Domaine Jean TARDY
〜2003年の難しさを打破するには?〜

(Vosne Romanee 2004.4.16)

 


 

 

 このHPでは最も登場回数が多いドメーヌの一つが、ジャン・タルディであるが、それは私自身がこのドメーヌに色々惹かれる点が多いからに他ならない。

 百貨店時代に、最初にブルゴーニュに目覚めさせてくれたドメーヌであったことがきっかけであるが、現在では醸造学を学び、オーストラリアでも研修した27歳である若きギヨームが試行錯誤を試みていること、ビオではないが驚くほど厳密な畑仕事を行っていること、彼らが現在手がけている素晴らしい区画を手放さなければならないかもしれないこと。世代交代、次世代の考え方、その次世代にも根付くブルギニョン魂、そして区画を取得する難しさ、、、。ブルゴーニュの可能性と問題が、このドメーヌにはぎゅうっ、と詰まっている。そして若きギヨームの試みがミレジム毎に良い方向で、そのまま反映されているように思えることも、試飲する側としては楽しみなのだ。

 

2003年の難しさを打破するには?

 

 昨年は「畑の仕事」のレポートで、ブルゴーニュに定期的に通ったせいもあり、近年では瓶詰め後までその経過を見てみたいと思うミレジムが、2003年である。そして品薄感もあり、ブルゴーニュの2003年の価格上昇傾向は抑えようが無いと思っているが、ここで個人的には、まず熟考をすべきであると思っている。

なぜなら何もかもが「異例」であったゆえに、「日照量に恵まれて非常にリッチなミレジムである」等という、画一的でコマーシャルを帯びた言葉では括れないミレジムである、つまり生産者の力量が、ワインに顕著に出るのが当然であるからだ。生産者側からすれば収穫量減なのだから、価格の引き上げは経済的に致し方ないとしても、消費者としては本当に力量のある生産者達のワインに高いお金を払いたい。

 

ではブルゴーニュで、この「異例」というのは醸造において、いかなる問題を引き起こしたのだろうか?またそういった問題に対して「クリア出来る・出来ない」の分かれ目は、どのようなところにあったのであろうか?それは非常に大雑把にまとめて2点ある。この2点をギヨームが具体的に解説してくれたので、ここにまとめたい。
 

ヴォーヌ・ロマネ プルミエ・クリュ レ・ショームの畑にて、ギヨーム・タルディ。濃い茶色の土に息づく、見事に低い株。

 1点目は、酸の低さである。酸の低さを招いたのは言うまでもなく酷暑で、特に収穫の見極め時に更なる酸の低下を覚悟で、種までの熟成を待ったドメーヌは余計だった。

2003年において、補酸はキュヴェによってはオブリジェ(義務)だった」とギヨームが語るように、結果としてジャン・タルディでも補酸を行ったが、「補酸」という言葉のイメージに眉を顰めてはいけない。私が2003年の収穫以降に回ったブルゴーニュの生産者は、それが非常に高名であったり、自然派であっても、殆どが補酸を行っている(パカレは酒石酸を使わず、酸の多い2番摘みを補酒に用いていたが、この発想は非常に稀)。そして味覚的に感じられるのは、やはりブルゴーニュのピノ・ノワールにこの酸は必要だった、ということだ(何度か補酸を行わなかったという生産者の試飲もしたが、余韻の重苦しさが気になるものが多い)。

 2点目は一次発酵中における、タンニンや色調と、高い糖度のコントロールである。一次発酵中は酸化と還元のバランスを上手く導かなければならず、その結果赤ワインなら一次発酵が終わった時点で残糖度が2g/L以下であることが、醸造上では一つの目安となっている(次に控えるマロラクティックへの影響、バクテリアが揮発酸やブレタノマイセス菌を産する危険性)。同時に2003年のような過熟寸前の果皮、時に熟し切らない種(乾いたタンニンを生み出す)を持っていれば、抽出は過剰であってはいけない。そこで「豊富な糖を酵母の働きで順調にアルコールに変えつつも、余計な抽出は控えなければならない」状態にジレンマが生じるのだ。

 なぜなら一次発酵中は生産者の判断によりピジャージュやルモンタージュを行うが、これらの作業は、酵母への通気性を良くする(酵母を活性化させる)と共に、タンニンや色素の抽出を促し、また作業後は果肉や果皮が軽く刺激されることにより糖度は僅かに上昇する。加えて暑い年にはブドウの窒素成分が低下する傾向があり、これも発酵期間中の高温、高アルコールと共に、酵母の働きを鈍らせる。

 つまり酵母の活性化と抽出を促すピジャージュを控えつつも(実際殆どの生産者が「2003年のピジャージュはごく少なめ」と回答している)、高い糖度を生産者が理想とする数値まで分解してしまわなければならないのだ。こういう特殊な状況に耐えうる人工酵母を入れる、SO2添加で酵母の働きをコントロールする、等の手段を取れば話は早いが、ジャン・タルディ始めSO2添加少なめ&天然酵母派にとっては、多種の土着由来の酵母(それぞれの酵母は醸造段階により働きが異なる)の働きが鍵を握る。それは土着由来の酵母が存在する畑でなければならないことに他ならない。

 極力ピジャージュを控えたジャン・タルディでは、デキュヴァージュ(一次発酵後のワインを引き抜く)前に、やや抽出が足りないと判断、そしてピジャージュを行ったが糖度も上昇した。しかし最終的に酵母の働きで、残糖度は0に迄持っていくことが出来たという。結果的にギヨームは2003年の出来に現時点では合格点を与えているが、全てのドメーヌが一次発酵に成功したわけではないようだ。また樽熟成過程でも新樽比率を下げる、澱引きの有無の判断など、ワインの成長を見守りながら予断は許されない。

 そこで、2003年の試飲である。

 

テイスティング

 

 今回のテイスティング銘柄は以下。全て2003年のバレル・テイスティング。テイスティング順に記載。

 

  シャンボール・ミュジニィ レザテ(Les Athets)

  ニュイ・サン・ジョルジュ オー・バ・ド・コンブ

  ヴォーヌ・ロマネ プルミエ・クリュ レ・ショーム

  ニュイ・サン・ジョルジュ プルミエ・クリュ レ・ブド

  クロ・ド・ヴージョ

  エシェゾー

 

 「2003年の出来に現時点では合格点」というギヨームの言葉は、嘘ではなかった。

 私自身は彼らの「ヴォーヌ・ロマネ プルミエ・クリュ レ・ショーム」が最も興味深いが、何度も書いてきたように一連のワインの中で最も全ての人に驚きを与えるのは、「ニュイ・サン・ジョルジュ プルミエ・クリュ レ・ブド」であろう。ヴォーヌ・ロマネを隣人に持つこのワインは樹齢も70年と高く、パリのブラインド・テイスティングでも、多くの人が「ヴォーヌ・ロマネ プルミエ・クリュ」と回答。2003年らしい熟したグリオットやカシスの中に、赤いバラや濃厚なスミレが入り混じる香り、ミネラルや旨味が溢れるしっとりとした余韻は酷暑の年でも重い場所に着地せず、まさにヴォーヌ・ロマネの血を引いたニュイ・サン・ジョルジュなのだと思う。

全体的に彼らのワインはギヨーム同様、元気一杯で、その元気を「力」と見るか「エレガンスの点で物足りない」と判断するかで評価は分かれると思われるが、テロワールを遺憾なく発揮していることは事実である。そして私は27歳にして「ワビ・サビ」や「究極のエレガンス」の域に達する生産者の方が珍しいと思うので、まずはこの「力」にとても惹かれる。また意外と陰に隠れているこのドメーヌの2003年は、安心して購入出来ることも付け加えておきたい。

 

ドメーヌの近況

 

 ビオではなくとも、ギヨームが畑仕事に重きを置く姿勢は、ますます加速しているようである。畑仕事を尋ねると「自然酵母が息づく健康な土、低く短い剪定と芽掻きからなる低収量、除葉、接ぎ木の選択。これが最低のライン」と即答。しかし、この最低ラインを完遂するだけでも、いかに畑で時間を費やさなければならないことか。そんな彼の働きぶりこそが、人の心を突き動かすものなのだろう。2007年に切れるメオ・カミュゼとの分益小作契約に向けて、どうにか彼がコート・ド・ニュイで新たな畑を手がけられるように、現在、彼の友人達は奔走中なのだという。でも最後にギヨームが、ポツリ。

― 今までの畑も、ずっと続けていきたいのだけれどね。

残されるは、あと3年。どうなるのか。