Domaine DUJAC 〜余裕が生み出す味わい〜

(Morey−Saint−Denis 2003.9.23)

 

 

 

ジャック・セイス氏と、息子さんの一人であるアレックさん。地下の瓶熟庫にて。

 既にスターであるこのドメーヌを尋ねようと思ったのは、当HP「ブルゴーニュにおけるビオの動向」での生産者巡りで参考にしているモンショヴェ氏(ドメーヌ・カトリーヌ・エ・ディディエ・モンショヴェ)から頂いた「ビオに取り組む生産者リスト」に、「DUJAC」の名前を見つけたことにある。ジャック・セイス氏の右腕であった故クリストフ・モラン氏が活躍していた80年代後半から既に化学肥料や除草剤を排した自然農法への取り組みは為されていたが、その流れは新しい栽培責任者であるリリアン・ロバン氏に着実に引き継がれているという。

 同時にもう一つ関心があったのは、90年代に入りこのドメーヌのスタイルに変化があるように感じられたことである。豊かな甘味、細やかで柔らかなタンニンに支えられた華やかさと健康的な色気(熟成すると官能)に溢れる味わいが、私のデュジャックに対する大まかなイメージであったが、このイメージの要素である「甘味(果実味)」の強さは明らかに以前とは違うものだ。

 自然農法という手段がすぐに味わいの変化に結びつくものではない。しかしその手段を選んだ哲学がワイン造りの諸処にも変革を起こし、それらの結果が味わいの変化をもたらすことは可能である。

 これらの変化を直接伺うことが、今回の訪問の目的である。

 

ビオロジーとリュット・レゾネ

 

 今回応対して頂いたのは、ジャック・セイス氏と息子さんの一人、アレックさんだ。早速冒頭の訪問意図をお二人に伝える。

私達が採用しているのは、ビオロジーとリュット・レゾネ半々です。ビオディナミではありません。これらの農法に立ち帰ったのはごく自然な流れで、働き方を変えた80年代後半頃には明らかに土壌が傷つけられていると感じていました。『土壌が傷つけられている』ということは『そこにある可能性や能力を殺してしまうこと』で、土壌が良い状態で無いことには何も始まらないでしょう?除草剤や化学肥料を排することで同時にそれに代わる多大な仕事が増えるわけですが、それについて私達がしてきた畑仕事のレベルは格段に進歩したと思います」。

 なんの気負いも無く静かに話すセイス氏の様子が何よりも、デュジャックにとってこの選択は「ごく自然な流れ」だったことを物語っているようだ。ちなみにデュジャックも「GEST」(「ブルゴーニュにおけるビオの動向参照)のメンバーであり、ジョルジュ・ルーミエ、メオ・カミュゼ、コント・ラフォンらは友人であり、良き仕事仲間でもある(「彼らとはお互いの畑を尋ねて、それぞれの畑の手入れの日を決めるなどアイディアを交換し合っていますよ」とセイス氏)。

 

90年代以降、果実味に変化が感じられることに関しては、

90年代以降天気予報の予測能力も上がり、より完熟状態での収穫にシフトしたことと、選果レベルが上がったからではないでしょうか」との答えが返ってきた。

デュジャックでは基本的に除梗は行わない。除梗を行わないためには果梗も十分に熟している必要があり(そうでなければ果梗からのタンニンは収斂性の強い青みのあるものとなってしまう)、「完熟状態での収穫」が意味するのは糖度レベルの上昇だけではなく、この果皮・種・果梗から来るタンニンの質の変化(同時に完熟を待つのということは「酸の低下」とのバランス調整がよりピン・ポイントとなる)も含まれる。またデュジャックでは1991年以降濾過だけではなく清澄作業も行わなくなったが、これらを可能にしたのはやはり「タンニンや旨味成分の質の向上」であろう。つまり「甘味(果実味)の変化」と感じた理由の一つは、「ブドウの質の上昇に伴う、醸造の変化」ではないだろうか?ただしこの変化に関してはパーカーのように賞賛する動きと、昔のスタイルを懐かしむ動きがあるのは事実である。

「ワインの品質の高さは品質の高いブドウにこそ由来するもので、よって畑での仕事でその多くが決定されます」というセイス氏の言葉に全く異論は無いが、そうして得られたブドウの品質=力を醸造という手段を用いてどの方向に導くかは、やはり生産者の個性(嗜好)であり、そういう意味では「甘味豊かな果実味」がより前面に打ち出されたスタイルが、デュジャックの「今のスタイル」なのかもしれない。

「フィネス、エレガンス、テロワール、これらを表現するための考えら得る最良のブドウ。これはブルゴーニュの命題だけれど、そのためには最終的に一人の人間に採決(責任)を託すことも大切だと思う」というアレックさんの言葉に、ブルゴーニュに多様性をもたらせているのはテロワールと並んで、そこに携わる生産者そのものでもあることを、今更ながら思い出す。デュジャックも常に一人の中心人物を前面に、変化しながらも「デュジャック」としてのスタイルを打ち出し続けているのであろう。まずは90年、91年、93年、95年、96年、99年といった90年代以降の彼らお気に入りのミレジムがどのような熟成を遂げるのかを、気長に待ちたいものである。

 ところで驚いたことにデュジャックには「選果台」が無い。ボルドー右岸などでは選果台自体がより進化を遂げているのとは全く対照的である。デュジャックの資力や細部へのこだわりを考えると、手間や節約、収量を上げる等の理由は当然ながら見あたらず、セイス氏の言葉通り「ブドウは熟練の収穫人によって、収穫の時点で厳密に分けられるべき」というのが、このドメーヌの選択肢なのであろう。ちなみに近年の平均(ヴィラージュ〜グラン・クリュ)収量であるが2003年は17hl/ha(この収量の低さは今年の酷暑と乾燥に由来する)、2002年は35hl/ha、1999年は48hl/haである。1999年の高さは意外であるが(それでも味わいに自然な凝縮感があるのは不思議である)、収量がコントロールしやすいコルドンを仕立てに採用しているせいもあり、平均35−40hl/haで推移しているようである。

 

テイスティング

 今回のテイスティング銘柄は、以下。

     モレ・サンドニ(ヴィラージュ) 2001

     ジュヴレイ・シャンベルタンブル プルミエ・クリュ オー・コンボット 2001

     クロ・サン・ドニ 2001

     ボンヌ・マール 1976

 

 収穫前の天気に恵まれなかった2001年においても、全てにおいて緻密なタンニンや綺麗に熟した黒い果実のニュアンスがあるのは流石である。またモレ・サンドニには黒コショウのようなスパイス、オー・コンボットにはスミレや丁字、クロ・サン・ドニには赤身の肉のようなはっきりとした鉄分があり、個性の異なるテロワールを感じる深い喜びがある(アレックさん曰く、「2001年はテロワールをバランスのミレジム」)。

 しかし、ボンヌ・マール 1976年!高価なローズ系の香水をつけて数時間経った人肌の、官能的かつ複雑な香りがふわりと立ち昇り、血の鉄っぽさを含んだ細かいタンニンや旨味がねっとりと重みを持って舌にからみつく様子は、まさにシャンボール・ミジュニィに心を残すボンヌ・マールそのものである。しかもこれはドゥミ・ブテイユ。カーヴという最高の条件で保管されていることを差し引いても理想的な熟成を遂げている(カーヴの中ならあと数年は楽しめる余力もある)。デュジャックにとって当時これが8回目のミレジムであったことを考えると、改めてこのドメーヌの底力を見る思いである。

 

セラーの一部。

写真はドメーヌの瓶熟庫のごくごく一部(巨大すぎてデジカメには収まらず)。ワイン・ファン垂涎の「あのワインのあのミレジム!」が、数本単位ずつで眠りにつく地下図書館のような「趣味の熟成庫」も圧巻。

 

余裕が生み出す味わい

 

 訪問を終え、ディジョンに行く用事がある彼らの車で途中まで送って頂くことになった。彼らがディジョンに行く用事とは、ディジョンにあった1つ星レストラン、「チベール」のシェフ(現在「チベール」は「ステファン・デルボー」に買収されたが、ホール・スタッフらはそのままで一つ星を維持している)やルーミエらと共に、「彼らのワインと美食の宴」を催すちょっとした準備のためらしい。

セイス氏が幼い頃から美食家であることは有名であるが、彼らの造り出すワインにも微妙なスタイルこそ変われど、レストランでの食事や雰囲気が似合うような風格がある。飲む人をも贅沢な気分にさせる、余裕が生み出す味わいとでも呼ぶべきか。その味わいは日常のこんな一コマにも表れているのかもしれない。ともあれ長いブルゴーニュの歴史の中では、「デュジャック・ワールド」の存在もまだまだ新しい。次に私達にいかなる「デュジャック・ワールド」を見せてくれるのか?楽しみである。