Domaine Michel LAFARGE 〜ヴォルネイのバラ〜

(Volnay 2003.6.19)

 

 

 

ミシェル・ラファルジュ氏。ブルゴーニュの素晴らしい生産者が揃う試飲会では必ずご夫婦でスタンドに立っていらっしゃる。まだまだ現役!

 ブルゴーニュのピノ・ノワールに魅せられて以来、私なり(関西なり?)に「これ、飲んだ?」というマイ・ブームがあった。それはネゴシアン・ルロワの古酒に始まり、ジャイエ・ジル、アンリ・ジャイエ、デュジャック、ルーミエ、グロフィエ、モンティーユ、、、と挙げればキリがないのだが(王道まっしぐら)、それぞれの生産者が与えてくれる喜びの質は違えど、共通していることがあった。それは大手ネゴシアンの整ったワインである程度のアペラシオンの基準が自分の中で出来上がった後に、「え、このアペラシオンでこれあり?」という、強烈な個性である。

 そしてその流れの中にあった一つがドメーヌ・ミシェル・ラファルジュだ。私は今でもよくブラインド・テイスティングでヴォルネイとシャンボール・ミュジニィを間違えるが、初めてラファルジュを飲んだ時にはヴォーヌ・ロマネと間違えた。シャンボール・ミュジニィよりもより骨格があったからだ。しかしヴォルネイだったとは!

この「超アペラシオン」をやってのけるラファルジュが近年ビオディナミに取り組んでいると聞き及んだ。最近のビオ動向には非常に興味があるが、私自身は決して「ビオ信者」ではない。しかし以前から力のある生産者が敢えて危険を冒してまで「ビオ」という手段を選ぶ時、その背景が気になって仕方がないのである。 

 

 

 

ビオディナミを実践した理由とは?

 

 「××××年にビオロジー、もしくはビオディナミに移行」。私が書いているものも含めよく生産者に関する記述に見られる一文であるが、実際にはもちろんそう簡単なことではない。そしてここ、ミシェル・ラファルジュも冒頭に述べたようにビオディナミを採用しているが(1997年から実験的に応用し、2000年からは完全に転向)、ビオディナミを実践する以前からリュット・レゾネ(非常に厳しい減農薬)を採用し極力機械を排した畑仕事を行っていた彼らにとっても、応用を開始した数年は試行錯誤の日々だったようだ。

 ビオディナミのスタート年である1997年にはクール・ノエ(Court−noue。葉の奇形、新枝の異常分岐をもたらす。最悪ブドウ樹を引き抜く場合もある)というウイルス系の病害が発生、1998年は10haある畑のうち1,8haにのみ応用、1999年には更に2ha拡大とまさにフランス語で言う「Petit à petit(ほんの少しずつ)」である。2000年には一気に全域での採用となるのだが、この時点で元々低収量で知られる彼らの収量は更に自然に落ちたという。

「フレデリック(息子さん)と私の考えがそのまま実践できる小さなドメーヌだからこそ、可能だったところもある。生産量の多い大きなドメーヌだと難しいかもしれないね。なぜならより日々、より細心な観察と注意が必要となるからね」とミシェルさん。ではそこまでしてビオディナミに移行した理由は何なのか?

テロワールを反映した果実味が凝縮したワインを造りたかったから。その為にはブドウ房は小粒・小ぶりでなければいけないし、小粒だと皮の割合が増えるから自然なタンニンも得られるしね。要するに自分たちが納得できるブドウを育てたい訳だけれど、結果的には確実にブドウの質が上がったと思っている。

 それに土と人間の健康を考えた時に、ボルドー液の使用を減らしたかったんだ(注)。現時点でゼロには出来ないけれど、ビオディナミではボルドー液の使用を減らす為に代用する植物も見付けているからね。

 ブドウ樹の手入れは人間の健康管理と似ているところがあるし当然病気も起こる。そして人間の医学でも病気を治すためにオメオパティ(Homéopathie:同種療法。ホメオパシー。病原因子と同じ症状を引き起こす超微量の物を投与して治療する方法)という考え方があるが、ビオディナミにはこのオメオパティの考え方が上手く取り入れられていると思う」

 以上はミシェルさんの言葉であるが、息子のフレデリックさんはドメーヌの仕事の合間を縫ってDRC、コント・ラフォン等と共にブルゴーニュにおけるビオの活動にも積極的に参加しており(参照:「ブルゴーニュにおける、ビオの動向」のコーナー)、お互いの畑を訪問し合っては土の状態などを頻繁にディスカッションしているようである。

 

(注)ビオディナミに移行した理由としてジュヴレイ・シャンベルタンのドメーヌ・トラペなど、ボルドー液を巡る考え方を挙げる生産者は多い。これに関しては「ブルゴーニュにおける、ビオの動向」のコーナー 記載しています。

 

テイスティング

 

今回のテイスティング銘柄は以下(テイスティング順に記載)。

バレル・テイスティング(2002年)

     ブルゴーニュ・ルージュ(ヴォルネイの区画より)

     ヴォルネイ

     ヴォルネイ・ヴァンダンジュ・セレクショネ(プルミエ・クリュやVVなどの最良のパーセルをアッサンブラージュ)

     ボーヌ プルミエ・クリュ グレーヴ

     ヴォルネイ プルミエ・クリュ クロ・デ・シェーヌ

     ヴォルネイ クロ・デュ・シャトー・デ・デュック(モノポール)

ボトル・テイスティング(2001年)

     アリゴテ(ムルソー寄りのヴォルネイの区画より)

     アリゴテ レザン・ドレ(Raisin d’Orée。通常のアリゴテより15日後に収穫。1999年〜)

     ムルソー 

     ブルゴーニュ・パストゥグラン 

     ブルゴーニュ・ルージュ 

     ボーヌ プルミエ・クリュ グレーヴ 

     ヴォルネイ プルミエ・クリュ クロ・デ・シェーヌ

 

 「ブルゴーニュで最高のジェネリック・ワインをつくっている生産者」、「樽の中であろうと、数年寝かせた後であろうと、それらはいつでも飲めるようになっていて、他のブルゴーニュの赤が悩まされる『沈黙の期間』は経験したことがないようだ」。パーカーの本にこう評されたラファルジュであるが、「全くその通り!」とまずは言っておきたい。

 樽熟成中のブルゴーニュ・ルージュにあるのはブラック・チェリー様の甘い香りや、深みを備えた細かく滑らかなタンニンで「これ、ブルゴーニュ・ルージュちゃうやろ(大阪弁も入るってものである)」と思わず言葉が出てしまう。いきなりこのドメーヌお得意の「超アペラシオン」だ。しかもこのまま瓶詰めしても良いのでは、と思われるほど既にワインとして「美味い」。しかし樽からの試飲が素晴らしかったのに瓶詰めされると樽時代の生彩が何故か『消えてしまう』ワインに出会うこともあるが、このドメーヌが1994年のような難しいミレジムにおいても十分に熟成の楽しみを味あわせてくれることを考えると、決して現時点だけの素晴らしさではないだろう。通常生産者の蔵元での試飲は徐々にワインのクラスが上がり、その中でポテンシャルや性格を判断していくので試飲する側のテンションも厳粛に上昇していくのだが、このドメーヌでは最初から「嬉しいハイ・テンション」になってしまう。

またヴォルネイからは溢れるバラ、ボーヌからはミネラルの骨格がくっきりと感じられ、テロワールを知る喜びもある。そして何と言ってもヴォルネイ クロ・デュ・シャトー・デ・デュック!現時点では多少の還元香があるものの根底にある香りは、湿った真っ赤なバラそのものである。そこに徐々にスミレが加わり、熟したカシスやプルーン、ホールの黒コショウといった果実やスパイスによる複雑性が増していく。濃密な熟したタンニンはアルコールと上手く調和しており、余韻まで決して重さを感じさせない。そしてなぜかラファルジュの「バラ感」はいつも私に「ヴォーヌ・ロマネのバラ感」を思い出させる。

白に関しても全体的なレベルは高いが最も驚かされるのは1999年が初ミレジムという、アリゴテ レザン・ドレ(Raisin d’Orée)通常のアリゴテより約15日後に収穫されるこのキュヴェは、1999年のような太陽に恵まれたミレジムにはまさに「黄リンゴの蜜」を感じさせる味わいがあり(2002年3月試飲)、一方2001年ようなミレジムでは同じく黄リンゴの噛むほどに弾けるような新鮮な酸がある。そして2つのミレジムに共通してある水のように透明で深いミネラル。こちらも「アリゴテでここまでする?」と言いたくなる逸品である。

 

訪問を終えて

 

 今回残念ながらフレデリックさんとお会いすることはできなかったが、ミシェルさんの口ぶりにはフレデリックさんに対する静かな信頼感のようなものが十分に感じられた。ビオディナミの実践により積極的だったのはフレデリックさんだと察するのだが、ミシェルさんはその仕事を自らの経験をもって後ろからどっしりと支えているのであろう。ミシェルさんと同年齢のヴィニョロンの殆どが引退していることを思うと、頼もしさと尊敬を感じてしまう。

 著名ドメーヌのジェネリック・ワインを購入してたまに「割高だった」とがっかりすることがあるが(日本円で3000円以下のワインなら別にブルゴーニュ・ルージュやブランである必要は無いことが多いのだ)、このクラスでも決して見逃せないミシェル・ラファルジュ。ビオディナミの実践がこのドメーヌの更なるレベル向上に寄与することも含めて、これからもミシェルさん&フレデリックさんのタッグによる「超アペラシオン」を期待して止まない。