Veuve Cliquot Ponsardin 〜2004年は、シャンパーニュの希望の星?〜 (Reims 2005.7.8) |
「豊作にして、素晴らしい品質」。これがシャンパーニュ地方における、一般的な2004年ミレジムの評価である。
このHPでも何度か触れたが、当初は「豊作」と「高品質」が相反するように感じられた。またとても意地の悪い言い方をすれば市場の追い風を受けつつ、2003年の収穫減だけでなく、常に不安定な収穫に悩まされるこの地方だ(理由は春の遅霜と、初夏の雹害である)。豊作時にストックを蓄えつつ、シャンパーニュを支える一つの要素「イメージ」も守っておこう、というような地域レベルでの戦略があるのでは、とさえ思ったものである(実際に2004年は規定の収量が引き上げられた)。
しかし現地での試飲を進めながら情報を集めていくと、本当に「豊作にして、素晴らしい品質」であるようだ。理由は生産者によって別れるが、最も多く聞かれる声は「シャンパーニュでは、低収量による凝縮のみが必ずしも吉と出るわけではない。潜在アルコール度数も11度と低く、アロマの成熟を待っても収穫しても、2003年のような特殊なミレジムを除けば常に高い酸が残る。言い換えればシャンパーニュらしいフィネスに通じる酸とアロマが収穫時のブドウに、きちんと存在することが先決だ」。そして複雑なアッサンブラージュと製造工程ゆえに、シャンパーニュは私にとってキュヴェ・テイスティングに対する発言が最も慎重になる地方であるが(アッサンブラージュ後の姿が想像できないのである)、幾つかのメゾンでの2004年ヴァン・トランキル(アッサンブラージュ前の、非発泡性ワイン)試飲では、確かに、高音で奏でるような酸のポテンシャルとミネラル美に驚かされることが多かった。少なくとも元のワインが美しくなければ醸造力を駆使しても限界があるはずである。
「ヴァン・ド・レゼルヴ」という概念があるシャンパーニュだ。ストックした優秀なキュヴェは他ミレジムを補うことが出来るので、2004年はまさにこの地方にとって優等生なのかもしれない。そこで物事を一般的に考えるために選んだのが、当HPでも2回目となる大手メゾン、ヴーヴ・クリコである(参照:生産者巡り 「Veuve Cliquot Ponsardin 〜醸造責任者の一人、フィリップ・チェフリ氏に聞く〜」)。なぜなら味わい・供給量ともに不安定さを市場に許されないのが大手メゾンである中、このメゾンは常に「味わいのアベレージ・ハイ・ヒッター」であり、そこには当然ながら正確かつスタンダードなミレジム分析があるのでは、と思ったからだ。
ヴーヴ・クリコの場合 |
フィリップ・チェフリ氏曰く、
「2004年は8月の時点で、通常の手入れをしながらも畑のブドウはいつもより多く、確かに正直、杞憂はあった。だが収穫時の糖度やPHの分析値はごく普通で、ブドウはとても健康な状態だった。これは推測だが結果的に殆どのシャンパーニュ・メゾンで2004年は、ミレジメを生産するのではないだろうか。醸造においてはマロラクティック発酵の開始が例年より1ヶ月ほど遅く、これに関しても当時は少し不安にはなったものの、最終的にはマロラクティックは順調に進み、全く問題となるものではなかった」。
また氏は豊作と高品質が成立した過去のミレジムとして、1990年、1982年、1970年を挙げる。
そこでテイスティングである。
テイスティング・ルームにて、フィリップ・チェフリ氏。 |
テイスティング |
〜 ベース・ワイン 2004 〜
ピノ・ムニエ ジュィ・レ・ランス(モンターニュ・ド・ランス)
ピノ・ノワール ヴェルジィ(モンターニュ・ド・ランス)
ピノ・ノワール アイ(ヴァレ・ド・ラ・マルヌ)
シャルドネ ヴィエール・マルムリィ(モンターニュ・ド・ランス)
シャルドネ メニル・シュル・オジェ(コート・デ・ブラン)
〜 ヴァン・ド・レゼルヴ 〜
ピノ・ノワール アイ(ヴァレ・ド・ラ・マルヌ) 2002
シャルドネ クラマン(コート・デ・ブラン) 2002
シャルドネ ヴィル・ドマンジュ(モンターニュ・ド・ランス) 2001
シャルドネ オジェ(コート・デ・ブラン) 2000
ピノ・ノワール アイ(ヴァレ・ド・ラ・マルヌ) 1998
上記を含むヴァン・トランキル(発泡前のワイン)で構成された「暫定」イエロー・ラベル
「暫定」ミレジム 2004
〜ボトル・テイスティング〜
イエロー・ラベル
ラ・グランダム 1996
チェフリ氏の2004年に対するコメント、「テロワールが明確に顕れたミレジム」は、私も強く感じたことだ。もちろん私はヴーヴ・クリコが毎年擁する、70種類ものキュヴェの性格を把握しているわけではない。しかしまずどのキュヴェも試飲毎にはっきりとした違いがあり、その違いはセパージュや土壌の違いを伺いながら地図に照らし合わせていくと、味覚的に非常に納得のいくものだった。極端な例を挙げれば、グロセイユなどの酸の高い赤い果実が溢れつつぬめるような滑らかさを持つアイのピノ・ノワールと、白いバラやユリと言ったフローラルさと鋭利な酸を併せ持つメニル・シュル・オジェのシャルドネに、違いを見出さない人はいないだろう。また同じシャルドネでもヴィエール・マルムリィは、酸の種類がパッション・フルーツなどといったトロピカルフルーツを思わせる親しみ易さのあるもので、とりつく島も無いが深遠なメニルのそれとは全く違う(この場合、この「とりつく島の無さ」が熟成のポテンシャルであり格だと考えて良いはずだ)。
また氏にとって今世紀に入って最も「記念碑的な」2002年ミレジムから1998年までに遡るヴァン・ド・レゼルヴに至ると、ミレジムの違いや熟成が加わり(と言ってもどのキュヴェも信じられないほどに若々しく、1998年のアイで、やっとミネラルの質感がトロリと重みを増してきたくらい)、シャンパーニュとはワインなのだ、と再認識する。このメゾンは何百というワイン(個性)をアッサンブラージュされるその日まで、経時的に見守っているのだ。
しかし醸造家ではない素人である私が、マーケンティングも無視して持つ素朴な疑問に、例えばこの素晴らしい「メニル 2004」のみでシャンパーニュを造ろうとは思わないものか、というものがある。
「造ることは可能ですが、例えばメニルの素晴らしさが堅牢なミネラルならば、それは『強すぎる』とも言えます。しかしアッサンブラージュは、その堅牢さを『一つの役割』として全うさせる。各々のキュヴェが美しいバランスと個性を持っていることとは必然ですが、シャンパーニュはアッサンブラージュによって、より美しいバランスと個性を持つべきです」。
氏のこの言葉を確信することが出来た試飲の一つは、約3年後となる出荷時の姿を想定してアッサンブラージュされた、「暫定」イエロー・ラベルを試飲した時だ。何十種類のキュヴェからなるイエロー・ラベルである。味わいの要素が複雑になっていることは言うまでもないが、余韻に心地良い苦みが残り、この苦みは個別のキュヴェでは殆ど感じられなかったものだ。また「苦み」と言えば聞こえは悪いが、この苦みは味覚的にはコハク酸系の旨味に通じて感じられるもので(火を通した貝が持つ甘苦味に似ている)、まるでアッサンブラージュがこの隠れていた旨味を引き出した(調和させた)ように感じられた。実際、偉大なワインと言われる白ワインに見られるこの類の苦みは、シャンパーニュでも歓迎されるものであるようだ。
また最新のミレジムが1996年となる「ラ・グランダム」。クレーム・ビュルレに赤い果実を入れたような甘やかさや、多種のナッツ類のニュアンスはミルキーな愛らしさがありながら、スズランからバラまである豊かな花の香りの品、口の中で盛り上がるように広がっていくヴォリューム感と同時に、非常に求心力のある酸とミネラル。故クリコ夫人の名を冠した「ラ・グランダム(偉大な女性)」とは、本当にキュヴェ名と味わいが一致していると思う。
結局2004年のミレジムを舌で確認することもさながら、再度このメゾンのアッサンブラージュの妙を強烈に感じるテイスティングとなった。
この原稿を書いているのは訪問から2ヶ月も経った9月上旬。そろそろ2005年の状況も気になる時期である。そしてこのメゾンを尊敬する私としては、2005年を知るためにやはり来年の同じ時期に、このメゾンを訪れることを確信している。