番外編&速報 オスピス・ド・ボーヌ
Vente aux Enchères des Vins des Hospices de BEAUNE 〜2003年は高値に推移、一樽あたりの平均落札価格は前年比21,37%アップ〜 (Beaune 2003.11.16) |
競売会場全景 Clickすると大きくなります |
あいにくの雨の中行われた143回オスピス・ド・ボーヌの競売会。しかし競売は、終始高値で推移。ゲスト(なんと俳優のジャン・レノ氏と、映画製作プロデューサーであるマレーヌ・ジョベール女史)の豪華さもあり、会場の外は夕方まで傘を見学人で溢れていた。久々の活気を取り戻す結果となったようだ。
ちなみに今年は日本人の一般見学人の数も例年より多く、その「熱心さ」は翌日の地元紙にも好意的に報道されている(私が乗ったディジョンーボーヌ間のローカル線も日本人貸し切り車両と化していた)。
一樽あたりの平均落札価格は前年比21,37%アップ |
「酷暑のミレジム」ゆえに価格が注目された2003年であったが、最終結果は一樽当たりの平均落札価格が21,37%アップとなった。以下に数字を挙げよう(資料はプレスとして、委員会から許可を得て正式に頂いたもの。円換算は1ユーロ=130円のやや高めで計算)。
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蒸留酒含む、落札総合計:3,431,180ユーロ(約4億4600万円。前年比 1,67%減)
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蒸留酒含む、落札総樽数:573樽(前年比 19,76%減)
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ワインの一樽あたりの平均落札価格:6,113ユーロ(約79万4700円。前年比 21,37%増)
赤:5715ユーロ(約74万3000円。前年比 23,65%増)
白:7906ユーロ(約102万7800円。前年比 12,15%増)
2001年の一樽当たりの平均落札価格が24%減、2002年が9%減であったことを考えると、2003年は非常に高値である。高値で推移した理由として、競売終了後委員会は、
@ 酷暑で品質が心配されたが前日の試飲ではおおむね評価が高く、「異例のミレジム」としてむしろ稀少感が出た。
A
品薄感(総樽数前年比 19,76%減)。
B
アメリカや日本の買いが、やや活気を取り戻した。
を挙げた。しかし翌日のメディアでのヘッド・ラインなどに「高値!」の文字が躍ることは、消費者に
「2003年は高い」という単純な印象を与えることになりかねず、瓶詰め・販売まで市場を注意深く見守る必要があることを付け加えた。
また気になる「人気キュヴェ」の落札価格であるが、一例を挙げると(ロット毎に落札価格に差があるので、以下は全ロットの平均値)
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マジ・シャンベルタン(マドレーヌ・コリニャン):24,150ユーロ(約314万。前年比 36%増)
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クロ・ド・ラ・ロッシュ(シロ・ショードロン):18800ユーロ(約244万4000円。前年比 30,6%増)
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コルトン・シャルルマーニュ(フランソワ・ド・サラン):16,840ユーロ(約218万9200円。前年比 46,4%増)
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バタール・モンラッシェ(ダム・ド・フランドル):36,800ユーロ(約478万4000円。前年比 23,5%増)
ちなみに過去(1987〜2003年)の売買結果は以下である(「Le Bien Public」より)。
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前年より高値が付いたミレジム
1988、1989、1994、1995、1996、1997、1998、1999、2000、2003
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前年より低値が付いたミレジム
1987、1990、1991、1992、1993、2001、2002
「低値」に、あの1990年、そして現在ポテンシャルが注目されている2002年(これは昨年の試飲会でベタンなどが酷評したことも関与しているかもしれない)が、そして「高値」に1994年が含まれていることが興味深い。値付けには当然ながらその時代の政治経済も反映されるが(核実験でフランスが世界中のボイコットにあった1995年の高値が不思議である)、ワイン・ファンとしては、最近のオスピスの穴場は2002年、といったところであろうか。
キュヴェ・ボーヌ(ギィジョンヌ・ド・サラン)、一樽56,000ユーロで落札 |
冒頭のゲスト、ジャン・レノ氏とマレーヌ・ジョベール女史であるが、彼らが本業の傍ら支援者として活躍しているのが、前者が「世界の医学」活動(戦地などで不足する医薬品を供給する機関)、後者が「癌研究」活動である。よって彼ら(ジャン・レノ氏とマレーヌ・ジョベール女史)が競り落とすキュヴェ・ボーヌ(ギィジョンヌ・ド・サラン)によって生じる収益は、全てこれらの活動資金として寄付される。
今年このキュヴェに付いた価格は56,000ユーロ(約728万円)。こちらも前年比7,7%の増である。落札価格が決定した瞬間、会場からは惜しみない拍手が送られたのであった。
今後のブルゴーニュ動向 |
競売会に先立ち、オスピス・ド・ボーヌの「貧民の間(Salle de Povres)」で、ブルゴーニュワイン委員会(BIVB)、ブルゴーニュワイン栽培連盟(CAVB)、ブルゴーニュ・ネゴシアン組合、オスピス・ド・ボーヌなど、7人の各代表者による合同記者会見が開催され、2003年の収穫状況や市場動向などの質疑応答が行われた。
2003年の収穫までの推移においてはワイナート次号(21号)「CruCrusTimes」に、フランス全般の収穫状況をレポートしているので(堀筆)そちらを参考にして頂きたいが、CAVB会長ジル・ルモリケ氏(ニュイ・サン・ジョルジュに拠点を置くドメーヌ・アンリ・エ・ジル・ルモリケの現当主でもある)は、「2003年は十分なタンニンに裏打ちされた豊かなミレジムであり、例年よりスパイスのニュアンスに富んでいるが、ドメーヌにより補酸の必要性がかなり出てくるであろう」「マイナーなアペラシオンにも品質的にチャンスのある年である」ことを述べた。
またルイ・ファブリス・ラトゥール氏(ブルゴーニュ・ネゴシアン協会)は、世界的な不況、ユーロ高、イラク戦争などによる2003年上半期の海外輸出量の落ち込み(対アメリカ輸出38%減、対日本輸出55%減)を振り返りながらも、下半期は上方傾向にあることや、イギリス市場の安定、ブルゴーニュ市場の約半分はフランス国内であることを強調、そしてアメリカ市場での積極的なキャンペーンの再開の意志を表明した。また2002年が素晴らしいミレジムでありながらも比較的安値で推移している現状は大きな追い風であると同時に、2003年の生産量不足が市場占拠競争において不利になるかもしれないことについて対策を打ち立てる必要があることを述べた。
そしてエルヴェ・ガイマール氏はAOCブルゴーニュ以下のカテゴリーに「セパージュ表記」することは消費者にとって判りやすいアプローチとなることを強調した。これに対してBIVBのジャン=フランソワ・デローム氏は、氏の提案を「もっともな理由である」と前向きな姿勢を見せながらも、「単にセパージュだけを掲げることは、この地のピノ・ノワール、シャルドネの偉大さや文化を無視しかねない」と慎重に検討することを表明した。
最後にブルゴーニュ全域の取り組みとして、目下の最大のイヴェント「第7回 Les Grands Jours de Bougogne(ブルゴーニュの偉大な日々)」(2004年3/22〜3/28)への抱負が熱く語られた。
「2年に1回のブルゴーニュ最大のこの移動試飲会では、生産者とワイン関係者が直接コンタクトを取ることが出来、この地を知って頂く、非常に開かれた場である。我々にとっても回を重ねる毎にその重要性を認識している。より多くの参加者を誘致したい」。
この試飲会に関しては後日幣HPでもプログラムを紹介する予定である。基本的に参加者はプロのみで完全事前申し込み制であるが、前回は日本のワイン・スクールの生徒さん方も多く参加されていた。最寄りのワイン・スクールに問い合わせてみるのもよいかもしれない。
視察を終えて |
世界市場への生き残り。普段訪問する生産者達が持つ個人の危機感とは又違う、組織としての懸命さが何よりも印象的であった。
ブルゴーニュでは特にマコネー地区などで売れ行き不振の生産者達の在庫過多や、買収・倒産問題も深刻であると聞く。セパージュ・ワインへの取り組みなど歴史のある地ゆえに見解が分かれるところが多いが、ブルゴーニュの誇りである品質の更なる向上と世界市場での確固たる地位の維持を、組織力に期待してこのレポートを終わりたい。