Domaine BIZOT 〜シンプルの威力〜

(Vosne−Romané 2003.9.24)

 


 

 ドメーヌ・ビゾ。2,5haの畑と超低収量(収量に関しては後述)ゆえに市場に出回る事が少なく、しかも何となくミステリアスな生産者でもある。

 彼の一般的なイメージと言えば、「かのジャイエ・スピリッツの継承者」「有機農法(ビオ)」などであるが、アポイントでの電話時に既に「ビオである」ことはあっさりと否定されてしまった。訪問の前日には偶然にもやはり「ジャイエ・スピリッツの継承者」と呼ばれるシャルロパン氏とお会いし、ビゾを訪問することを彼に話したのだが、シャルロパン氏曰く、

「面白い訪問になると思うよ〜。彼はビオもやっているし、ヴォーヌ・ロマネ一、彼のブドウ樹は背が高く仕立てられているね」。

ビオじゃない、って電話で言っていましたよ、と私が言っても

「Si,Si(いやいや=否定に対するウィ)。ビオだよ」。

 う〜ん、同業者にさえここまで「ビオ」と思われてしまう(?)彼の仕事ぶりに、俄然興味が湧く。そして「ジャイエ・スピリッツ」はどのように継承されているのだろう?

 

畑仕事と醸造

 

 ドメーヌに到着し、手渡された資料には確かに「リュット・レゾネ実践する」と明記されている。では具体的にはどのような仕事を、と尋ねると一言「Rien(何にも)」という素っ気ないほどにシンプルな答えが返ってきた。

 「Rien」というのは余りにも大袈裟な表現であるが(ビゾ氏曰く、「気候の変化があっても、ブドウ樹が辿るChemin(道)は基本的に同じ。ならばその道筋を尊重すれば自然に本当に必要な仕事が淘汰され、見えてくる」)、実際に特に春から夏にかけての仕事は通常の作業を進める生産者よりも少ないかもしれない。それは冬季に行われる本剪定が「短く正確な剪定」であることと、夏期に行われる「枝先剪定」が1回のみ、ということに起因する。

まず「短く正確な剪定」が意味することは、「目覚め後」に「芽が数個しか残されていない!」と気付いたブドウ樹がその数個に集中して自らの生命(良いブドウを成らすこと)を託す=最良の結実枝のみに集中した繁殖が促されるということであり、後の腐敗果対策等の作業も減る。

「ブドウ樹が30hl/haを超えたプログラミングを本剪定時にされてしまった後に、ヴァンダンジュ・ヴェルトを行っても品質的な効果は低い。また芽は糖分を消費するので、そういう意味でも不要な芽は残すべきではない」。きっぱりとビゾ氏は言い切る。しかし「短く正確な剪定」を行った時点で生産者は多くのリスクを背負うこととなる。なぜなら「保険の芽」が残されていないことは、もし春の遅霜などが芽を襲えば「その年の収穫はゼロ」になる可能性もあるからだ。そしてその「短く正確な剪定」を行った結果、彼の畑で得られる収量は過去5年の平均で、25hl/ha(エシェゾー)、28hl/ha(ヴォーヌ・ロマネ)、38hl/ha(ブルゴーニュ・ブラン)である。これは驚異的に低い(ちなみに2003年は酷暑で収量は更に激減、平均して12hl/haである)。

 また「枝先剪定」を1回しか行わないことが、冒頭でシャルロパン氏が述べていた「彼のブドウ樹は背が高く仕立てられている」に相当するのだが(約1m60cm。ブルゴーニュの一般的なブドウ樹の高さは1m20−40cmくらい)、その理由としては以下を挙げてくれた。

1.ブドウ葉は約4ヶ月間生まれ続けるが、1枚の葉の寿命は約40−50日。先に展葉した下部の葉が光合成の役目を終えた時に、活躍するのが上部の葉である。

2.枝先剪定するためのトラクターを畑に入れる回数を減らす(土を踏み固める可能性を減らす)。

3.樹液の循環サイクルを変えない。

4.枝を太く保つ(これは後日他の文献で調べたことであるが、ブドウ蔓が木質化すると新梢の繊維間に糖分が変化したリグニンを集積する。リグニンは繊維を硬く密着させて、強固な骨格を形成させるが、これは冬季の寒害からブドウ樹を守る働きがある。また木に変化した蔓に蓄積された貯蔵養分は、ブドウの休眠期である冬季の呼吸、生理代謝だけでなく、春の発芽、翌年の新梢の初期成長、発根などに利用される)。

1と2に関してはシャンパーニュのアンセルム・セロス(ジャック・セロス氏)が、彼のやはり一際背の高いブドウ樹の区画を指し示しながら、全く同じ事を説明してくれたことを思い出す(同時にブルゴーニュの枝先剪定の位置も30年前と今では、明らかに高くシフトしている)。

 またビゾ氏は肥料に関しても「ブドウ樹に活力を与える」とは全く逆の発想、つまり「土を整え、ブドウ樹の有り余る力を抑制する」目的で用いている。同じ理由で除草剤は用いず「雑草とブドウ樹を競存させ」、逆境に置かれたブドウの真の生命力を尊重する。

 

 醸造においては畑と選果台での選果の後、無傷のブドウを全房発酵(1999年のヴォーヌ・ロマネ レ・レアのみ手で!除梗したことがある)し、ポンプの使用を避けるためにルモンタージュは行わず(ポンプを使う作業はデキュヴァージュのみ)、新樽で約18ヶ月熟成させる。この間澱引き、清澄、濾過は行わない。瓶詰めは樽ごとに行うが、どの樽のものかはラベルに記載されている。

また「ビオと誤解される理由はSO2を醸造・熟成過程で行わないからではないかな?」とビゾ氏が言うSO2添加であるが、1998年に試験的にエシェゾーとヴォーヌ・ロマネ レ・レアでSO2無添加を試み、それが成功した1999年以降、ブドウの質が向上していることも考慮して全キュヴェでSO2無添加に踏み切った(正確には瓶詰め時のみSO2添加。また2000年はボトリティスが発生したためにプルミエ・クリュのみに少量添加)。

「とにかく『短く正確な剪定』による、低収量ありき。このようにして得られたブドウだからこそSO2無添加も可能で、また機械による濃縮などの人為的な操作も不必要となる」。早口、かつ理論的にビゾ氏は語る。

 

ジャイエ・スピリッツとは?

 

 

知的なビゾ氏。

「かのジャイエ・スピリッツの継承者」。彼に枕詞のように付くこの言葉に関しては、彼自身にあっさりかわされてしまった。

「パーカーがああいう風に(注)書いたから、そう思われているのではないだろうか?確かにアンリとは頻繁にディスカッションしているし、彼は根本的な理念を教えてくれた。でも彼のカーヴで試飲したわけでもなければ実践していることは相違点も多い。シャルロパンやペロ・ミノの方がそう呼ばれるべきだよ」。

 クールである。実際アンリ・ジャイエ氏自体、彼の信頼できる友人ジャッキー・リゴー氏がその著で何度も書いているように、「醸造に関しては、いつも至ってシンプルな答えしか返ってこない」未だに謎に包まれた生産者であり、ジャイエ氏の謎を解こうと試みた多くの人達が帰した「ジャイエの秘密とは、一に収量、二に収量、三に収量。とにもかくにも低収量(ジャイエ氏自身は収量低減の方法として、剪定、最良のブドウ樹の繁殖、畑への有機的アプローチ、この三つを挙げている)」という結論しか結局は具体的なものはないのだから、少なくともジャイエ氏が醸造のルセットを身近な者達に説いていた訳ではないだろう。またジャイエ氏はギィ・アカ氏がSO2添加による色素抽出を推奨した時代に、いち早くSO2を最小限に抑えて周囲を驚かせた人物でもあるが、では氏が当時実際どれほどのSO2を用いていたかなどを論じても、これまた今となっては余り意味が無いように思われる。

 ただジャイエ氏が20年前以上に実践したことが現在では「テロワールを表現できるワイン造り」の指標となっているのは事実であり(実際実践できる生産者は経済的な問題も含めて、やはり限られてくるのだが)、そういう意味では「ジャイエ・スピリッツ」はより幅広く生産者に伝播していると考えた方が正しく、ビゾ氏に闇雲に「ジャイエ・スピリッツの継承者」という枕詞のみ付けてジャイエ氏との比較を計るのは、甚だ失礼な話しなのかもしれない(ただし共通点も多い)。

 

(注)

パーカーのバイヤーズ・ガイドでビゾ氏のコメントは「私はワイン醸造学校よりも、アンリ・ジャイエとのテイスティングから多くのことを学んだ」と紹介された。

 

 

テイスティング

 

今回のテイスティング銘柄は以下(全て2002年のバレル・テイスティング)。

     ヴォーヌ・ロマネ

     ヴォーヌ・ロマネ VV(1927年と1933年に植えられた、ラ・コロンビエとオー・コミューヌの計4パーセルに由来)

     ヴォーヌ・ロマネ レ・ジャシェ(Les Jachée:1947年に植樹)

     ヴォーヌ・ロマネ プルミエ・クリュ(エシェゾーのレ・トルゥ由来)

     エシェゾー(レ・ゾオルヴォー Les Orveaux由来)

テイスティング銘柄以外にも他に「ヴォーヌ・ロマネ レ・レア(Les Réas)」、クロ・ヴージョに接したヴォーヌ・ロマネのリュー・ディ(Les Violettes)由来の100%シャルドネからなる「ブルゴーニュ・ブラン」を生産する)。

 

 全体を通して言えることは、どのキュヴェにおいてもナチュラルな味わいと複雑さが見事に両立されていることで、「ああ、ヴォーヌ・ロマネだ」と実感させられるエレガントな力がある。

VVは目眩のするような「ショコラにくるまれた練乳イチゴと、赤い薔薇の大きな花束」の香りが顕著で、味わいには黒く熟したサクランボの旨味や、柔らかいミネラル、収まりきらない元気で綺麗な酸味がある。テイスティングは「美味い、不味い」ではないと分かっていても、思わずうっとりさせられる(彼がジャイエ・スピリッツの継承者である云々を忘れても、そのトップ・ノーズにジャイエの若いワインを飲んだ時のことを思い出さされた)。

 よりフィネスが溢れるレ・ジャシェ、よりアロマティックなプルミエ・クリュを経て、エシェゾーになると噛み応えを感じるほどのタンニンは緻密で、重心はヴォーヌ・ロマネよりも明らかに低く、豊満なのだが、酸と骨格がしっかりしているせいか重たさは全く無い。「羽根が生えた豪華なドレス(?)」とでも言うべきか? いずれにせよ瓶詰め後の姿に、今から恋い焦がれるキュヴェ達である。

 

シンプルの威力

 

 ビゾ氏の話し方、贅肉の無いその出で立ち、小さく清潔なセラー、そして「Rien」とまで言い切った畑仕事に対する姿勢。短時間に目にしたもの全てに無駄が無く、シンプルですらある。しかしそのシンプルさは「思慮の深さと論理」に基づいた結果なのであろう。表面的には枝先剪定やSO2添加といった「余計な仕事」が減ったように見えても、正しく減らす為には短期間に(今年で10年目のドメーヌである)ドメーヌとしての通常の仕事と並行して、多大な試行錯誤と勇気が必要であったと察せられる。

 必要を得るためには、不必要をばっさり切り捨てる(彼の行う剪定がまさにこれである)。なかなか出来ないことだと思うのだ。