Domaine Gauby

〜南仏のエレガンス〜 

(Calce 2005.4.21)

 

 

 

身長190cmくらい?と見受けられる「息子さん」は、味覚の旅に世界を回りたいものの、その長身ゆえ飛行機では「エコノミー症候群」必至らしい。「でもビジネス、っていうのも贅沢だし、、、」と、彼。

 ゴービィは南仏で恐らく最も有名で、各方面から高い評価を受けているドメーヌの一つだ。ビオディナミを実践し、限りなく少ないSO2の使用量(過去のミレジムの平均使用量を伺ったが、本当に「限りなく」低い)を始め、醸造への人為的な介入を避けている点では自然派の代表でもあるが、いわゆるビオビオした味わいでは全くない。 

 ゴービィの名前が台頭し始めた90年代から「南仏のエレガンス」という枕詞は存在したが、私自身の個人的な感想としては、当時のゴービィはやはり時代を反映した濃縮タイプで、少なくとも「エレガンス」という言葉は余り似合わない気がした。しかしゴービィは確実に変わった。今こそエレガンスという言葉が相応しく、しかもこれからも進化していくのだろう。そこには若干20代前半の、現当主ジェラール・ゴービィ氏の息子さんの存在がある(この息子さんの名前をき情けないことに聞き忘れ、このレポートでは「息子さん」で書かせて頂く失礼をお許しください、、、)。

 

孤立した畑環境

 
  当HP「小さな写真集」のキャプションと重複するが、
ゴービィの畑と醸造所は、ゴービィ自体が一つのアペラシオンではないのか、と思うほどに孤立している。カルス(Calce)という村にある、とワイン本には記載されているが、カルスに近づくにつれて「ゴービィはこちら」の看板が立つ。それもそのはずで、ドメーヌはカルスの「超・外れ」にあり、そこに至るまでの1,5キロほどの細い山道は距離以上に長く感じられる。やっとのことで到着すると、そこは「土壌の美術館」とゴービィ自身が語るように、切り崩された断層の様子は刻々と異なり、風景としても表土の色の違う畑がパッチワークのように斜面に張り付いている。栽培のプロではなくとも、植物にはそれぞれに合った土壌がある、という点で、これらの土壌が異なる味わいを生み出すことは想像に難くない。また南仏としては高い標高(200〜300m)のせいか、冷たい風が絶え間なく吹くという。この孤立具合はニコラ・ジョリィや、シャトー・シモンヌを思い出させるものだ。

ブルゴーニュのように、考えの違う生産者の畑が隣接していないので、完璧に自分の理想とする環境を維持できる」と、息子さんは語るが、確かにブルゴーニュならこれはオート・コート・ド・ニュイの元祖ビオディナミスト、モンショヴェの高台の畑などを除いて、通常は「隣人」の影響を100%避けることは難しい。ではこの風景は、味わいとしてどのように昇華するのであろうか?

 

テイスティング 全ての常識が覆る!

(生産ワインは、レポート末に記載)

 
 いかにも「重力に従った仕事」が可能に見える吹き抜け状の天井の高いカーヴは、全て木製。

「樽と同じく、カーヴ全体がこの土地の中で自由に呼吸できるように」というのが理由であるが、実質的に醸造・熟成において、どのような相異が通常のカーヴでのものと比較した時に起こり得るのかは、今回は尋ねていない。ただ近年の研究では、醸造所や熟成庫にある木材(梁など)や木製パレットに使用された殺虫剤の残留物も、大気中に舞ってワインを汚染し、ブショネの原因の一つになり得ることが解明されつつある。話が進むに連れて、息子さんが現代の技術や知識を非常に論理的に利用しながら、ワインにある「自然」を導き出していることを考えると、このドメーヌがカーヴの素材に至るまで気を遣っていることは想像に難くない。そのカーヴの奥には、現時点で最も厳密な選果が出来るという振動式の選果台が佇んでいる。聞けば収穫も小カゴでの運送で、ルーションにおいて収穫時のこの厳密さはごく少数派だろう。

 しかしこのドメーヌの真の凄さは「南仏のワインはアルコールが強すぎてその、潜在能力を十分に発揮できない」という発想つまりこれは糖度の完熟を待たずに酸を十分に残した状態での収穫を意味し、総体アルコール度は法定度数ギリギリの低さを狙い、かつ高台の冷涼さを味方に、フェノール類などの生理学的熟成を重視する。そしてこの発想を、既に名声を得ていた父・ジェラールさんに提示し、敢行したのが2000以降、ドメーヌに参画した息子さんだ。

 では太陽に恵まれた南仏ですら、糖度の完熟(時に過熟に近い)主義が根強い背景の中で、彼を発想の逆転とも言える大胆な結論に至らせたのは何なのか?そこには彼にとっての偉大な師匠、ロワールのフーコー兄弟と、アルザスのマルセル・ダイス氏の影響があるだろう。

 父のワイン造りに接し、同時に「学校の勉強は余り好きでなかった」という彼は、高校を潔く中退し、前述の師匠たちのもとで徹底した実地主義を学ぶ。そこで得たことは南仏であっても可能であるはずの「アロマと酸を重視した繊細さ」の探求であり、「アッサンブラージュとは一つの土壌を表現するためにこそある」という信念だ。また信念を現実に変えるための論理的な手段も模索し続け「その信念が、真の意味で実践できたのは2002年以降だと思う」。同時にこれは私の推測だが、彼は私生活でアンリ・ジャイエやレストランならエル・ブリといった、今、世界が求めて止まない一流の味に触れてきたことも大きかったのでは、と思う。

 ともあれ、既に成功を収めたドメーヌが、そのスタイルを根底からひっくり返す不安は当人にしか分からないであろう。

「醸造は全て今や息子に任せている」というジェラールの言葉に、腹の括りを感じるが、この発想の転換には、南仏の生産者も一考するべき点が内包されていると思う。

 

 ところでテイスティングである。土壌、セパージュ別(もしくは既にアッサンブラージュしたもの)、樽別(新樽から4年間乾かして使用しているフードルまで)のバレル・テイスティング(2004年)、続くボトル・テイスティング(ムンダダ 2000年&2003年、ドメーヌが造るヴァン・ド・ペイ、ドメーヌ・ル・スーラ2002年以降を含む)は、計20種類。そこまで信念があるなら、ということでこちらも後半からはブラインドを申し出たが、ことごとく玉砕した(分析しつつもハズしまくるコメントを聞きつつ、嬉しそうにニヤニヤ笑う息子さん)。そう、ここでは各テイスティング・コメントは割愛するが、私が持っていた「南」に対するテイスティング物差し(?)が全く通用しない、言い換えればこれは「まさに新しい南仏の可能性」を飲んでいる喜びでもあった。

 また私自身は「××が、あの△△を上回るポイントをブラインドで得た!」というようなキャッチフレーズは好きではない(本質的な意味がないと思われるからだ)。しかし過去のムンダダ(2001年と記憶する)も同様に、ル・パンを抑えたという逸話を持ち、それは今回のテイスティングで理解できないことではなかった。

 というのも、キュヴェによるがボルドー右岸というより、むしろ左岸チックな森林系の香りや時にミ・ド・クレヨン(鉛筆の芯)様の硬質なミネラル、または右岸の砂地メルローとは違うものの、オレンジの花や皮の香り。骨格も含めボルドーに比較される要素を持ちつつ、優しくも甘い果実やガリーグの香りは紛れもなく「南」のものであり(でもペッパーがあくまでも「ブラック」ではなく「ピンク」なのも上品だ)、血を思わせる鉄感のあるキュヴェも。そして最も驚いたのは、樹齢125年(植樹1890年!?)のカリニャンから、まぎれもなくピンクのバラの香りがしたことだ。なぜなら私はワインを花の香りに例える傾向があるが、バラは高貴なワインからしか生まれないと感じているからだ。ともあれ一連のテイスティングで感じたことは「一流のエレガンス」。薄く、美しく、美味く、である。ワインとは「もう一杯飲みたくなるか」「またいつの日か飲みたいと思えるか」という美しい「抜き」が(=押しつけがましさの無さ)重要だと思うが、ドメーヌ・ゴービィの今は、まさにそれを体現し、それでもまだ追求の手を止めないということは、発展途上にあるということか?

 

訪問を終えて

 

 自然を前提に、ワインは「人」が造るものだ。その意味で今回の訪問は、新しい才能が開花するシーンに触れた感激で一杯だった。また味覚的に最も変化を感じるのは2002年以降であると思う。もっとも従来のゴービィのスタイルに固執する人たちにとっては、賛否両論が生まれるかもしれないが、「ワインとして素直に美味いか」を問うた時に、このドメーヌのワインは例え濃縮タイプが好きな人であっても、まずは美味いと感じるのではないだろうか。なぜなら美しいブーケに変わる期待溢れる「アロマ」の密度は、ワインの濃さ以前に尋常ではないからだ。

 

(参照 ゴービィの生産ワイン)

  コート・デュ・ルーション・ヴィラージュ カルシネール(Calcinaire) 赤

  コート・デュ・ルーション・ヴィラージュ ムンダダ 赤

   コート・デュ・ルーション・ヴィラージュ 赤

  VDP コート・カタランヌ ジャス(Jasee) 白

  VDP コート・カタランヌ VV 白

  VDP クーム・ジネスト(Coume Gineste) 白

  VDP デ・コトー・ド・フヌイユド(Fenouilledès) ラ・スーラ 赤・白