Domaine Francois MIKLSKI
〜きらめきを支える、バランス感〜

(Meursault 2003.11.18)

 

 

 「テロワールへの回帰」と「次世代の台頭」。近年のブルゴーニュを考える時に無視できない流れである。そしてドメーヌ・フランソワ・ミクルスキはこの2つの流れに早々と乗り、結果も評価されている生産者の代表格ではないだろうか。

 ところでこのドメーヌへの訪問は今回が2度目であるが、当主であるミクルスキ氏とはなぜか定期的によく出会う。パリの試飲会、ポーレ・ド・ムルソー(ムルソーの昼食会)等々。私自身に対するサンパ(気が良いこと。便利なフランス語だ)さもさることながら、細身の体で身軽に他の生産者達の間をひらひらと移動し、談笑したり、時にふざけ合っている姿を見ていると、彼は成功者でありながら人気者でもあるように思われる。

 今回の訪問の前日はポーレ・ド・ムルソーが開催され、私含め同行者達はパーティにかけるフランス人達のパワーに途中から脱落してしまったのであるが、ミクルスキ氏は深夜過ぎには友人達を引き連れて自分のカーヴに戻り、そこでまたもや飲み会(?)を再開したらしい。次世代の若い層にとっては気さくで頼りになる兄貴分。人気者である理由の一つは、こんな人柄にもあるのかもしれない。

 

ドメーヌの最近の動き 〜新しい区画と醸造所〜

 

 前回の訪問よりたった1年しか経っていないのだが、ドメーヌにとっては2つの進展があった。

〜新しい区画〜

 この区画に関してはワイナートの昨年夏号でも報告したが、それは「ムルソー・グート・ドール」と「ポマール」であり、共に2003年が初ミレジムだ。畑の面積は前者が約0,25ha、後者が約0,5ha。これらはフランソワ・ミクルスキ氏の叔父である、ピエール・ボワイヨ氏の所有であり、メタヤージュ(分益小作の形態の一つ。賃貸料を収穫したブドウもしくはワインで納める)契約のため、ドメーヌによる瓶詰めは最終的に半分の量となる。しかしムルソーにおいては春の霜害(4/10)があり、その後は例の酷暑に見舞われ、初年度の最終的な瓶詰めはかなり少量になりそうだ。

 またグート・ドールの側に、ブルゴーニュ・ブランとしての区画も追加されている。

 

〜新しいカーヴ〜

 従来ドメーヌの醸造所と熟成庫はムルソーの村の中心地近くに一箇所であったが、2002年の収穫時よりムルソーを抜ける国道74号線沿いに新しく設けたカーヴも併用できるようになった。

 カーヴが拡大されたことにより作業効率が上がっただけでは無い。「畑と醸造の仕事は同等に大切」ときっぱり言い切るドメーヌでは、カーヴの拡大と同時に畑の仕事に新しく人材を起用、ミクルスキ氏はより自身が納得できるレベルまで醸造・熟成に付き添える体制が整ったという。

 

フランソワ・ミクルスキ氏。前日の大はしゃぎとは違う、「カーヴの顔」。

 ところで現在ドメーヌが採用している畑の仕事は「リュット・レゾネ」であるが、ドメーヌが発足した当時である1992〜95年にはビオロジーを採用していた。ブルゴーニュでビオに移行する生産者が多い中、なぜ彼はビオロジーを中断したのであろう?

畑の多くがメタヤージュという賃貸である以上、『上質なもの』を『きちんと納める』ことは非常に重要。他人の畑で病害を蔓延させ損失を出すことは避けなければならない。だから手の施しようが無い病害に対しては薬を使うことも大切である、という判断に至ったんだ。

 ただ『リュット・レゾネ』や『ビオロジー』というカテゴリーが変わったからと言って、硫酸銅などの使用量が増えてしまっては意味が無いし、実際ビオロジーを行っていた時と比べて変化は無い。そういった意味では『非常に厳密なリュット・レゾネ』だが、そんなことを声高に言うよりも、与えられた環境にどう向き合うかの方が自分にとっては大切だと思う。

 樹齢は最低でも15年以上が望ましいけれど、僕の手がける区画は総じて樹齢が高く(シャルムは90年近く)、ならば樹齢に合う台木の選択などは重要なファクターだ。現時点で樹齢の高い区画と台木の組み合わせはとても上手く行っていて、そこに日々の世話も加わり、結果的に腐敗果も生まれない。

 他にも植樹時のクローンのセレクションだけでなく、選んだクローンをいつ植えるかというタイミングなど、良いブドウを育てるということはビオロジーというカテゴリーに縛られるものではない」。

 ミクルスキ氏の言葉には、盲目的なビオやコマーシャルなリュット・レゾネとは一線を画すリアリズムがある。それにはやはりカレラでの研修が影響しているのか、と尋ねると

「カレラで学んだ最も重要なこと?う〜ん、英語かな?」と、いたずらっぽく切り返され「まぁ今は旅行する時間も無くなっちゃったけれど、若い頃に飛び出して色々なものを見て回ることは貴重だと思うよ」と付け加えた。そして最近のカレラに関する彼のコメントは、長所を認めながらも時に辛辣であったりする。

 陽気で飄々としたキャラクターと時折見せる周囲への細かな気配り、現実的な判断、ワインへの愛情、そして送り出される一連の「きらめき」のあるワイン達。なかなか素敵なバランス感だと思うのだ。

 

 

テイスティング

 

今回のテイスティング銘柄は、以下(テイスティング順に記載)

=白=

〜2002年(バレル・テイスティング)〜

ブルゴーニュ

ムルソー

ムルソー プルミエ・クリュ ポリュゾー

〜2001年(ボトル・テイスティング)〜

ムルソー

ムルソー プルミエ・クリュ ポリュゾー

ムルソー プルミエ・クリュ シャルム

ムルソー プルミエ・クリュ ジュヌヴリエール

 

〜2000年(ボトル・テイスティング)〜

ムルソー プルミエ・クリュ ポリュゾー(4日前と直前抜栓の比較)

ムルソー プルミエ・クリュ シャルム

ムルソー プルミエ・クリュ ジュヌヴリエール

 

=赤=

アロース・コルトン プルミエ・クリュ ヴェルコ 2002(Vercots、ネゴシアン)

ガメイ 2003(ブルゴーニュ・パストゥグラン用)

ブルゴーニュ 2001

ヴォルネイ・サントノ・デュ・ミリュー 2000

ムルソー・カイユレ 1998

 

このドメーヌのワインに対する私のイメージは前回の訪問時のレポートと重複するので今回は割愛するが、氏曰く「赤白共に、最高のバランス」である2000年の、特にジュヌヴリエールとカイユレを試飲した時には改めてこのドメーヌのセンスの良さに脱帽する。

コメントすることが野暮に感じられるワインと出会った時私はノートにハートマークを記す癖があるのだが、ジュヌヴリエールはまさに、これ。ワインの純度(ミネラル)がとてつもなく高く、きらめきが頭のてっぺんを突き抜けていくような衝撃がある(この衝撃を氏に伝えたかったのだが、私のフランス語力では上手く言い表せなかったのが残念でならない)。そして余韻は、幸せに長い。

また熟成が始まったカイユレにはほんの少しの黒トリュフに、かなり派手な白トリュフが加わってきており、甘味のある果実味のチャーミングさと、ヴォルネイの気品ある官能が本当に美味く混じり合っている。おそらく今後はこのトリュフの部分がより開いていくのであろうが、熟成を最後まで見届けたいと人に思わせる力がある。

 

近年は新樽比率を減らし気味。キュヴェによるが、平均して15−20%くらい。良い樽をキュヴェに応じて3年くらい使用する」。

 近年の醸造・熟成における変化を伺った時の答えであるが、樽の比率云々を飲み手に感じ(考え)させない自然な品格のようなものが、一連のワインにはあるのである。

 

 ショップ、レストラン、自宅、それともカーヴ。次回このドメーヌのワインと出会うのがいつで、それがどの銘柄であるかは分からない。しかしカーヴを訪れる度に自宅に眠らせているこのドメーヌのワインの熟成を確信し、同時にまだ見ぬ未来のミレジムにも期待を寄せてしまう。退屈さは微塵もないのに、どこか安心感があり、少なくともフランス国内ではまだまだ手が届く価格帯。私にとっては親近感を伴う「きらめくスターとそのワイン」が、ドメーヌ・フランソワ・ミクルスキである。