Domaine CLUSEL ROCH 〜グランド・プラスで見たものは?〜

(Ampuis 2003.4.30)

 

 

 今年の3月、ローヌ最大規模の移動試飲会が5日間に渡って開催されたが、その初日を飾ったのが「コート・ロティ&コンドリュー」であった。6時間近くかけて、会場にある54の生産者のワインを試飲する。出展している生産者はシャプティエやギガルといったスーパー大御所から(なんとギガルはテュルクも抜栓)、ヴェルネイ、ジュランといった立役者系、ヴィラールやキュイロンの昇り竜系、ジャン・ミシェル・ステファンやモンティエの微少なゲリラ系(?)、等々。

 口を何度もゆすぎ、水を飲み、パンを囓っても味覚の感度は落ちていく。普段それだけを単体で飲めば良さを発見できるであろうワインでも、先述の面々と比較せざるを得ないのだから大した感激が無く、言い換えればかなり突出したものでなければ印象に残らない。

 そんな中で趣味の良い宝石のような輝きを放っていたのが、クリュゼル・ロックのコート・ロティだった。鉄分を含む片岩という土壌を反映した芯の強さと輝き、深遠な優しさの見事な調和。その時のテイスティング・コメントには「美しい酸とミネラル。カシス・ソースで供された鴨肉のイメージ。乳製品の全て。生き生きとして深い旨味の粒子」などと書き留めている。勿論「行くべし」とも。

 

ジルベール氏の決意

 

 クリュゼル家のコート・ロティにおける歴史は現当主のジルベール氏の祖父、バプティスト氏に遡る。今やコート・ブリュンヌやコート・ブロンドに比肩すると言われるコート・ロティの銘醸畑、グランド・プラスのブドウは彼によって第二次世界大戦前、1935年に植えられたものである。

 そのグランド・プラス0,7haを含む1haを受け継いだジルベール氏の父、ルネ氏が果樹園や野菜園の仕事と並行してワインの瓶詰めを始めたのが1969年。そしてまだアメリカによってその価値を見出される以前の「コート・ロティ 不遇の時代」にもルネ氏のグランド・プラスは「通のワイン」としてごくごく一部でひっそりと評価されていたようだ。

 クリュゼル家がグランド・プラスを所有していたことはワイン愛好家にとっても喜ぶべきことだが、何よりもそのポテンシャルに影響を受けたのは現当主、ジルベール氏であろう。彼はまだコート・ロティが不遇の時代を抜け出せないでいる1970年代に既にヴィニョロンとして生きることを決意し、1977にはブドウ栽培とエノローグの学業を終えている。

 1980年ジルベール氏によってドメーヌ・ド・ルネ・クリュゼルが誕生するが、2世代がワイン業で生計を立てるには、当時彼らの所有する畑は余りにも小さすぎた。そこでルネ氏は野菜や果樹を植えながらのワイン業という、アンピュイ(コート・ロティの中心の村)の典型的スタイルを続け、ジルベール氏は父を手伝いながら、一方で自らの地を探し求めた。そしてジルベール氏自身の実質的スタートはたった0,25haの小作地から始まるのである(初年度の生産量はたったの1000本!)。

 その後開墾やルネ氏の引退を経て、1987年、グランド・プラスを含むクリュゼル家の土地は1本化され、1989年には奥様の名字を冠した「ドメーヌ・クリュゼル・ロック」に改名。1992年には醸造所とカーヴを彼らの所有する畑の麓、ヴェルネイに移し(畑の麓を選んだのは収穫から瓶詰めまで、重力に従った完璧な仕事を行うためである)現在に至るのであるが、その歴史にコート・ロティの戦後の事情をまざまざと見る思いだ。そして「コート・ロティのポテンシャルを信じて」と字で書いてしまうのは簡単だが、先の見えない時代のジルベール氏の決意には頑なな芸術家にも似た信念を感じざるを得ない。

 

(参照)

現在彼らが所有する畑はコート・ロティに3,5ha(全てアンピュイ(注)Les Vialliers、Le Champon、Le Plomb、Vernay、Grande Place。土壌は片岩)、コンドリューに0,5ha(Chery。土壌は花崗岩)。グランド・プラスは急斜面が平地に変わる手前にあり、よって表土が特に薄く、土の病気になりにくいという利点もある。

(注)コート・ロティの丘は大きくサン・シール・シュル・ル・ローヌ(St.Cyr Sur le Rhone)、アンピュイ(Ampuis)、テュパン・セモン(Tupins−Semons)に別れる。有名なLieu−ditが集中するのはアンピュイである。

 

マダムと、クリュゼル・ロックこだわりの伝統的木製プレス機。現在はモーターが付いているが外側は100年以上前のもの。この型を現役として利用しているのは、現在ではクリュゼル・ロックのみ。

グランド・プラスの片岩。

 

グランド・プラスで見たものは?

 ところでクリュゼル・ロックでの醸造は厳密に重力システムを用いている以外は、ごく伝統的である。ブドウのポテンシャルに応じた除梗、温度コントロールできるステンレスとコンクリートタンクで行われるパーセル毎の一次発酵、やはりキュヴェのポテンシャルに応じて新樽比率は変わるもののブルゴーニュ型のピエスでの約2年の熟成。その間に数回の澱引きと、澱引きを行う代わりに清澄、濾過は行わない(コンドリューは1/3をステンレス、2/3をバリックで発酵、熟成、軽く清澄と濾過を行う)。

 それよりも特筆すべきことは「理想に応じて何でも自分達でしてしまう」ということだろう。彼らの仕事は大袈裟でも何でもなく、瓶とコルク、樽造り以外は本当に何でも含まれる。

 その一つがクローンの選択。ブルゴーニュやボルドーの著名ドメーヌ・シャトーでもこれは外部に委託することが多いが、彼らはグランド・プラスの優秀な苗木からクローンを選択、接ぎ木作業も自ら行う。比較的傾斜の緩い斜面用のトラクターも自家製(エンジンは日本製、タイヤはフランス製、側はフランス製の日仏伊!)、詳細なパンフレットもお手製だ(クリュゼル・ロックはメカやパソコンにも強い!?)。更に一度植えた苗木が高く伸びすぎた、と言う理由で何とLes Vialliersの区画では既に根付いた樹に再度接ぎ木する「再接ぎ木(Surgreffage)」までやってのけた。

 そして畑仕事においてはコート・ロティの多くの生産者が理想に掲げながらも「急斜面における人手不足」を理由に敬遠する、ビオロジーを実践している。

 グランド・プラスを訪れた時、彼らの畑にはそれらの仕事が凝縮されていた。雑草と共存、競争を繰り返しているのであろう土は適度に湿って柔らかく、濃い色だ。そして強い風に耐えるように並ぶ、頑強そうなブドウ樹。そこで黙々と砕土作業をするジルベール氏。ビオロジーを実践するために彼は新しく従業員を一人雇ったが、男性2人が1日に砕土出来る面積はたったの0,25haなのだという。

 「新しく手に入れたいのは樹齢の高い区画なのだけれど、ビオロジーを実践しつつクローンを選び、クローンと土壌との適合性を考えるでしょ。そうなるとなかなか畑を広げることが出来ないの」とマダム、ブリジットさんは笑うが、その言葉にも温和そうな人柄に見える彼らの完璧主義と仕事の多さが垣間見える。

 

ヴィアリエール(Vialliere)の区画にて。斜面の傾斜がまだ緩やか(それでも25度は悠にありそうである)で、樹齢が若いものは針金仕立てのギュヨで仕立てられることが多い。 グランド・プラスより上部のやや平地。剪定はギュヨ・サンプルだが、ブルゴーニュなどのギュヨと異なり、細長い支柱によって枝が上に仕立てられるのが特徴。アルプスからの強い風の吹き付ける急斜面に(特に樹齢の高いもの)適する。大昔はフランス全土でこのスタイルが採用されていたらしい。
今年植えられる苗木。クローンの選択、接ぎ木作業とも、全てドメーヌお手製。 グランド・プラス。これらの殆どはジルベール氏の祖父、バプティスト氏によって第二次世界大戦前、1935年に植えられた。この日はジルベール氏が砕土作業の真っ最中。急斜面なので全て鍬による手作業である。

 

 

テイスティング 〜趣味の良い宝石のような〜

今回のテイスティング銘柄は以下。

―バレル・テイスティング―

     コンドリュー 2002

     コート・ロティ キュヴェ・クラシック 2001、2002

     コート・ロティ グランド・プラス 2001、2002

―ボトル・テイスティング―

     コート・ロティ キュヴェ・クラシック 2000、1999、1996

 

 やはりローヌの試飲会会場で感じたのと同じく、そこにあるのは「深遠さ」。もちろん樽に入った特に2002年は各要素にまだまとまりがなく、ミレジムのせいか少し青さも残るが、「要素が多い」というのは当然ながら将来の複雑性に繋がる大事な性格である(もっとも2002年は1992年と同様困難なミレジムで、グランド・プラスはキュヴェ・クラシックにアッサンブラージュされる予定)。

 そしてボトル・テイスティングテイスティングの2000年は香水にしたスミレのような香りに始まり、カルア・ミルクのカフェ。北ローヌのシラー特有のグラン・マニエ様であるねっとりとした甘苦さには充分な密度を感じる。しかし好ましい固さもあり飲み口はと言うと、不思議なことに良質なグラーヴを思い出させるものなのだ。

 1999年は、カフェ、オレンジに加え、より熟した黒い果実(黒イチゴのリキュールなど)や黒いスパイス(ホールの黒コショウやグローヴ)強くなり、そして鉄っぽいミネラルや練乳のようなミルクの感じが際立ってくる。

 1996年に至ってはまだ残っているカフェ香と、黒オリーヴの艶、出始めの黒トリュフ香や葉巻が混ざり始め、既に官能的ですらある。

 そして各ミレジムに共通するのは、旨味と深さといった密度はあっても重さは無く、濁りやビオを実践している生産者に見られがちな過剰なビオ味も全く見られないことと、ワインの品格に欠かせない心地よい余韻の長さ。それらは彼らの多大な仕事の賜であるが、一方で気負いも感じさせない味わいでもある。 りきみが無い。

ジルベール氏も所謂フランスワイン文化においては「新しい時代の人」であるわけだが、そのワインはブルゴーニュの秀逸な生産者が表現する良い意味での「落ち着き」を既に備えている。70年代に「ヴィニョロンとして生きていく」という当時を振り返れば信じられない決心をした彼だからこそ、ビオロジーの実践やクローンの選択と言った手段も、自然にワインの味わいに内包できるのかもしれない。

 やはり彼らのワインは趣味の良い宝石なのである。