Bardeaux Primeurs 2004

〜ボルドー・プリムール 2004レポート その2〜

(Bardeaux 滞在期間2005.4.4〜4.9)

 

 

 

クリュ・ブルジョワについて

 今回は昨年よりクリュ・ブルジョワの試飲にも恵まれた。2003年という特殊なミレジムが、私にとっては最初のプリムール参加であったので、「今年のクリュ・ブルジョワは云々、、、」と安易に比較することはできない。

 しかし単純に「ワイン」として見た時、私は2004年のクリュ・ブルジョワ全般に好印象を持っている(かつ有名でないシャトーの、ぼちぼち発表が始まったそれらの蔵出し価格は案外と廉価だ)。なぜならボルドーのテロワールを考える時、それがブルゴーニュの小規模な生産者の持論とは比べ辛い部分があるとしても、2004年は「確かにオー・メドックだ」等といった「らしさ」を存分に感じられるからだ。

ここで気になるのは「2004年度のボルドーにおける収量の高さ」である。だが「収量は高いけれどなぜか果汁成分の科学的分析値は総体的に悪くない」という点では、2004年はシャンパーニュ地方も同様で、同時にシャトーによっては収量がごく例年並みである、もしくは減の場合もある。要するに味覚で良いと感じたからには、例え収量が多かろうと、生産者と醸造者の聖域である経験値に、素人が必要以上に疑問を投げかけるべきではないと最近は思い始めている。

 最終的に「過剰なお化粧」が決して似合わないであろう、2004年というミレジム。非常に失礼な言い方をすれば、多大な新樽や果汁濃縮機器などへの投資が「出来ない」シャトーでは、「素直に土地の美しさが」楽しめるワインへと、自然に導かれたのではないだろうか(フェノール類などの抽出が醸造過程でとてもスムーズに進んだことも2004年の特徴、というのも多く聞かれた意見だ)。もちろん畑での仕事は例年通りに、ブドウと天候を含めた「自然の摂理」を最低限、尊敬する必要はあっただろう。

 

 ちなみに以前、「浸透膜の理論を活用した果汁濃縮機」を販売する会社のパンフレットを見たことがある。そこには「私たちの顧客」という欄もあり、有名かつ評価の高いシャトーの名前が延々と書き連ねられていた(WORD3枚分くらい、と言えば想像して頂けるであろうか?)。ワインは美味しく、そして害がなければ良い、というのは一つの結論ではあるが、「人為的な介入を極力抑えた醸造」を実践する生産者達やそのワインに心惹かれる者としては、そのリストは少々ショッキングであったことは事実である。

 

白ワイン

グラーヴ、ペサック・レオニャンの試飲会場となった、シャトー・スミス・オー・ラフィットにて、マダム・カティアールと醸造責任者、ファビアン・テットガン氏。マダムの素顔は、スポーツと動物を愛する女性でもある。この一面は6/11発売「猫より」(日本出版社)でも紹介予定なので、シャトーの風景と猫に興味のある方(?)は、ぜひ、ご覧ください!

 「2004年、辛口の白ワインは成功している」。多くの媒体で書かれていることだが、私も賛成だ。グラーヴ、ペサック・レオニャンの試飲会場では、アルコール(糖度)、酸、ミネラル、アロマのバランスが素晴らしい白ワインが多く、「これはちょっと、、、、」と思った記憶が全く無い。極端な例を挙げれば、オー・ブリオンの白。美味くて当たり前、と言われそうだが、ユリや白いバラが咲き乱れるような香りを嗅いだ瞬間、同行者とにんまり(ウットリ?)顔を見合わせたものである。

 しかし、ソーテルヌ&バルザック。2003年、この地の白ワインは輝かしい成功を収めたが、今年はまさにシャトーによりけりで、全体的に貴腐香が乏しすぎる。時には前述のペサック・レオニャンのワインの方が貴腐香を伴っているのではないか、甘味が乗っているのではないかとすら思われるワインもあった。それでも生まれたてのワインは単純に心地良かったりもするが、ソーテルヌ&バルザックの持ち味はある程度の熟成に耐えるデザート・ワインなのだから、この点では全く物足りない。そんな中で気を吐いていたシャトーはレイヌ・ヴィニョーやドワジ・デーヌ、カイユー、ド・ミラ、ダルシュなどであった(ディケムは試飲していない)。

 

マルゴー2003年の謎

 昨年のプリムールで、最も感動したワインが、シャトー・マルゴーであった。当時のコメントをここにもう一度記すと、

 

― スミレ、赤〜黒のバラが溢れんばかりにあるのだが、それらはまるで香水のように、とんでもない密度と伸びを伴っている。赤〜黒系の果実の複雑性も見事。それらの華やかさを、ミネラル、湿った土、苔、杉といった深い森のイメージが、しっとりと追いかけてくる感じ。香りの層の深さに脱帽である。

 アタックは一瞬柔らかく感じられるが、それは余りにもタンニンが細かいからなのかもしれない。2−3秒もすると次第に細かくポテンシャルを感じさせるタンニンが三次元的に広がっていくのだが、決して口蓋のどこかにベッタリと引っ付いてしまうことはない。

余韻には細かなタンニンや、それとは感じさせない上品なミネラルや酸が、長く心地よく残り続ける。緻密であればあるほど体重を感じさせない、最高の例の一つであると思う。乾きなどの痕跡は微塵も見せずに、エレガンスとフィネスのイメージだけを口と鼻に残していく。今回の試飲の中で、ベスト2の一つ。

 

で、ベタホメ(ベタ惚れ)だ。

 

 シャトー・マルゴーでのプリムール試飲は、毎回前年のミレジムも提出してくれているようで、今回は1年ぶりにこの2003年とご対面したのだが、むむむ、、、?であった。バラのニュアンスが既に「ドライ・フラワー」になっていたり、前回には感じられなかったスパイスのニュアンスが妙に強かったり、はっきりとしたスー・ボア感があったりで、それは確かに熟成が進んでいる証なのであるが、これでは熟成が早過ぎはしないだろうか?むしろ飲み頃が始まったような印象すら受け、今後の熟成能力に不安が残る。なぜなら勿論、樽熟成中のワインの状態は一定ではないが、一旦熟成が進んだワインが、熟成を逆行するとは考えにくいからだ。試飲時には私の他に二人の同行者がいたが、その二人もマルゴーの今の姿に真剣に頭を抱え悩んでいた。昨年にポテンシャルを感じた分、これは自身のテイスティング能力も否定することに繋がるのだから、悩むのは当然だ。

 後日、同行者の一人からメールが来た。

 

― パーカーの2003年マルゴーに対する評価は、昨年と変わらず、96−100でした。私たちが試飲したあのマルゴーは、一体何だったのでしょう?

 

 本当に「一体何だったのでしょう?」だ。昨年の自分のコメントと、パーカーを信じたいところなのだが、、、。

 

最後に

 今回のプリムールも昨年に引き続き、パリのワインショップ「カプリス・ド・ランスタン」のラファエル・ジムネス氏に同行した。移動やオーガナイズの点でたいへん助けて頂いている以前に、氏と同行する喜びは「議論」。もっとも氏にとって私はフランス語、ボルドーワインへの理解ともども全く役不足なのであるが、氏が持つワインへの経験と愛情が、厳しさと理論を伴って言葉に変わる時、私もいつも以上にワインに真摯に向き合うことを迫られるのだ。あの「Mondovino」のジョナサン・ノシター監督に、「パリで最後のカーヴ」(もちろん、最上の讃辞である)と称されたカプリス・ド・ランスタンを支える氏と、もう一人のカヴィスト・ジェラール氏。彼らの意見には耳を真剣に傾けるべきだと、彼らと話す度に思う。

 ちなみにラファエルは10年来ボルドー・プリムールに参加し続け、各シャトーの評価を「顧客のためのプリムール評価」という資料にして、まとめている。それだけでなく、氏のカヴィストとしての仕事の集大成を、おそらく近々、別の形で紹介できることになると思う。しばしお待ち頂きれば幸いだ。

 またパーカーの最新ポイントやミレジム情報など、多大な資料とアドバイスを提供して頂いた今回のもう一人の同行者にも、ここに深く感謝の意を述べたい。

サンテミリオンの街にて。このレストランは試飲も開催しているようで、GCC須藤氏の御用達でもある。 シャトー・コンセイヤントにて、ありがちな写真(ブドウとワインの色調が似ていたので、つい、、、)。1996年はぬめるような官能が生まれ始めたばかり。