Philiponnat

〜クロ・デ・ゴワセは、本当にクロだ〜 

(Mareuil−sur−Ay 2005.6.10)

 


 

 

RMが台頭して私自身の関心もそちらに向かった後、「さて、RMの個性を知った後に飲む大手メゾンとは、今、どう感じるのだろう?」と思うようになった。そして大手メゾンをもう一度敢えてトライし始めた時に、幾つかのメゾンには失望し、幾つかのメゾンにはRMを多く試した後だからこそ見える、「大手の揺るぎない実力」を感じた。

 そこで、フィリポナである。個人的には凄く縁のあった時期もあったが、最近はなぜか口にしていない。悪い印象を持ったことは全く無く、かの「クロ・デ・ゴワセ」を口にする機会も稀だったが、では「クロ・デ・ゴワセは、シャンパーニュのロマネ・コンティだ」と言われると、それは何故なんだと疑問を投げかけてみたくもなったりする。ただ兎に角、このメゾンのシャンパーニュは昔に良く楽しんだからこそ、今改めて、メゾンを訪問してみたかったのだ。

 

ロマネ・コンティだ、と例えたのは誰?

 ここでまずは簡単に、「クロ・デ・ゴワセ」を振り返ると、フィリポナが取得したのは1935年。マルイユ・シュル・アイ(5,5ha、ヴァレ・ド・ラ・マルヌ地区)に位置するこの畑は、「モノポール」という概念が稀なシャンパーニュにおいて、クリュッグの「クロ・デ・メニル」と共に、モノポール表記が許されている。

 

 「クロ・デ・ゴワセはメゾンから100メートルほどのところにあるので、まずはクロを見に行きますか?あの畑の凄さを知るのには、昼下がりは良い時間ですからね」。

クロ・デ・ゴワセの凄さとは何かをしりたい、と申し出ると、輸出部門の責任者であるグラヴロー氏はクロ行きを提案した。クロまでの短い途上、通りの隙間から見える山肌は白みがかったチョーク層。ワイン産地の村の山肌や家壁を見て、大まかなその土地の土壌を想像するのは結構楽しい。そして突然、切り立ったクロ・デ・ゴワセが左手に目に入った。

「ゴワセは、シャンパーニュのコンティ」に首をひねっていた私も、少なくとも畑の持つオーラというか、シャンパーニュの中では異質な風景に「約束された土地」を感じる。ピノノワールが植えられた斜面の向きは完璧な「真南」で(南東側に向かう斜面はシャルドネが植えられている)、しかも45度という傾斜度。ここはコート・ロティ、コルナス、それともバニュルスか?と言いたくなる。しかし6月の風自体の涼しさは決して南仏ではなく、最後に他産地で思い浮かべた畑は、サンセールの「モン・ダネ」だった。

クロ・デ・ゴワセの区画は全部で14に分かれています。これはラ・デュルという区画で、ラ・デュルとは「きつい」という意味。つまりクロ・デ・ゴワセでの労働の厳しさが、区画名になったんですね」。

偶然にも「モン・ダネ」も古い言葉で「労働がきつい山」という意味だ。作業人が嫌気をさすほどの斜面とは、働いていない人にも何かを感じさせるものである。ちなみに機械も使えないこの区画で通年の作業をする人は、基本給金も異なるとのこと。また区画の下部には「ネット張り」の設備があるがこれは、

「収穫時のみにこのネットを張るので、鳥よけと思われがちですが、これは収穫人の転落よけネットです。落ちたブドウなどで足が滑りますからね」。

 クロ・デ・ゴワセはこの斜面の向きと角度のお陰で、クロ・デ・ゴワセのすぐ上部にある区画よりもブドウの成長が1週間も早いと言う。実際、斜面上の区画や、マルヌ川を挟んで対面にある数時間前までいたウイィでは稀だった開花が、既に5分咲き。風は心地良くとも、直角度で灼かれている肌を感じる。もしコンティより風情に欠くならば、それは絶壁下を走る道路や(畑との高度差はかなりある)、マルヌ川の対岸が真っ平らな野原(何かの畑?)であること。しかし道路はさておき、この真っ平らな対岸も、春の霜害やその後のカビ害をまねく湿度を含む風が、畑に吹き溜まることを防ぐことに役立つので、クロ・デ・ゴワセは天災が少ないのだという。

 そしてマルヌ川だ。川は産地によって「斜面の照り返しによる日照量の補完や、保温」や、「霧の発生」としてその役目を変えるが、逆に一定の涼しさとなることもある。北の産地では南東向きの斜面は好まれるが、ただ単純に暑いだけでは、シャンパーニュに求められるフィネスは得られない。その点で「涼しさ」として、川があってちょうど緩和されるのである(これは京都などの夏の納涼風物詩、「床」と呼ばれる川沿いの茶屋などと考えは同じだろう)。

 

 「フィリポナによる取得直後、クロで囲まれたこれらの区画は『ヴァン・ド・ゴワセ』という名前でした。その後あるフランス人ジャーナリストが畑に来て、『このクロで囲まれた孤高の風景は、まるでブルゴーニュのグラン・クリュのようではないか!』と驚きました。なぜならシャンパーニュというのは、3種のセパージュを適応する場所に植えて、後は安定しない天候の不利をアッサンブラージュのテクニックで補ってみせる印象が強かったので、一つの区画のみを特別視することは少なかったからです。

 しかしクロ・デ・ゴワセが他メゾンのプレスティージュ・キュヴェと比べて、生産頻度が高い理由もここにあります。ブルゴーニュなら、ある畑が生産を行わないミレジムは珍しいでしょう?ミレジムによって評価は上下しますが、逆にミレジムの違いとしてこのクロを楽しめるシャンパーニュを送り出せると思うからこそ、よほど問題が無い限り、『クロ・デ・ゴワセ』の名前で出してあげたい。その点では一般的なワインと考えは近いと言えるでしょう」。

 だがここで、小さな行き違いが。シャンパーニュのコンティ、と言われる所以もこのクロの特殊性に?と尋ねると、「それは日本人が、言ってくれたことではないのですか?」。むむむ、だ。私も「フランス人」から「シャンパーニュのコンティと言われているボトルを探してくれ」と頼まれたことがあったので、この日本におけるファンな常識(?)はフランス発と思いこんでいたが、輸出責任者が戸惑うのだから、この賞賛の出所は現時点では分からない。

ところで、酷暑だった2003年。通常でも太陽を真っ先に享受しているクロ・デ・ゴワセ、過剰な日照量と川の涼しさは、どちらが影響を与えたのだろう?

「正直、暑すぎました。2003年は霜害が珍しくあり、残った芽は必死で全てを吸収しようとした時点で房は既に凝縮に向かうのに、その後は素晴らしすぎる日照と温度。ジャムのような濃いブドウは、長熟には向きません。川の力よりも熱が圧倒的すぎた」。

 その2003年にも、株の植え替えは行われたようで、しかし通常アペラシオンを名乗るためには畑で3年、フィリポナにおけるクロ・デ・ゴワセに相応しいブドウは最低で更に10年が必要とのこと。そして蔵出しまでメゾンでまたもや10年を要するので、消費者が一昨年に植えられたブドウ由来のクロ・デ・ゴワセを口にするのは、最速(?)で今から20年以上先(2026年)のこととなる。クロ・デ・ゴワセやワインに限らず、一部のアルコール類を味わうことは、時間なのだと妙に感慨深くなってしまった。

 

通りから見える山肌からして、チョーク層。 区画毎に、区画名を表記した小さな碑が。「ラ・デュル」。働きたくない(?)斜面である。


 

マルヌ川の対岸の畑で、最も早い開花を迎えたブドウがこの程度(シャルドネ・左)。そしてクロ・デ・ゴワセのピノノワールが右。セパージュ的にも開花の速さはシャルドネ→ピノムニエ→ピノノワールなので、ここのピノノワールがいかに太陽を享受しているかがよく分かる。


 

写真では伝え辛いが、視覚的には転げ落ちそうな怖さがある(転落防止ネットがあって、正解だ)。 斜面上部になるに連れて傾斜は緩やかに。クロを境に左側がクロ・デ・ゴワセだが、ここに1週間という成長速度の違いが出るというのだから、斜面の力は恐ろしい。

 

テイスティング

 

グラン・ブラン 1985。確かにボトル内のシャンパーニュの色には熟成を感じるが、グラスを見る限り、20年も前のミレジムに思えなかったのだが、、、。

テイスティングは今回の訪問の目的、「2004年とは?」の為に、瓶内二次発酵前の区画毎の試飲、そして瓶詰め後である。

 少なくない試飲数の中で、2004年への信頼感と、元となるワインの品の良い完成度の高さを感じたが(これはフィリポナが大手メゾンとしては規模が小さくとも、老舗の培われたレベルだと思う)、クロ・デ・ゴワセがワインに近いともっとも感じたキュヴェの一つが、「近所のレストランとメゾンの好奇心」の為に仕込んでいるという、クロ・デ・ゴワセ由来のコトー・シャンプノワーズ(シャルドネ100%)だ。チョーク層から生まれるこのシャルドネは、ブラインドなら「石灰質のミネラリーなムルソーか、もしくはシャブリのグラン・クリュか」といった風情で、熟したグレープフルーツのような苦みを伴った鮮烈な酸味と、結局はブルゴーニュには例えられない質のミネラルがある。アッサンブラージュからは外されるこのキュヴェではあるが(素晴らしければ何でも混ぜれば良いのではない)、その近所のレストランやらで、いつの日か飲んでみたいと思う。

 そして今回のお題であるクロ・デ・ゴワセ 1992年(もちろん、瓶詰め後だ)。とろけるような洋梨、ホワイト・チョコ、咲き始めた白いユリ、白トリュフの予感などなど、畑を見た後では感動をリアルに感じるが、ここで敢えて書きたいのは、「グラン・ブラン 1985」である。

 ドサージュをしないまま熟成させておいたこのグラン・ブラン(シャルドネ100%)はブラインドで出された。熟成による褐色化を感じさせないワインは、私自身は正直に言って、香りにも顕著な熟成香を感じなかった。果実味が十分に残り、そこにナッティなニュアンスがある様はリッチなムルソーに泡が溶け込んだ、という感じだ。そこでカーヴでのワインの熟成は時間の経ち方がゆっくりだと頭で分かっていても、敢えて2000年くらいだと思うと答えたのだが、答えは1985年。「門出のリキュール」を施されていないという意味では未完成なシャンパーニュなのだろうが、その前に単純に、ワインとして素晴らしい。シャンパーニュの熟成能力には時折度肝を抜かれるが、まさにこの日に飲んだグラン・ブランはそれであった。

 

少々重複するが、訪問を終えてクロ・デ・ゴワセは「シャンパーニュのコンティ」と言われるべきか?をもう一度考えた。そして答えは畑の特殊性ということ以外は、良い意味でノンだと思う。畑が特殊だからこそ、ゴワセ固有の魅力的な特性が生まれるのであって、それは何かに比べられてどうこう言われる類のものではないだろう。もちろんこの場合コンティは褒め言葉なのであるが、言葉が走りすぎるゆえに、コンティを飲んでいない人たちからすら「コンティってほどじゃ、ないよね」などと言われようなら、それはゴワセにとっても迷惑な話になりかねない。