Domaine Anita et Jean−Pierre COLINOT 〜イランシーの輝く個性〜

(IRANCY 2003.10.15)

 

 

 

「何世代目かって?5〜6世代ってところかな」。そう答えてくれたのは、ボーヌで醸造学を修得後、2000年よりドメーヌに参画したステファニーさん。ちゃきちゃきのイランシーっ子(美人)である。

「シャブリの赤ちょうだい」。

百貨店時代(大阪)、たまにこういうお客様がいらっしゃった。「シャブリ近辺で造られているイランシーというワインになりますが」「何でもいいから、今それ、あんの?」「いいえ、取り寄せになります」「それやったら、似たようなん、選んで」。「シャブリの赤」で始まる接客は、結局いつもこんな風に終わってしまったことを記憶している。

百貨店におけるワインの品揃えというのは、博物館でも、担当者の嗜好が顕著に出ても、アウトである(私も時にこのミスを犯したと思う)。そして当時ワイン担当者であった私は結果的にイランシーをプロパーから外していたのだが、ドメーヌ・アニータ・エ・ジャン・ピエール・コリノのワインを試飲した時に、それはお客様にとっても、そして何よりもイランシーというアペラシオンにとって失礼なことだったのだと痛感した。なぜならそのワインは今までに味わったことのない個性を持つもので、私はイランシーというワインを知りもしないで、「似たようなん」を薦めていたということになるからだ。

 

イランシーと、ドメーヌ・アニータ・エ・ジャン・ピエール・コリノ

 

 シャブリの西、10数キロに位置するオーセロワ地方。近年はブルゴーニュの飛び地のように捉えられすっかりマイナーなこの地であるが、12世紀頃には「ブルゴーニュ・ワイン=オーセロワと隣人のシャブリ」であった。そしてその名声を支えていたのがイランシーである。しかしかつての名声も時代の変遷と共に「大量生産の安ワイン」に姿を変え、再度個性を確立したイランシーがAOCとして認定されたのは、ごく最近の1998年。現在はピノ・ノワールとセザールという地品種から赤と少量のロゼを産している。

 そのイランシーの中でも現在トップの評価を得ているのが、ドメーヌ・アニータ・エ・ジャン・ピエール・コリノである。ベタンで「10年の熟成を経ると、コート・ドールの同じミレジムのものに比肩する」と評価されたこのドメーヌは同本でイランシーとしては唯一の一つ星評価を得、それだけでなくフランス国内のレストラン業界(故ベルナール・ロワゾーや、ジョルジュ・ブラン、ソムリエ界の重鎮であるジョルジュ・ペルチュイゼ、オリヴィエ・プシエール、フィリップ・フォール=ブラ等)も、「ワインリストに載せるべきイランシー」として、このドメーヌが産するワインを高く評価しているのである。

 

 では一体、イランシーの個性を生み出すものは何なのか?またその個性を引き出すドメーヌの仕事とはいかなるものなのであろう?

 イランシーを地質学的に見るとそれは「キンメリジャン階の泥灰土と石灰」であるが、ここで土壌と同列に忘れてはいけないのは「陰の役者」、セザールというセパージュの存在である。

 AOCの規定ではセザールの使用は最大10%まで認められているが(イランシーにおけるセザールの植樹率は約3,8%)、フランス語で「セザール(César)」、すなわち「シーザー」と名付けられているように、この品種は2世紀にローマ軍の北上によりもたらされたものであり、その起源はネッッビオーロ種であると言われている。ネッビオーロの特徴と言えば、深い色調と頑強なタンニン、そして熟成すると表れるスミレや黒トリュフのニュアンスであるが、時に軽くなりがちなこの地のピノ・ノワールに深みを与える補助品種として、セザールは大変有効なのだ。霜害への耐性や結実率の低さなどから、ピノ・ノワールよりも更に取り扱いが難しいセザールであるが、それでもイランシーが今日までこの品種を守り続けてきた理由はここにある(ただしセザールの個性が前面に出過ぎると、そのワインは厳しさばかりが目立つものとなるようだ)。

 

場所が変われば、発酵槽も変わる。まるでダイビングの教習用プールのような発酵槽は、高所恐怖症の私にとって、腰がすくみそうに深い。

 そして冷涼なイランシーにおいては「いかに太陽を享受し」「この地のブドウならではの繊細なアロマを凝縮させるか」が課題となるのだが、7種類のイランシーを産するドメーヌ・コリノは、これらの課題を上手くクリアしていると言えるだろう。

なぜならイランシーの丘は村を中心に丁度「円形劇場」状にせり上がっており、よって必然的に斜面の向きも東西南北になるのだが、彼らの所有する10haの区画の多くは南向きなのである。そこでリュット・レゾネを採用、収量を自然に抑えるための「短く正確な剪定」に始まる畑仕事は、全て「冷涼なイランシー」に適したもので、夏期の枝先剪定等もその位置は光合成を有利にするために他のドメーヌよりも高く仕立てられている(注1)。また2003年のような特殊なミレジムを除くと、コンスタントに十分な酸が得られるイランシーでの収穫時の見極めは「最高の糖度」と「果房全体のフェノール類の十分な熟成」が重要視されるのだが、その為にコリノではリスクを承知で可能な限り収穫を遅らせる(劇場状の地形であるため霜害は比較的に少なく、よって剪定を3月下旬まで遅らせることができることも遅い収穫を可能にしている)。

醸造は至ってシンプルであるが(説明してくれた次代の後継者ステファニーさん曰く「ごく伝統的」)、このシンプルさはイランシーの個性を殺さないためには非常に理にかなっている。全房発酵後は、絞りすぎによるセザールの頑強なタンニンをワインに残さないために「Tête de Cuvée(引き抜きワイン)」のみを使用し(ピノに関してもアロマを重視し、同様に引き抜きワインを使用)、マロラクティック発酵・熟成期間中に樽は一切使用されない。ミレジム、キュヴェにより9〜12ヶ月を合成樹脂のタンク内で過ごしたワインは、澱引き、珪藻土素材でのごく軽い濾過を経て(この素材は非常に軽い濾過に有効)、瓶詰めされる。しかしこのように丁寧に果実由来の繊細なアロマやタンニンだけを移し取ったワインは、ミレジムによっては軽く15年の熟成能力があると言う。

そこで、テイスティングである。

(注1)

ブドウ葉は約4ヶ月間生まれ続けるが、1枚の葉の寿命は約40−50日。先に展葉した下部の葉が光合成の役目を終えた時に、活躍するのが上部の葉である。

 

テイスティング

 

 今回のテイスティング銘柄は以下(テイスティング順に記載。セザールの比率はミレジムによる)。

〜タンク・テイスティング〜

* イランシー パロット(Palotte:イランシーで最も有名なリュー・ディ。南向き。セザール5%) 2003

     イランシー レ・カイユ(Les Cailles:AOCイランシーの臨海地。南向き。100%ピノ・ノワール) 2003

     イランシー レ・マズロ(Les Mazelots:南向き。100%ピノ・ノワール) 2003

     イランシー マズロ レ・セザール(南向き。セザール5%) 2003

     イランシー コート・デュ・ムーティエール(Côte−du−Moutier:最も優れていると言われるテロワール。南向き。平均樹齢50年。セザール2%) 2003

〜ボトル・テイスティング〜

     イランシー VV 2002

     イランシー レ・マズロ 2002

     イランシー コート・デュ・ムーティエール 2002

     イランシー パロット 2001

     イランシー マズロ レ・セザール 2000

 

 2003年の一連のキュヴェは、一貫してグラスが染まるのではと思われるほど色濃く、キュヴェによるが還元香の奥から出てくるのはぎょっとするほどの濃厚なカシス、鉄、時にインドのミックス・スパイス「ガラムマサラ」のような複雑なスパイスがあり、冷たいミネラルは感じられるものの、「イランシー=何となく薄そう」な先入観は見事に覆されてしまう。また「最も優れていると言われるテロワール」由来の「イランシー コート・デュ・ムーティエール」には、モレ・サン・ドニのワインを彷彿とさせるような「土寄り」のどっしりとしたイメージと上品なスミレやバラといったフローラルさの綺麗な調和を、その中に見出すことが出来る。しかしステファニーさん曰く「2003年は私達ですら味わったことがない例外的なミレジム」。よって2003年の印象をイランシーとこのドメーヌの個性と考えることは避けた方が良いのであろう。

 そして瓶詰めされたものの試飲である。2001年の色調はかなり薄くこぢんまりとしたもので(しかしバランスは良い)イランシーがミレジムにかなり左右されるアペラシオンであることは否めないが、どのボトルにも共通して心地よいオリエンタル・トーンのスパイスが底辺にあり、特に「イランシー コート・デュ・ムーティエール 2002」と「イランシー マズロ レ・セザール 2000」にはピノ・ノワール・ファンにとって「未知のピノ・ノワール」との出会いが約束されていると言えるだろう。ビャクダンや牡丹のようなスパイスに共通するオリエンタル、ねっとりとした甘味と、これを支える綺麗な酸味とミネラル、そして2本足のジビエを合わせたくなるような硬く軽い目の鉄のニュアンスと良い意味での「臭み」は、やはりピノ・ノワールに「何者か=セザール」が加わっていることを感じさせ、それは飲み手を疲れさせない癖になりそうな味わいなのである。後日「イランシー マズロ レ・セザール 2000」にペルドローを(西洋ウズラ)を合わせる機会に恵まれたのだが、これがピッタリ!であった。コリノのワインがレストラン業界に重宝されるのも頷ける。

 

謙虚なイランシー

 アポイントを取ってドメーヌから直接ワインを買いにブルゴーニュを廻っている、フランス人ワイン愛好家(夫婦)が私の訪問中にコリノに訪れた。彼らはこの時期の常連さんであるらしく、一通り2002年の試飲を終えた後、2ケースを購入。彼らのバンの後ろにはメオ・カミュゼなど、ブルゴーニュのいわゆる「銘醸ドメーヌのワイン」が既にぎっしりと積み込まれていた。ちなみにコリノのワインは一般の顧客が蔵で購入する場合は最も高いものでも10,5ユーロである。「なんと言ってもマイナーなアペラシオンだし、醸造もシンプルだから価格も安くて当然でしょ」とステファニーさんは言うが、こういう時にTPOで個性のある美味いピノ・ノワールを選択できる知識と環境に恵まれたフランス人を、羨ましくも少し尊敬するのである。

 「ピーク時に比べ日本への輸出量が減って、少し不安。日本の市場に問題があるのか、私達のワインが受け容れられるのか私には見えないの」。その質問には間違えなく前者であると答えたが、同時に自分が日本で売り手であった時のふがいなさを改めて思い知らされた。流通が理想では決して成り立たないことが現実ではあるのだが、日本にピノ・ノワール・ファンがいる限り、無視するには惜しいと思われるだけの「慎ましいけれど輝ける個性」が、イランシーとドメーヌ・アニータ・エ・ジャン・ピエール・コリノのワイン達にはあるのである。