Clos de TART 〜Quel equilibre(完璧なバランス)!〜 

(Morey−Saint−Denis 2003.7.10)

 

 

 

去る6月21日フランス最大のワインショップ、ラヴィーニャ(LAVINIA)で「ブルゴーニュを巡る比類なき出会い」と称する試飲会が行われた。そこに集まったのは、クロード・デュガ、ペロ・ミノ、ラヴノー、ミクルスキといった20のブルゴーニュのエトワール達と、そして神様アンリ・ジャイエである。当日はこれらの生産者のワインが自由に試飲できたのだが(もちろんアンリ・ジャイエの試飲は無し)、きら星の如くである彼らのワインを立て続けに試飲するとなると、当然ながら舌の閾値も上がるというものである。つまり少々の素晴らしさでは驚かない「贅沢な舌」になってしまうのだが、その中でも一際輝いていたのがクロ・ド・タールの2000年であった。このワインにあったのはこの上ない「完璧なバランス」である。

 

シルヴァン・ピティオ氏の改革

 

 歴史とポテンシャルのあるモノポールでありながら、「クロ・ド・タール、ねぇ」とワイン・ファンに言われてしまう時代が長かったクロ・ド・タールに本来の名声を取り戻した原動力は、今更私がここに述べるまでもなくシルヴァン・ピティオ氏に他ならない。では1995年以降、ピティオ氏がクロ・ド・タールの畑・醸造の責任者として行った変革は具体的に何なのか?それが今回の訪問の目的である。
 

畑仕事

 畑仕事においては1996年よりリュット・レゾネ(非常に厳しい減農薬)に転向、更に1999年よりビオロジーに転換しつつある。

ピノ・ノワールという非常に気候や土壌を反映しやすいセパージュと、この地のテロワールの多様性という組み合わせこそが、ブルゴーニュの最大の特徴であると思う。テロワールをワインに映し出したい、と思った時にビオの考え方からは実際非常に影響を受けた。しかし私は自分が理解できないことを無理矢理『ビオだから』といって自分の畑に実践しようとは思わない。カイエ・デ・シャージ(ビオロジーの定款書)に基づいてあたかもクラブ活動みたいに『ビオ、ビオ』と叫ぶのは私の領域では無いし一部のビオディナミ生産者のように狂信的になるのは、もっといただけない。ビオに関しては自分で『長所』と納得できる部分のみを取り入れるように心がけている。要するに『加減』だね。

 基本的に『テロワールに立ち返ろう』という考えが根本にあるビオの動きには賛成だが、もしテロワールの個性を表現したいと思うなら、まずは収量を抑えることが必要だろう」。

 ピティオ氏に畑仕事について伺った時の会話の一部である。そしてピティオ氏の言う低収量とは30hl/ha以下(一株に5房以下)を指す。またクローン(マッサール約9割、セレクション約1割)の研究を重ねた上での改植も現在進行中である。

 余談ではあるが、私がブルゴーニュにおける生産者訪問や畑仕事のレポートを書く時手放せない本が2冊ある。その2冊とは「Nouvel Atlas des Grands Vignobles de Bougogne」と「Les Vins de Bougogne」で、その中には各クリュの位置、土壌の性格、畑仕事、醸造などが簡潔に書かれており、これらは共にピティオ氏の共著である。地勢学を専攻し計量技師という仕事の経験を経ているピティオ氏は、ブルゴーニュというテロワールを最も広範囲かつ正確に把握している一人であると言えるだろう。

 

旧カーヴの前にて、シルヴァン・ピティオ氏。

ブルゴーニュ地方で一般的に見られる東西方向ではなく、斜面に垂直な南東方向に仕立てられた列。この方向であるメリットはワイナートでも説明されている通り、「表土の流出防止」と「太陽の光が朝から夕方まで当たる」ことにある。

 

 

醸造

 醸造における改革は、ずばり「設備投資」である。1999年新築された醸造施設には、選果台、発酵槽までブドウを傷つけずに運ぶことが出来るベルト・コンベア(以前はポンプ)、木製と同じ保温効果のある二重構造のステンレス・タンク(温度調節器付き)、空気圧の破砕機とピジャージュ機等が整然と並ぶ。また熟成は全て新樽で行い、6つのパーセル毎の性格に合わせるために4つの樽会社(36ヶ月天日干ししたトロンセ産とアリエ産)を使い分けている。

 生産者を訪問した時にそのワインの性格は畑と醸造所・貯蔵庫にもよく現れているものだと感心させられるが、伝統を残しつつ必要な近代装置が惜しみなく設置されたこの清潔な空間が、現在のクロ・ド・タールの正確さに反映されていることは言うまでもないだろう。

 

クロ・ド・タールを表現するのにベストと思われる近代設備が揃えられた醸造所。 2002年のクロ・ド・タールが熟成中の樽熟成庫。別階にある瓶熟庫には1930年からのクロ・ド・タールが眠っているらしい。

 

 

テイスティング

 

 3種のモメサンの後に出されたのは2001年のクロ・ド・タールだ(この後食事と一緒に1997年のクロ・ド・タールが用意されていたのだが、私のスケジュール調整の悪さゆえ涙ながら?辞退)。

 決して良いミレジムとは言えない2001年はよく詭弁のように「テロワールが良く現れているミレジム」などと言われるが、個人的には「生産者の力量がモロに現れるミレジム」と捉えている。そしてこのクロ・ド・タールにあるのは、ほっそりと上品なスミレや繊細な赤い果実の香り、そして細やかなタンニンとうっすらとした甘味で形づくられた綺麗な骨格。決してアルコールや酸が突出することはない。そして力による「押し」ではなく、あくまでも「引く」長い余韻。「本来のポテンシャルを取り戻した」とクロ・ド・タールが言われてからのミレジムを垂直で飲み比べたことがないのでこれぞクロ・ド・タール、という特徴を断言することはできないが、2000年と共通してあるのはヴォリュームこそ違えどやはり完璧な「バランス」である。弱いミレジムでもこのバランスが出せることこそが生産者の力量ではないだろうか。ティピオ氏曰く、「グラン・ヴァンとは常に強さとエレガンスを併せ持つワイン。そしてその先にテロワールやミレジムの個性が表れる。クロ・ド・タールに関して言えば、シャンベルタンの力強さとミュジニィの繊細さを表現できるワインだと思う」。

 百聞は一見に如かず(この場合一飲に如かず、というべきか)である。クロ・ド・タールを飲めば必ずティピオ氏の上記の言葉や、私が感じた「完璧なバランス」に出会うことが出来るはずだ。

 

訪問を終えて

 

 クロ・ド・タールが時にボロクソにこき下ろされているティピオ氏以前の時代にも(あのワイン・ブームの時でさえ価格がつり上がらなかったけなげなワインである)、個人的にはクロ・ド・タールにそう悪い印象は無く、「クロ・ド・タール、結構好きですけれど」などと言っては周囲に「どこが〜?」と眉をひそめられたものである。

しかし今は違う。クロ・ド・タールはその味わいの素晴らしさだけでなく、ワインに秀でた人間が介入することによってそのポテンシャルが開花することを身(液体?)をもって教えてくれる、貴重なワインであると言えるだろう(もう「結構好き」なんて言いません。一ワイン・ファンとしては「大好き」です)。