速報 オスピス・ド・ボーヌ 2005 その2

144eme Vente aux Enchères des Vins des Hospices de BEAUNE

〜 オスピスのキュヴェとは? 〜

  (Beaune 2004.11.20)


 



 

「オスピス その2」でも述べたが、古くは1459年から存在するオスピスの畑でありながら、キュヴェ名を言われてもピンと来ないのが実情だ。

そこで今回は、これを読んで頂いている方の手元にある(かもしれない)オスピス・ボトルの、ほんの参考になればと思い、各キュヴェの簡単な経緯を記載することにした。また歴史的なキュヴェの経緯と共に価格を表示するのは余り上品ではないが、今年の最高落札価格(一樽あたり、キュヴェにより最低落札価格とかなりの差があり)も並記。

(参考資料:オスピス側からのプレス用資料。アルファベット順に表記。文中にある面積の単位ウーヴレは耕作人が1日に作業できる面積で、428平方メートル)

 

オークセイ・デュレス Cuvée Boillot

1998年、アントワネット・ボアイヨが、自身のドメーヌの中からオークセイ・デュレス、ムルソー、ヴォルネィを寄進

2800ユーロ

 

バタール・モンラッシェ Cuvée Dames de Frandres

1998年にオスピスが7ウーヴレを獲得。昔施療院で働いていた女性たちに敬意を表して「ダーム・ド・フランドル」と命名

52000ユーロ

 

ボーヌ Cuvée Chancelier Nicolas Rolin

「ホテル・デュー(神の家)」と呼ばれるボーヌ施療院を、1443年に建造したニコラ・ロラン(ブルゴーニュ公国フィリップ公の財務長官であり、広大な土地を持つ領主であった)を表したキュヴェ。私財を投じたこの慈善事業は、多くの賛同を集めて現在に至る。1963年、マダム・モーリス・ペルゴアがその夫(ドミニィ市長)を記念し、遺産として畑を寄進したため、キュヴェの量は増えた

2800ユーロ

 

ボーヌ Cuvée Guigone de Salins

マダム・ギゴーヌ・ド・サランはニコラ・ロランの妻であり、やはり私財を投じてボーヌ施療院の建造に尽くしただけでなく、生涯を通じて夫が遺した仕事に従事した。毎年慈善目的で落札される「カタログ外」の一樽がこれ。

61000ユーロ(カタログ外)、他樽は4400ユーロ

 

ボーヌ Cuvée Pusseau−Deslandes

オスピスの慈善活動(3世紀に渡り経済的に恵まれない人たちに還元され続けられた)の、基礎を築いた貴族(夫婦)の名前を冠したキュヴェ

2800ユーロ

 

ボーヌ Cuvée des Dames Hospitalières

施療院を語る時、貧しい患者に献身的な看護を施した女性たちの存在は非常に重要だが、彼女たちの中には遺産を施療院の活動に託す者もいた。その女性たちに敬意を表したキュヴェ

5200ユーロ

 

ボーヌ Cuvée Betault

王室書記官であったユグ・ブトーとその息子ルイは、看護婦を増員するだけでなく、男性患者の間「サン・ルイ」を建造。この国家的な支援は施療院の増設に繋がった

4000ユーロ

 

ボーヌ Cuvée Brunet

5人のこの家族は長期に渡って、遺贈を続けた

3400ユーロ

 

ボーヌ Cuvée Maurice Drouhin

モーリス・ドルーアン(メゾン・ドルーアン2代目)は、1941−1955年にオスピス・ド・ボーヌの副行政官を務める。またメゾン・ドルーアンはオスピスに、自社畑を寄進していることでも知られている

2600ユーロ

 

ボーヌ Cuvée Cyrot−Chaudron

1979年、シロ・ショードロン夫妻はボーヌ病院への寄付のために、ボーヌとポマールにある畑を寄進

4200ユーロ

 

ボーヌ Cuvée Clos des Avaux

これらの畑は、オスピスの慈善活動以前に存在

4800ユーロ

 

ボーヌ・グレーヴ Cuvée Pierre Floquet

1977年、ピエール・フロックは何区画かをオスピスに寄贈、その後2003年11月までこれらの畑は借地であったが、現在はそのうち0,77haを、ボーヌ・プルミエ・クリュとしてオスピスが生産

5000ユーロ

 

クロ・ド・ラ・ロッシュ Cuvée Georges Kritter

1991年、マダム・ジョルジュ・クリテールの遺産と遺志を受け継ぎ、この偉大な区画を取得

18000ユーロ

 

クロ・ド・ラ・ロッシュ Cuvée Cyrot−Chaudron

1991年、シロ・ショードロン夫妻は、マダム・ジョルジュ・クリテールの遺産を得て、オスピスの畑を拡大するために寄付を行う

18500ユーロ

 

コルトン Cuvée Charlotte Dumay

シャルロット・デュメイは1584年、アロース・コルトンに広がる100ウーヴレもの畑を寄進

7000ユーロ

 

コルトン Cuvée Docteur Peste

父の強い要望を受け継いで、施療院で医師として務めたペスト氏を表して。畑はアロース・コルトンにプルミエ、グラン・クリュを擁したマダム・ラ・バロンヌ・ベイが寄進したもの。1965年、マダム・マルセル・フールミエが夫と、叔父・叔母にあたるテュヴノ=ビュシエール夫妻を記念し寄付を行ったため、キュヴェの量は増えた

6300ユーロ

 

コルトン・シャルルマーニュ Cuvée Francois de Salins

施療院の誠実な庇護者であったフランソワ・ド・サランは、1745年、アロース・コルトンとサヴィニィ・レ・ボーヌにあった自身の畑を寄進

12000ユーロ

 

コルトン・シャルルマーニュ Cuvée Charlotte Dumay

シャルロット・デュメイによって寄進された畑の一部は(上記コルトン Cuvée Charlotte Dumay参照)、1997年に引き抜かれ再植樹された。2001年以降、リュー・ディ(小区画名)「レ・ルナルド」のシャルドネが、コルトン・シャルルマーニュとして生産

15000ユーロ

 

コルトン・ヴェルジュレス Cuvée Paul Chanson

1974年、ポール・シャンソンは、ピノ・ブランとシャルドネが植樹された畑の一区画を寄進

14000ユーロ

 

マジ・シャンベルタン Cuvée Madleine Collignon

マルセル・トーマス=コリニャン夫妻を記念して行われた寄付によるもの

25000ユーロ

 

ムルソー Cuvée Jehan Humblot

ボーヌの公証人であったジュアン・ユンブロは1600年、患者たちの支援を熱く願い、ラボルド・オー・ボーヌにある自身の領地を寄進した

7200ユーロ

 

ムルソー Cuvée Loppin

ロパン家の多くが各時代に渡り、施療院の施設拡充のために寄付を続けた

5800ユーロ

 

ムルソー Cuvée Goureau

マドモワゼル・グールノーは、オスピスの慈善活動を支援するため、マスやその他数カ所の地所を寄進した

4200ユーロ

 

ムルソー・シャルム Cuvée Louis de Bahezre Lanlay

航空電信視学官であったルイ・ド・バエズル・ド・ランレイは、全財産をオスピスに寄付した。この寄付により、初の外科室と養老院が建造された

7500ユーロ

 

ムルソー・シャルム Cuvée Albert Grivault

1904年、グリヴォー夫妻は患者の救済ために、一つの畑を寄進した

6800ユーロ

 

ムルソー・ジュヌヴリエール Cuvée Baudot

古美術を専門としていたボード氏とその家族は、1880年、その貴重な骨董コレクションを寄付、慈善活動の資金に割り当てられた

8000ユーロ

 

ムルソー・ジュヌヴリエール Cuvée Philippe Le Bon

フィリップ善良公は、ニコラ・ロランの慈善活動を、全面的に支持した

7500ユーロ

 

モンテリー Cuvée Jaques Leblin

ルブラン夫妻は、前世紀より、施療院の活動に重要な寄付を続けた

1700ユーロ

 

ペルナン・ヴェルジュレス Cuvée Rameau−Lamarosse

歴史あるラモー=ラマルス家の末裔は、彼らの家とブドウ畑を、オスピスと出生した村に寄進した

1600ユーロ

 

ポマール Cuvée des Dames de la Charité

施療院に勤務した女性たちの、老人や孤児への献身的な介護に対しても、女性たちの中から支援の寄付が募った

12000ユーロ

 

ポマール Cuvée Billardet

ビリヤード氏とその娘たちや孫娘たちは、外科部門を組織化することに尽力した。

4600ユーロ

 

ポマール Cuvée Raymond Cyrot

ポマール Cuvée Suzanne Chaudron

1979年、シロ・ショードロン夫妻はボーヌ病院への寄付のために、ボーヌとポマールにある畑を寄進

5200ユーロ

 

プイィ・フュッセ Cuvée Francoise Poisard

1994年、フランソワーズ・ポアザールの死に際し、家屋と土地がオスピスに寄贈されたが、うち4haがプイィ・フュッセに位置する

3200ユーロ

 

サヴィニィ・レ・ボーヌ Cuvée Arthur Girard

1936年、アルチュール・ギラールは、その財産の一部をオスピスに遺贈した

3600ユーロ

 

サヴィニィ・レ・ボーヌ Cuvée Fouquerand

1844年2月8日、ドニ・アントワーヌ・フーケランはオスピスに寄付を行ったが、それ以前(1832年5月1日)にドニの妻・シャルロット・クロディーヌ・ボナールも遺言の中で、慈善への支持を示していた

1700ユーロ

 

ヴォルネィ Cuvée Blondeau

この気前の良いフランソワ・ブロンドーは、オスピスの慈善活動のために、ヴォルネィ、ポマール、ブリニィ、ボーヌにある地所を寄進した

5000ユーロ

 

ヴォルネィ Cuvée Gééral Muteau

この慈善家が行ったラボルド・オー・シャトーのオスピスへの寄付も、とても重要なもの

3600ユーロ

 

ヴォルネィ・サントノ Cuvée Jehan de Massol

1669年2月6日、公国の高等法院参事官はその遺言書で、「私の残された遺産の全てを、ボーヌ大病院の恵まれない患者たちに託す」と延べ、ムルソー、ドミニィ、トラヴォアジィの地所が寄進された

4500ユーロ

 

ヴォルネィ・サントノ Cuvée Gauvain

1804年、ベルナール・ゴーヴァンは彼の財産全てを慈善活動に遺贈し、妻も亡き夫の遺志を受けて数年後に、幾つかの地所をオスピスに寄進した

5600ユーロ