Domaine Marcel DEISS 〜セパージュよりも、土壌ありき〜
(Bergheim 2003.10.31)

 


 

土壌サンプルを抱えて微笑むジャン・ミシェル・ダイス氏

  「あなた達は何を知りたいと思っているのか?」。まさに畑から駆けつけてきた、という風情の現当主ジャン・ミシェル・ダイス氏は、テイスティング・ルームに待機する私達にこう、尋ねた。土壌と味わいの相関性だ、と答え、かつ私達はアルザスの土壌やグラン・クリュに関しては非常に難解なイメージを抱いており、理解の糸口を見つけられないでいることを付け加えた。すると彼は隣の女性(マダム?)に、11時のアポイントを午後にずらすように伝え(私達のアポイントは10時であった)、その後2時半近くにも及ぶ彼の説明は、まるで小学生に理科を説明するような非常に噛み砕いたものであると同時に、私が子供時代、新しく正しいことを知る時に感じた喜びを与えてくれるものであった。
 アルザスのグラン・クリュ法に対して、品種名表記をせずブルゴーニュと同様に畑名のみの表記を認めさせるまでに、彼が旧体制派から受けた嫌がらせに近い非難は既に日本にも伝えられているが、真理、つまりブドウ栽培においては「テロワールを無視してポテンシャルのあるワインを造り出す」ことは不可能なのである。しかし真理は真理であるからこそ、時に時代背景の中では故意に無視、或いは迫害されるのだ。「私はアルザスでは完全にアブノーマル扱い」とダイス氏が言うように、彼のテロワール回帰は、「品種のワイン」で成立する生産者にとって自己の存在意義を脅かされる、非常に危険に満ちた動きであるのかもしれない。

ダイス氏に、聞く

フランスワインとテロワール
 「フランスワインにおいて、テロワールが重視される理由?一言で言えば長い歴史の中で農業が発展してきたことにあるが、それを語る時に11世紀の修道士達が様々な区画から生じる『味覚的な差違』を純粋に探求したことを無視できないだろう。これはブルゴーニュにおける『クリュ』の発展と全く同じだ。
 1054年、東方教会と西方教会は分離するが、これにより当時宗教儀式で使われていた高級なワイン(ギリシャやパレスチナ、サルディーニャ、コルシカ産)を使うことが出来なくなった。そこで当時日常ワインを産していた地域でも儀式に見合うワインを造る必要に迫られたのだが、この重責を担ったのが、修道士達だ。もちろん土壌はそこにあるだけでは真価を発揮しない。彼らは見当を付けた区画で、ブドウ根を地中深く張らすことに専心した。仕立てが違ったせいもあり、植樹率は60,000本/haにまで至った時もある。彼らにとって土中深くの真価を見出すということは、罪に満ちた地上のカオスに惑わされずに、『真の静』を感じ取る、という非常にストイックな行為だったのだ。
 畑に真摯に立ち向かった時、現代に生きる我々は経験的にこの差違を知っている。『シャルドネ』という一つの品種を例に挙げれば、『ムルソー・シャルム』という区画に植えてこそ、シャルドネを介して初めて一つのワインの個性が生まれるものだ。同じブルゴーニュでも低地の平地に植えて同じ味わいが生まれるかい?それこそがテロワールなのだ。

 
もちろん醸造過程で様々な濃縮技術などを用いれば、ある程度は『素晴らしく感じるワイン』にお化粧することは出来るだろう。だが土地の個性は醸造で人為的に造れるものではない。ポテンシャルのある土地を地道に耕してこそ、その素直な個性がワインに移し取れるのだ。あなたが人の名前を聞き出す時に暴力で無理矢理吐かせた後と、対話によって丁寧に知り得た後とでは、同じ名前を持つ人があなたに対して全く違う振る舞いを見せるであろう、ということと同じだよ。
  原産地呼称制度(AOC)はテロワールの考えがあるからこそ成立し、本来グローバリゼーションや標準化とは対極にあるはずなのに、今の商業主義のAOCは現状に全く対応し切れていない。AOCを考えるサイトのBBSを覗いてみればいい。様々な反論が展開されている。産地やワインの特性を消費者に判りやすくするためにこの制度が存在し、ラベル表記に規制と義務を設けるのであれば、『逆浸透膜使用』なども表記事項に加えるべきだ」

セパージュとテロワール
 「リースリング=石油香。品種の判りやすい特徴だけを商業的にアプローチするのにはそれは有効かもしれない。でも最終的にそんな陳腐なイメージこそが『ワインの自由』の首を絞める。安っぽい石油香は、カベルネ・フランは青臭い、ミュスカデはピピ・ド・シャ(猫の小便臭)というのと一緒で、それは根の浅い樹からガバガバ取ったリースリング特有のものだ。
 
ここで『根が浅いこと』の功罪を説明しよう。植樹率が低く根が地表に這う、ということは『競争相手がおらず、全く甘やかされた状態』。そういうブドウ樹は一見元気一杯でも、その元気は樹勢にばかり費やされている。自己のその場限りの成長が最優先で、自らの生命をかけた次代(ブドウ房)に生命をかけようというエネルギーに欠け、どうでも良い実をたわわに成らす。その収量はAOCアルザスでは80hl/haか時にそれを上回り、それを平気で全てワインにする人が介在してセパージュ・ワインとして売り出すんだ。
  最終的には『その土壌に適合性があり、かつ土壌の個性を最も表現するのに適した品種』を植え、それらを競合させながら(植樹率を上げる)収量を落とし、土中深く根を張らせることが必須なのだ。このために27haの私のドメーヌでは15人の人間が従事しているが、工業的なワイン生産なら6人で十分であろう(1997年よりビオディナミを採用)。
  先日あるコルトンの30年間の垂直試飲をしたんだ。一般に悪いと言われるミレジムほどテロワールの個性が前面に出ていることが興味深かった。『根が深く張る』ということは、日照量が少なかったというハンディも土地の個性に変える力をワインに与える。イメージで書くと、こんな感じかな(下記図中のCはセパージュ、Mはミレジム、Tはテロワール)。                                 

左端はごく一般的なワイン、真ん中は全くテロワールが感じられないワイン、つまりセパージュやミレジムに支配されるワイン、そして右端が『テロワールのワイン』だ。テロワールのワインには、セパージュやミレジムに縛られない、『ワインの自由』がある」。  

ワインとハーモニー
 「テロワールの味わいを生み出す地中深くの微量元素、それらをブドウ根に伝達する微生物、土壌が求めるセパージュ、各年の気候の差違。これらは音楽に例えれば『音符』。ならばヴィニョロンの仕事とはこれを人間の記憶に残る『楽譜』に導き、醸造という手段によって奏でること。
 そしてテロワールが表現されたワインには飲んだ時に、香り、味わい、余韻を通して何か一貫したイメージ=ハーモニーが残るものだ。人為的な醸造技術だけでは、このハーモニーは造り出せない。ワインを飲んでその良し悪しを語るなら、この『ハーモニー』があるかどうかに、静かに耳を傾けてごらん」。

 そこで、テイスティングである。

テイスティング

 今回のテイスティングは、予定を変えて2種類のみ。
「本当にワインを利くのであれば一度に何種類も並べるよりも、1杯のグラスに入ったワインが経時的にどう変化していくのかをじっくりと感じるべき」というダイス氏の意向である。テイスティング銘柄は以下。

グラスベルグ 2001(石灰質土壌。リースリング、ピノ・グリ、ゲヴュルツトラミネールの混醸)
グラン・クリュ マンブール 2001(鉄、マグネシウムを含む泥灰石灰質。全てのピノ系=ピノ・グリ、ピノ・ノワール、ピノ・ム   ニエ、ピノ・ブラン、ピノ・ブーロの混醸)

 「この土壌の違いは成分組成もあるが、石の形状も違う。グラスベルグは角石だが、マンブールは丸石。角張った石からは鮮烈な味わいが生まれるのでアルザスのセパージュが有効だが、浸食作用を受けた丸石からは穏やかな味わいが生まれるので、ピノ系がよく合う」とダイス氏。ちなみにプルミエ・クリュ以上(注:文末参考資料)は全て数種のセパージュの混醸である。
 グラスベルグにあるのは、レンゲの蜂蜜や、ブリオッシュ、かりんやマンダリン、アプリコットであるが、それらの「甘いイメージ」は、メリハリのある酸やミネラルを常にまとっており、平坦さは微塵もなく、あたかも立ち上がってくるような立体感がある(これがダイス氏の言う「角石」の個性の一つであろうか)。溌剌としたこのワインは飽きの来ない愛嬌がある。
 だが一方マンブール。しっかりとした粘度を持ち、こちらは完璧に「ミネラルのワイン」でそのミネラルはあくまでも深く複雑で、滑らか、かつ清らかだ。そして時間が経つとミネラルの間からこぼれ落ちるようにエレガントな甘味や白い花が表れ、それは際限なく広がり、そして最後に舌に残されるのはやはり深み。音楽に置き換えることを試みると、展開の構成は私の好きなドビッシーの「月の光」を思い出させる。つまりポロン、とつま弾くように深みに誘うピアノで始まり、狂気の中盤、そして深淵な静寂といつまでも残る余韻(もっともマンブールに狂気のイメージは無いのだが)。テイスティング・メモには「大人のワイン」という意味不明な言葉を書き留めているが、まさに色々な味わいを知る人に試して頂きたい逸品である。 

訪問を終えて

 「レポートを書くの?ならばどんどん産地に出向くべきだね。産地の空気を感じ取らずにワインだけ飲んでも、結局良いものは書けないよ」。このHP用の写真をお願いした時に、ダイス氏はサラリとこう言った。
 優れた生産者達の多くが「感じ取ること」を非常に大切にしていることは興味深く、「感じ取ること」はワイン造りにおいては、科学(化学)と並ぶ重要な領域であると個人的には捉えている。「地」に足を着け、そこから五感で感じ取ったことを味わいに移し取るという行為から生まれたものこそが、シトー派の時代からそこに生きる人達に何かを深く残し続け、今日に至るのであろう。マルセル・ダイスのワインとその人には、そういった歴史をも納得させる力がある。

(参考資料)
マルセル・ダイスでは自身のワインを3つのカテゴリーの分けている
(ドメーヌ・オステルターグも同じ分類を試みている)。

@果実のワイン(Vin de Fruits):ヴィラージュ単位で造られ、ラベルにセパージュ表示したワイン。果実の味わいを前面打ち出したワイン。
ピノ・ブラン(ベンヴィール、ベルグハイム)
ミュスカ(ベルグハイム)
リースリング(ベンヴィール、ベブレンハイム、サン・イポリト)
ピノ・グリ(ベブレンハイム、ベルグハイム)
ゲヴュルツトラミナー(サン・イポリト、ベルグハイム)
リースリング グラン・クリュ アルテンベルグ・ド・ベルグハイム
ゲヴュルツトラミナー グラン・クリュ アルテンベルグ・ド・ベルグハイム

Aテロワールのワイン(Vin de Terroirs):個性が確立されたプルミエ・クリュ、グラン・クリュ由来のワイン。複数のセパージュを用い、テロワールの特徴を前面に打ち出したワイン。

〜プルミエ・クリュ〜(注1)

ブーレンベルグ(Burlenberg:石灰質。ピノ・ノワールとピノ・ドーニ。赤)
エンゲルガルテン(Engelgarten:砂利。リースリング、ピノ・グリ、ピノ・ブーロ、ミュスカ)
グラスベルグ(Grasberg)
ブルグ(Burg:泥灰土。全てのアルザス・セパージュ)
ローテンベルグ(Rotenberg:鉄分を多く含んだ赤土と石灰。リースリングとピノ・グリ)
グリューエンスピール(Gruenspiel:砂岩、花崗岩、片麻岩と表土に泥灰土。リースリング、ピノ・ノワール、ゲヴュルツトラミナー)

〜グラン・クリュ〜(注2)

アルテンベルグ・ド・ベルグハイム(Altenberg de Bergheim:泥灰と石灰。全てのアルザス・セパージュ)
シェネンブール(Schoenenbourg:底土より、硫黄を含む石膏、泥灰、粘土と砂。ミネラルの熟成を要するワイン。リースリング、ミュスカ、シルヴァネール、シャスラ)
マンブール(Mambourg)

B時のワイン(Vin de Temps):ヴァンダンジュ・タルディヴとセレクション・ド・グラン・ノーブル

ヴァンダンジュ・タルディヴ:ゲヴュルツトラミナー、ピノ・グリ、リースリング
セレクション・ド・グラン・ノーブル(ゲヴュルツトラミナー、ピノ・グリ)

(注1)
アルザス・プルミエ・クリュという呼称は現時点では存在せず、これは彼にとってグラン・クリュに次ぐものとして位置づけ。50ものグラン・クリュが同列にあること自体が混乱を招いていると私自身は感じているので、格下げすべきものは格下げして新しくプルミエ・クリュのカテゴリー制定を望む消費者は私だけではないだろう(ダイス氏はプルミエ・クリュ呼称認定も目指している)。ちなみにマルセル・ダイスのワインはグラン・クリュになるとラベルがいきなり(?)重厚になるので、これは消費者にとって視覚的に判りよい。

(注2)
個人的な大雑把な印象としては、エキゾティックなフルーツがふんだんにあり、より開放的なのがアルテンベルグ・ド・ベルグハイム、一方ミネラルの熟成に最も時間がかかり、若い時には内省的なワインがシェネンブール、その中間に位置するのがマンブール。