Domaine Marcel DEISS 〜土壌別あじわいの違い「基礎編」と、その組み合わせ〜 (Bergheim 2004.6.7) |
昨年秋の、このドメーヌへの訪問では「アルザスの異端児」とさえ言われるダイス氏の丁寧な説明を伺うことが出来たが(そしてその説明は「異端児」ではなく、正当性のあるものに思えた。「Domaine Marcel DEISS 〜セパージュよりも、土壌ありき〜 2003.10.31」参照)。
今回の訪問では畑の植生が著しく変化するこの時期ゆえ、氏は畑での仕事が忙しく不在であった。しかしドメーヌの女性の案内の元で、やはり興味深い話を伺うことが出来、彼女の説明は氏のようなある種の凄み(?)があるものではないものの、逆に理解しやすく、そしてこのドメーヌを支えるポリシーは非常に強固であることを感じ入ったのだった。
ピノ・ブランを飲んでみてください |
ある産地では既に珍しいものではない手法が、他の産地ではまだ稀なことはよくある。
フルーティで飲みやすい白ワインを造る際、醸造前にデブルナージュ(発酵していない果汁の澱を除去・清澄化する)を行い、さらに醸造中に生じた澱を取り除いてから樽(もしくはステンレス)で熟成させることは、アルザスに限らず、ごく一般的だ。
だが醸造・熟成を通して翌年の瓶詰めまで、常に「Sur le lie」、つまり「澱の上」にワインがある状態を保ち(キュヴェによっては澱引きするものもある)、更にバトナージュ(熟成期間中、樽の底に沈んでいる澱を定期的に攪拌し、ワインに澱の風味を溶け込ませる)も行うとなると、「アルザス」では珍しい。
「澱を取り除いてしまうということは、醸造・熟成期間にそれぞれ異なる働きをしてくれる様々な酵母も取り去ってしまうということ。もちろん澱を残すことやバトナージュの結果を良いものに導くためには、自然由来の酵母自体、ひいてはブドウの質が良いことが大前提なのだけれど、なぜアルザスにはフードル(大樽)の伝統があるかを、思い出さなければいけません。
フードルは手入れにもよりますが、50年くらいの耐久性があるものです。使い込んだフードルはタンニンも抜け、微酸化の効果も優れており、またフードルの容量の大きさはゆっくりと澱の上に寝かしておくのにも良いのです。つまりフードルは繊細な風味の白ワインの熟成に適しており、昔のグラン・ヴァンは20年くらいフードルで澱と一緒に寝かすこともありました。
昔からの習慣とはなぜあるか、また消費社会で忘れてしまったものは何なのか、を見極めて、今必要な手段を選び取ることが大切でしょう」。
アルザスにおいてはイレギュラー、と言われる手段に関しても、彼女の説明はワインの味わいという実績に裏打ちされた確信に満ちている。
「テイスティングはピノ・ブランから始めますが、ピノ・ブランを飲むと、その生産者のスタンスが分かります。
ピノ・ブランはとても生産性の高い品種なので、たわわに実らせれば100hl/ha以上の収穫も可能です。しかし商業主義な収量の高さはブドウの味わいを薄れさせ、結果、『ピノ・ブランは単に軽いワイン』という誤解を招きます。それぞれの品種が、丁寧にテロワールを引き出すためには収量の低さと、ブドウ根が地に深く這うことが不可欠で、そうやって造られたワインからは、品種の味わいで単純に語られる欠点は生まれません」。
そこでテイスティングである。今回のテイスティングの目的は、モザイク様に複雑なアルザスの土壌の違いを知った上で、ワインの持つニュアンスの違いを大まかに捉えることである。
熟成庫に並ぶ、フードルと小樽。 |
テイスティング |
今回のテイスティング銘柄は以下。全てボトル・テイスティング。テイスティング順に記載。
また、マルセル・ダイスでは自身のワインを3つのカテゴリー、「果実のワイン」「テロワールのワイン」「時のワイン」に、分けている。
果実のワイン(Vin de Fruits):ヴィラージュ単位で造られ、ラベルにセパージュ表示したワイン。果実の味わいを前面打ち出したワイン。
ピノ・ブラン ベルグハイム 2001(Bergheim)
リースリング サン・イポリト 2001(St.Hipolyte)
テロワールのワイン(Vin de Terroirs):個性が確立されたプルミエ・クリュ、グラン・クリュ由来のワイン。複数のセパージュを用い、テロワールの特徴を前面に打ち出したワイン。
〜プルミエ・クリュ〜(注)
ビューレンベルグ 1999(Burlbenberg:ピノ・ノワール、ブーロ。粘土と石灰質混じりの火山土壌)
エンゲルガルテン 2000(Engelgarten:リースリング、ピノ・グリ、ブーロ、ミュスカ。砂利)
ローテンベルク 2001(Rotenberg:リースリング、ピノ・グリ。鉄分を多く含んだ赤土と石灰)
グラスベルク 2001(Grasberg:リースリング、ピノ・グリ、ゲヴュルツトラミネール。化石混じりの石灰質)
ビュルグ 2000(Burg:アルザスの伝統品種を全てアッサンブラージュ。泥灰土)
〜グラン・クリュ〜
アルテンベルグ・ド・ベルグハイム 1999(Altenberg de Bergheim:全てのアルザス・セパージュ。泥灰と石灰)
シェネンブール 1999(Schoenenbourg:リースリング、ミュスカ、シルヴァネール、シャスラ。底土より、硫黄を含む石膏、泥灰、粘土と砂)
@ 時のワイン(Vin de Temps):ヴァンダンジュ・タルディヴとセレクション・ド・グラン・ノーブル
→テイスティングは無し。
(注)
アルザス・プルミエ・クリュという呼称は現時点では存在せず、これはドメーヌにとってグラン・クリュに次ぐものとして位置づけ。
まずは複雑に入り組む土壌の中でも、代表的な土壌である3種類、「粘土」「花崗岩」「石灰」が白ワインにもたらす味わいの特徴を、ごく簡単に説明して頂いた。
粘土、、、丸み、重さと深さ(奥行き)
花崗岩、、、酸とミネラルに代表され、特に若い頃の香りは白い花を彷彿とさせる。
石灰岩、、、花崗岩と同じく酸とミネラルを与えるが、より果実味を表現する。
この説明はアルザスに限らず、他の産地でも私の経験上だが、非常に簡潔に言い表していると思う。例えば北部ローヌのヴィオニエを思い出して頂きたい。ヴィオニエは「品種」として「白い花」の香りが特徴と言われるが、ヴィオニエが好むのは「花崗岩土壌」である。よってコンドリューに鮮やかに感じられる「白い花」は、土壌が品種の特性を伸ばしているとも言えるだろう。同時に「花崗岩=白い花」を唱えるアルザスの生産者は結構多く、この香りは探しやすいものである。また「石灰質土壌」のロワールの白ワインが持つ、あの酸に裏打ちされた新鮮な白〜黄色の果実味も同様に、ミクロクリマという様々な条件の中でも、やはり品種のニュアンスを「的確に」引き出す土壌の役割は少なくないと思うのだ。
もっとも「反テロワール派」から言わせると、土壌の役目は主に「水はけ」の問題であり、これらの味わいの相違は主に品種、そして日照量や畑の高度を含めた地形が生み出したものとなるが、この点に関しても、ドメーヌの姿勢は揺らぐことがない。
「例えばグラン・クリュに高級4品種と言われる単一品種を植え、それぞれにワインを造るとします。3つのグラン・クリュを持つ私たちなら、単純に12種類のワインが出来る計算になりますが、これこそ商業主義でナンセンス。私たちの26haの畑は120もの区画に分かれており、同じクリュ名を持つものの中にも土壌の細かな差違があります。ならばまずは土壌の差違を知り、一つ一つの区画に合った品種を植え、アッサンブラージュすることによって一つのクリュという括りが持つ『複雑性』を最大限に表現する。クリュとは決して品種名など何か1点のみ切り取って語られるものではなく、『一つの畑』としてトータルに違いが見出されるものなのです」。
実際にテイスティングしても、各ワインは驚くほどに違う。これはプルミエ・クリュ以上に施される数品種のアッサンブラージュの配分の違いも勿論あるだろうが、何よりも品種など「何か1点のみ切り取って」だけでは語りきれないワインの持つ「イメージ(テロワール)」の違いが、クリュに相応しい格を伴って、くっきりと浮かび上がってくるのである。
以前ダイス氏は、ブドウを構成する要素を音符に、生産者を作曲家と演奏家に例えた。ワインによってはソロ(単一品種)が似合うブルゴーニュのような土地もあれば、アルザスのように混成(複数品種)が新たな音楽を奏でる可能性を持つ土地もあるのであろうし、「アルザス=単一品種」が定着した裏にはドイツというお隣の顧客がいたこと、そしてかつてアルザスでは複数品種をアッサンブラージュしたワインがメインだったことも忘れてはいけない。そしてこのドメーヌのワインの完成度の高さを目の前にすると、AOC制度のもとに、表現の自由を規制してしまっては勿体ないと思わされるのだ。
今回、各ワインの細かなテイスティング・コメントは割愛するが、前述の「ピノ・ブラン」が単に「軽くて飲みやすい」で終わるものではなく、むしろマンゴーのようなトロピカルなフルーツや、白ワインなのになぜかグロセイユのような酸のある赤い果実のニュアンスまで持つもので、非常にエキゾティックでバランスの良いワインに仕上がっていたことは記しておきたい。
訪問を終えて |
このドメーヌにとって最近で最も喜ばしいニュースとは、やはり複数品種のアッサンブラージュを施しながらも、ラベルに「グラン・クリュ」として畑名を表記することが許可されたことであるらしいが、アルザスで「変えていきたいこと」は、まだまだ山積みであるようだ。
ともあれ「異端」と言われようが、ダイス氏の語りが「何を言っているのか分からない」と批判があろうが、結果としてこのドメーヌのワインは一言で言って「美味い」。またその美味さは、いわゆるプロでなければ分からない(?)と言われるような難解なものでもない(もしかするとこのHPも、かえってこのドメーヌを難解にしているのかもしれないが、生産者の言葉は伝えたいだけである)。私は時々、友人への手土産としてこのドメーヌのワインを携えていくことがあるが、全くウンチクとはかけ離れたワインに関心の無い人でも、最後にはワイン名をノートに書き留めるくらいに大歓迎してもらえ、「アルザスってこんなに味わい深くて、美味しかったのね」と言われることがある。
ワインが幅広い層から「美味い」と捉えられている限り、このドメーヌの主張や取っている手段は正しいのだ。そう思う。