Jacques SELOSSE 〜幻のコトー・シャンプノワ〜

(Avize 2003.7.22)

 

 

 

 「一つのワイン、一つのドメーヌを理解し書くためには、何度もドメーヌに通い、経時的に過去からのミレジムを試飲する必要がある」。

ある大先輩の知人のこの言葉は全く正しいと思うが、個人で動いている現状には資金や時間といった問題が付きまとい、そのまま実行するのはかなり難しい。

 私達日本人が他国のワインを理解するためには、自国の人達に比べて言葉や土地勘といった基本的な問題に加え、文化や生活習慣の違いがあり、不利な点は多いだろう。例えばワインを表現する「ルビー色」や「カシスの香り」といった言葉一つ取っても、フランス人がそこに思い浮かべるものは微妙に違うように感じるのだ。

では日本人であるメリットは?こちらも色々あるだろうが、私が最も強みに感じていることの一つは本国と日本で同じ銘柄を飲み比べる機会が、本国の人達よりも圧倒的に多いということだ。そこにはインポーターの良心や、そのインポーターを選ぶ生産者のスタンス、そしてワインの耐久力など、輸出されるワインが避けて通れない別の側面が透けて見える。

ジャック・セロス。最初にこのシャンパーニュを口にした時の衝撃は忘れられない。冒頭の知人の言葉を遂行し、日仏での今後の進展も見続けたいと思わせる(現時点では超入手困難なので試飲の機会は限りなく少ないが)、筆頭のシャンパーニュである。

 

ジャック・セロスの近況

 

 前回の訪問は2002年7月26日。前回訪問時からのニュースをかいつまんでアンセロム・セロス氏に話して頂いた。以下はセロス氏のコメントである。

 

ミレジム2002年

 「素晴らしいミレジムとなった2002年は、乾燥した年だった。よって開花から収穫までの期間は90日と短め。糖度もアルコール換算度にして11,5−12,5度と十分に上がったよ。また私達のところではミランダージュ(注)が起こり小粒の状態で収穫できた。小粒な分、実が皮と接触する面積が多いから実に皮の豊かな風味が移し取られて、出来上がったワインには白ワインながら赤ワインにあるヴィロードのような滑らかさが生まれたんだ。

 また圧搾後の果汁にSO2を使用しないために、この年初めてCarboglace(ドライアイス)を用いてみた」。

 

(注)ミランダージュ(Millerandage):

日本語では「結実不良」「無格硬粒」。こうと書くと良いイメージではないが、質を重視する生産者には喜ばれることが多い。なぜならミランダージュを起こしたブドウ粒は小粒で(種が無いこともある)、糖度が高いからである(収量は落ちるので当然ながら量重視の生産者にとっては「被害」であり歓迎されない)。

 

新たな区画はアンボネイとメニル

 「2002年の1月には、アンボネイに3区画、計0,35haの畑を手に入れた。その区画で2002年には一樽だけコトー・シャンプノワを造ったんだ。でも現時点では販売予定は無しだよ。

後新しい区画と言えば、メニルに2区画、0,4haだ。今年は春の遅霜で私達のコート・デ・ブランの区画は約90%の被害を被ったけれど、この新しい区画の被害は50%ほど。もっともこの区画のブドウがシャンパーニュになって市場に出るのは2010年以降、ってところかな」

 

2003年状況

 「2003年の特徴は4つある。つまり『例を見ない暑さ』、『乾燥』、それによる『ブドウの生育の異常な早さ』、そして『霜害』だ。ここに1911年からの収穫状況の表があるが(表を見せながら)、このままだと1976年以来の早い収穫か、それより早い可能性もある。ちなみに1976年のシャルドネの収穫は開花より82日目の9月1日だ。

 4月8日から11日にかけての春の霜害は1951年以来の規模だった。霜害後直ちに調査をし、コート・デ・ブランの区画で約90%の被害が残念ながら確認された時点で、収穫までの細心の仕事ができるように計画を練り直した。この時点では収穫されるべき小粒のブドウだけで1haあたり最大4500kgの収穫も見込まれたが、あくまでも見込み。収穫までは何が起こるか分からないからね。2世代目のブドウの生育状態が良ければ、9月末から10月上旬にかけて2度目の収穫を行う可能性もある。

 またこれらの状況を確認できた時点で、顧客にかける迷惑を避けるために、この状況を文書にして告知した。すなわち可能性として、2003年の販売価格は据え置きできるだろうけれど、2004年に関しては状況次第で数パーセント価格を上げることや、通常のキュヴェを生産できないこと、割当量が減ることがあることをね。

 でも個人的には2003年は『発見のミレジム』だと思っている。なぜならかつて私が経験したこともないようなことが山ほど起こって、それについての最良の対処を一つ一つ見つけていく必要があったからね。こんなことが無ければ考えなかったことも色々と考えさせられた。もともとシャンパーニュ地方は2つの気候に左右されるから、それでなくても不安定なんだ」。

 

 セロス氏はきちんと整理された膨大な資料を惜しみなく、しかし的確に事務所の机に広げ、てきぱきとかつ快活に説明を進めていく。霜害後の氏の迅速な振る舞いはこんなところにも表れているような気がする。そしてシャンパーニュといった地方やブドウ栽培に限らず、今年の異常気象はフランス全土の農業に関わる人達を悩ませているはずだが、セロス氏のようににっこり笑いながら「2003年は発見のミレジム」と言い切れる人は一体何人いるだろう?

 「そう、新しいことと言えばジェローム。去年彼と会っただろう、ジェローム・プレヴォ。彼のシャンパーニュの名前も『Lieux−Dits(リュー・ディ)』から『La Closerie(ラ・クロズリー)』に変わって、ラベルも新しくなったんだよ。これもニュースだろう?」

冒頭の知人は「セロス氏は本当に頭の良い人だ」と言ったが、真に頭の良い人とは「暖かみを忘れない人」でもあると思う。愛弟子ジェローム・プレヴォの新旧のラベルを私に手渡しながら、彼の活躍を嬉しそうに伝えるセロス氏の持つ空気は暖かい。

 

テイスティング

 

たった一樽のコトー・シャンプノワと、ジャック・セロス氏。

 今回は1992年以来のミレジメである1995年(2月にデゴルジュマン済み。9月出荷予定)と、現時点では「非売品」であるコトー・シャンプノワ 2002年(樽)を試飲した。

グラン・クリュ ブラン・ド・ブラン 1995

真っ先に飛び込んでくるのは様々な完熟した桃類、白桃、黄桃、アプリコット。そしてジャック・セロス特有の柔らかい酵母感。発酵バターのような繊細なミルク。乾燥した藁のニュアンスは少しシェリーを思わせる。そしてナッツやドライ・パイナップル。口に含むと優しくクリーミィな泡立ち。味わいには香りに共通する果実や樽由来の重量感があるが、心地よくちりちりとした酸味や滑らかなミネラルと綺麗に中和され、旨味、深さ、軽やかさを伴った余韻となって伸びていく。出荷後もじっくり熟成させて飲みたいポテンシャルがある。

コトー・シャンプノワ 2002

 赤い果実の香りが非常に複雑。甘草や黒コショウ。香りだけなら優れたつくり手によるコート・ド・ボーヌのプルミエ・クリュに持っていきそうだが、口に含むと新鮮さや繊細な骨格を伴った羽根のような軽やかさが主体で、この軽やかさは余韻にも続く。そしてこの余韻は少しエグリ・ウリーのコトー・シャンプノワを思い出させる。

 セロス氏曰く、「ブルゴーニュのピノとも、アルザスのピノとも違うだろう?これがクレー土壌のシャンパーニュのピノなんだ」。このワインの忘れがたい軽やかな複雑性は熟成後どのような方向に向かうのか、またセロス氏のコトー・シャンプノワ自体がどのように変わっていくのか、いずれは市場に出ることはあるのだろうか?現時点では消費者にとって「幻のコトー・シャンプノワ」であるが、たった一樽のワインにも目が離せなくなるのが、セロス氏のワインなのかもしれない。

  

 ところでセロス氏は試飲にあたって、「何を試飲したいのか」「赤とシャンパーニュならどちらを先に始めたいか」などを必ずこちらに尋ねてくる。尋ねて頂けることは嬉しい反面、ある意味緊張するが、試飲を進めるうちに1年前である前回の試飲銘柄・状況などをセロス氏が細かに覚えていることに驚かされる(訪問客は多いであろうに)。

 

 セロス氏の抜群の「記憶力」も、偉大なシャンパーニュを生み出す大きな力なのかもしれない。