Chateau de Pommard
〜開花が、始まった!〜  

(Pommard 2005.5.31)

 

 
 
  昨年に所有者が代わり、大胆な人事が行われたシャトー・ド・ポマール
(参照:生産者巡りシャトー・ド・ポマールの行く末は?」)。前回の訪問から一年以上経った今、久しぶりのブルゴーニュ訪問では、真っ先に行ってみたいシャトーの一つだった。なぜならあのシャルロパン氏が初めて手がけた2004年ミレジムを試飲してみたかったからだ。また最近は私自身がブドウ畑と遠い生活を送っており、しかし畑での出来事(表舞台からは見えない生産者の努力)を垣間見ずして、ワインの味わいや用語だけを書き連ねるのは個人的にどうも抵抗がある。ならばまだ足を踏み入れたことがなく、加えて畑を「愛する」栽培者が世話をする畑で、2005年のブルゴーニュの初夏を肌で感じてみたかったのだ。その点でシャトー・ド・ポマールの栽培責任者・ドミニクは友人であり、何よりも氏の畑仕事には、仕事を超えた「愛」がある。

 そこで今回は、久々の「畑仕事」と「2004年ミレジム試飲」、そして念のためにもう一度解いておきたい、「シャトー・ド・ポマールの誤解(?)」のレポートである。

 

初夏の畑仕事

ジュヴレイ・シャンベルタンにて。畑に目を凝らすと畝の間に、かなりの人が。


 2003年に行った「畑仕事の一年」のレポートでも触れているが、5月下旬から6月一杯は、最も畑での仕事が多い季節である。なぜなら生命力の強い蔓科植物・ブドウが最も旺盛に、文字通りニョキニョキと成長し、生産者達はその成長に追いついた仕事をせねばならない。また病害対策も始まる季節で、しかしどの病害が猛威を振るうか否かは全くその年次第である。多くの生産者はアルバイトなどを雇って増員しこの局面を乗り切るが、この状況を知ってからは、家族経営などの小規模な生産者に5、6月のアポイントを依頼し辛くなってしまった。

 ところで今回会った生産者たちの話を聞く限り現時点では、コート・ド・ニュイのごく一部で雹害があったものの、ブルゴーニュでそれ以外の大きな被害は生じていないようである。
 

 

 ドミニク曰く「ジュヴレイとポマールでは、ブドウの成長に3〜5日の時差がある」。その言葉通りに、到着したシャトー・ド・ポマールの畑では、ジュヴレイではまだ見られなかったブドウの開花が始まっていた。この「時差」は南北の差だけではなく畑の高度や斜面の向きでも生じるが、時差があるからこそ、分散する区画を持つ生産者は作業の日程にもギリギリの融通が利く。しかし荘園とでも言うべきシャトー・ド・ポマールはその敷地内に全ての区画が集結するのだから、この時期の仕事の密度は想像するに難くない。

 

 

ブドウの開花、超・初期 左写真の拡大
粒からなんとなく白く飛び出したものが花の雄しべ(矢印)

 
 

葉っぱや人間の手と比べて、この時期のブドウのミニチュアはとても小さい(手は、ドミニク・ギュヨン氏)。

シャトー内での作業風景。


 この日の仕事開始時間は、午前7時半。日々成長し四方八方に伸びる蔓や枝の樹勢をコントロールする「整枝作業」だ。具体的には株の下方や、脇芽(残すべき芽に並ぶ、2番目の芽)から伸び始めた枝を取り除き、畑の木杭に巡らせた二重針金(3段に張った針金の2段目は二重になっている)の間に必要な枝を戻し、通気・日照の面で理想的にブドウ樹を整えてあげることである。不要な枝を取り除くことは、最終的に一株になるブドウ房数を調節・確認することにも繋がり、また畝がすっきりすることで、農耕機具が畑に入りやすくなるメリットもある。

 

作業前のブドウ樹。 作業中。 作業後。

 

作業後の畝には、不要な枝が容赦なく落ちている。適度に雑草もある畑の土はほっこりと耕されている。 整枝作業後。房の数も6〜8個に。この後も、ブドウの成長に併せて針金を引き上げていくので、1回で終わる作業ではない。

 

 これらの作業はどんな生産者であれ手作業でなければ不可能だ。また以前「畑仕事の一年」のレポートを行った時もそうであったが、ブドウ樹を実際に目の前にすると、明らかに「不要な枝」と判断することは慣れるまでは難しく、ただし必要な枝まで取り除いてしまいたくはない。よって私が作業をするとそれは遅いだけでなく、遠慮の塊のような判断は、結局「ツメの甘い作業」となってしまう。

 「ブドウ畑では、時に人間は厳しくなければダメ。それにピノ・ノワールは生産性の高いセパージュだから、放っておくと収量が高くなってしまう」

そう言うドミニクは、惚れ惚れする速さで枝を取り除き、作業後は房数も計算したように6〜8個なのだった。スピーディかつロジックだ。そしてピノ・ノワールはその繊細な味わいゆえ何となく畑でもか弱い(?)存在であるような錯覚があるが、その生産性の高さゆえ、真摯な生産者は「この地のピノの収量は35−40hl/haに押さえなければ、土地の個性を表現できない」と語るのだと改めて思う。また色々な書物や幣HPでも「短い剪定」や「芽かき」という作業で芽数をコントロールし、不要な芽から枝が伸びる前に調節する、と簡単に書いてはいるものの、そういった作業を逃れる「不要君」は必ず存在するからこそ、特にこの時期の作業は決して1回で完璧に終わるものではない。

 私は試飲などで、作業は途中で抜けたものの、この日の仕事は午後の6時頃まで続いた。一列が終わると作業人は何となく一息付くものの、昼食時以外に特にまとまった休憩も無い。単純計算して、一日の労働時間は8時間を軽く超え、拘束時間は半日近くと言って良い。もっともこの時期はどのドメーヌでも事情は同じで、シャトー・ド・ポマールでも増員しつつこの状況があと数週間は続く。

 

2004年ミレジムのテイスティング

シャトー・ド・ポマールの二人のシェフ、醸造長・シャルロパン氏(左)と、栽培長・ギュヨン氏(右)。


 この日の試飲は全て2004年のバレル・テイスティングで、ネゴシアンものの白(ブルゴーニュ・ブラン、ムルソー、ムルソー・ナルヴォ、シャサーニュ・モンラッシェ、ピュリニィ・モンラッシェ レ・ゾンセニェールLes Enseigneres=村名、ピュリニィ・モンラッシェ レ・ピュセル)、続いてドメーヌものの白(シャサーニュ・モンラッシェ プルミエ・クリュ オン・ショーメ)、そしてシャトー・ド・ポマールの樽違い(14種)と続いた。

 ネゴシアンものの白の購入状態は果汁、もしくはブドウであるが、購入栽培先は全てシャルロパン氏が吟味しているとのことで、まだ熟成段階ながらアペラシオンの個性(ミネラル)がはっきりと感じられるタイプである。またドメーヌものの白、シャサーニュ・モンラッシェ プルミエ・クリュ オン・ショーメは、その樹齢の高さ(50年)ゆえか、ピュアな果実味の密度がとても高く、柑橘や蜂蜜様の良い意味でのかすかな甘苦みが、酸、ミネラルと共に余韻に長く伸びていく。そしてポマールの樽違いである。

 かねてから「ポマールの個性とは、結局何なのだろう?」と思っていた。一般的にはタンニンが強く、堅実な熟成を見せ、悪く言えばお隣のヴォルネィよりも、繊細さという点でコアなブルゴーニュ・ファンの心をくすぐらない。しかし今回の試飲で少なくとも分かったことは、シャトー・ド・ポマールという一敷地内の中にも細かな土壌の差があり(ドミニクは畑の表土と母岩を採集しているが、素人目に見てもそれらの色や形状は何パターンかにはっきりと分けられる)、そこに樹齢の違いも加わってくる。よって当然ながら収穫時に見せるブドウの熟度にも微妙な差が生じ、パーセルもしくは熟度毎に醸造されたワインは、そのワインにあった樽で熟成を経る。今回は14種類の樽と、現時点で予想されるアッサンブラージュ(ビーカーに少しずつ取り、グラスで混ぜるといった簡単なもの)を試飲したが、そのニュアンスは非常に多様だ。最終的にどのようなセレクションが行われるかは未定であるものの、20ha近くの畑を所有するシャトーだからこそ、モノ・セパージュながらアッサンブラージュの妙がものを言う。この「アッサンブラージュの複雑さ」は、ブルゴーニュの中でもかなり特殊なのではないだろうか。また「ワインをいじらない」というシャルロパン氏のポリシーがシャトー・ド・ポマールでも生かされているせいか、それともミレジムの個性か、過剰な重さを感じるワインは全く無く、樽によってオレンジを感じる酸、時にスミレなどのフローラルさ、ピュアで旨味のある果実味が強く印象に残った。ここは瓶詰め後の姿を、期待を持って待ちたい。

 

シャトー・ド・ポマールの誤解?

 
  以前「ワイナート」の巻末のニュースに、「シャトー・ド・ポマール、シャサーニュ・モンラッシェのプルミエ・クリュを入手」と書いたことがあるが、それ以降会う人たちに時折、「あれはモンラッシェの間違いではないか?」と言われることがある。なぜならブルゴーニュを代表するワイン雑誌「ブルゴーニュ・ドージュデュイ」に、「シャトー・ド・ポマール、モンラッシェを入手」と大々的に発表され、その後日本の著名なメディアもそれを転載したからだ。これについては私もワイナートに記事を書く前にドミニクに確認したが、「僕が世話をしているのは、シャサーニュ・モンラッシェ オン・ショーメ。そりゃモンラッシェなら、栽培者冥利に尽きるけど」という返事で、確かに醸造責任者が働いていない畑から、ワインが生まれるはずはない。それ以前にかのモンラッシェは高額で、同時に分益小作などの契約ならまだしも、現所有者で手放したいと思う人はいないだろう。

 この誤解が生じた理由はとても単純なことであったが、ここでもう一度念のために。シャトー・ド・ポマールが入手したのは、「モンラッシェ」ではなく、「シャサーニュ・モンラッシェ オン・ショーメ」である。

 

熟成中の「シャサーニュ・モンラッシェ オン・ショーメ」


 

シャサーニュ・モンラッシェ オン・ショーメ

 

最後に

 

 せっかく久しぶりに畑に入ったのだから、ここは1ヶ月後の姿も報告したい。またこの時にはジュヴレイでデュガ家の畑にもお邪魔する予定である。黄金の丘にある「時差」をはっきりと感じられれば良いのだが。