めるワインの性格も生まれない」。最終的に畑では1本1本の株単位まで観察・理解して仕事をすること、そして土着の自然酵母を活かせるレベルまで有機的アプローチを試みることを提唱している。「すぐ近くにまで寄り添うこと。それが成功への鍵だ」。

 

 常々ボルドー、特に左岸を考える時、そして実際にその広大な敷地を目にした時に、「ボルドーにおけるテロワールって何ぞや?」と考えさせられる。ブルゴーニュがデジカメに収まるくらいの畑を一つのアペラシオンとしている時に、この広大な敷地から「テロワールの特徴を言え」と言われても難しい。非常に大袈裟に言うと、視覚的には「一つのシャトーの敷地が、ブルゴーニュで言えばヴィラージュ単位?」と感じられるほど広い。またペッサク・レオニアンの住宅地と畑がモザイク(?)になっている風景を見ると、畑と住宅地の線引きはいかに?と疑問を持たざるを得ない。

もちろん個々のシャトーは敷地内に存在する異なる性格の土壌によって植樹するセパージュを変え、そこからアッサンブラージュの妙が生まれる。それこそがボルドーの醍醐味なのであるが、各シャトーの個性の奥に、その基盤となるテロワールを見出すことはブルゴーニュより難しく感じられる。フィリップ・パカレ氏の言葉を借りれば、「テロワールを語る時、ボルドー、特に左岸は不親切だ」である。

その点個人的な見解を述べると、「チーム・ステファン・デュルノンクール」は自分たちの不利と思われていた環境(注目されていなかったこと、基本的に左岸と比べて小規模であること等)を、上手に逆手に取ったのではないか、と思われる。当主がその気にさえなれば「すぐ近くにまで寄り添うこと」が可能なのだ。

実際試飲を進めていっても、テロワールやセパージュ、ミレジムの個性が掴みやすく、当主の意見を聞いていると「なるほど、この人にしてこの味はありだな」と何度と無く思わされた。所謂「生産者の顔が見える」ワインである。そして会場に集まった全てのシャトーがデュルノンクール氏のコンサルティングを受けている、というわけではなく、むしろその考えに共鳴してワイン造りに取り組んでいるようだ。ボルドーにおける、実践力を持った「テロワール派」の最右翼(?)かもしれない。

会場になった「シャトー・ロル・ヴァランタン」の周りに広がる畑には、タンポポらしき黄色い花が咲き乱れ、「つい先日耕しました!」という感じの土はいかにも有機的アプローチを試みているように見える。そして和気あいあいとしたビュッフェの雰囲気は、ボルドーの試飲会というよりむしろ各地の「自然派」の試飲会に参加しているようである。

ブルゴーニュや自然派に傾くワイン・ファンにとって、彼らのワインはもう一度ボルドーに目を向けさせる一つの興味深い窓口ではないだろうか?私が参加していたシャトーの中で大いに感動したワインは、「シャトー・グレ・ラロック」「シャトー・リシュリュー」だった。

 

ところで先述のロビンソン女史はこの試飲会をどのように評価したのであろう。興味津々だ。同時に女史のような権威は別室で出迎えられて試飲を進めているイメージがあったので、その正直な好奇心と実行に移すバイタリティに、ちょっと感動している次第である。

 

(参考資料)

ステファン・デュルノンクール氏が共に仕事を進めている生産者はこちら(昨年10月、デュルノンクール氏より直接送って頂いたメールより)。

近年ではラストーのスーパースター「ドメーヌ・ド・ラ・スーマド」のアンドレ・ロメロ氏が、2002年よりデュルノンクール氏のコンサルティングを依頼したことが、フランス・ワイン業界で話題となった。

デュルノンクール氏の姿は右岸の会場で時折見かけることがあったが、一人で静かに試飲を進める姿が印象的だった。そして私の聞き取り辛いであろうフランス語にも丁寧に耳を傾け、真摯に答えてくれるジェントルマンでもあった。