Domaine des COMTES LAFON (Meursault 2003.7.9) |
端正なシャトーの横に広がるクロ・ド・ラ・バールの畑。 |
このドメーヌの素晴らしさは、今更私がここでもう一度書き連ねる必要は無いだろう。そして個人的にもこのドメーヌのワインを口にする機会に恵まれた時には、新たな発見と感動こそあれど、そこに批判の気持ちは全く生まれないのである。
約1年以上越しで念願の訪問となったわけだが、今回の訪問の目的はドミニク・ラフォン氏その人に「ビオディナミ」と「ビオディナミを実践したことによって具体的にどういう変化があったか」を伺うことである。
ラフォン氏との会話はシャトーのすぐ横に広がるクロ・ド・ラ・バールの畑で始まった。畑は枝先剪定とエフォイヤージュ(除葉)の作業の真っ最中であった。房の成長を注意深く観察しながら、作業中の男性一人一人に細かく指示をするラフォン氏。足元にあるのは色の濃い柔らかい土。畑という日常の中のほんの一コマにも、ドメーヌの姿勢とは透けて見えるものである。
ドミニク・ラフォン氏に、ビオディナミを聞く |
ラフォン氏が実験的にビオロジーとビオディナミを試み始めたのは1995年、そして完全にビオディナミに転換したのは1998年のことである。そのラフォン氏によるとビオロジーとの違いを含めてビオディナミの重要なポイントは大きく分けて3点あると言う。以下はラフォン氏の言葉である。
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ビオロジーについて
「『化学薬品を排して得られた良質なブドウが、ワインの品質に直結する』という考えに、ビオロジーが私達を導いてくれたのは確かだ。ただビオロジーの認定団体が提唱するカイエ・デ・シャージ(定款書)には規制はあるが、『ビオロジーで得られたブドウをどのようにワインに変換させるか』という視点に欠けていると思う。だから規制を守りコントロール下にあるというだけで、ビオ、ビオと声高に叫ぶのは奇妙だと思うんだ。
私はカーヴの改良も含め、ビオディナミの哲学をワインに応用するために様々なことを現在進行形で行っているが、それが実際に機能しているかどうかを他のビオディナミ実践者達と一緒に常に確認しあい(注 1)、自ら必要と判断した上で規制することを決めている」
A化学薬品について
「化学薬品が土を殺し、水を汚す。それは当然土、植物、ひいては人間にも良くない。畑の中の自然を尊敬するということは、最終的に人間をも尊敬することだ。
しかしそれを承知してまでも効果を求めて化学薬品を使うとする。ここで忘れてはいけないことは『化学薬品は長期間使用すれば使用するほど、その効力は薄れていく』ということだ。つまり病気というのは化学薬品に対して時間の経過と共に耐性ができ、更に進化する。1、2年は化学薬品の効果が望めても、3年目は全く効果が無い時もある。そうなると更なる強い薬品を使用しなければならない。同時にその悪循環の中で化学薬品は確実に土中に残存していく。
私は20年近くこういった現状を目の当たりにしてきて、この悪循環を止めることは必至だと痛感したんだ。全ては土壌にある。まずは土壌の微生物構造をもう一度改良し、さらにその力を引き上げてあげなければ」。
A
Pourquoi on est la?(なぜ私達はここにいるのか?)
「ビオディナミで実践していることはシンプルなのだけれど、最後のポイントは理解し、さらにそれを人に説明するのは難しいかもしれない。別の心の高ぶり(emotion)とでも言うべきか。
例えば小さな一つの手入れについて考える時でも、私はビオディナミを通して様々な事象を思い浮かべるんだ。Pourquoi on est la(なぜ私達はここにいるのか)?それは人間が常に探し求めなければいけないことだ。
経済について考えることもある。ビオディナミという手段を取ったお陰で当然ながら土と働く時間は格段に増え、人手も必要となった。ならば人を雇うことで失業者が一人減るわけだ。実際普通に化学薬品を使って作業をすれば1haあたりに年間かかる費用は約6,000フランだ。私が聞いた極端な例では20,000フランというところもある。一方私達が現在土壌の手入れの為に必要な費用は1,000フラン。ならばこの差額を人件費や研究費に回した方が有効だとは思わないかい?
同時にビオで作られた製品を買う人達の動きも彼らにとっては健康のためであっても、最終的には土のため、そして同時にそこで働いている人間を助けていることにもなるんだ。ビオディナミには経済やその他の問題に対する多くの答えも内包されていると思う」。
(注 1)
「GEST(Le Groupement d’etudes et Suivi des Terroirs)」が結成される際に、ラフォン氏は中心人物となった一人である。そしてGESTとは ブルゴーニュにおいて以下の目的の為に結成されたグループである。
* 彼らのブルゴーニュ・ワインがよりテロワールを表現できるものになり、かつその状態を存続できること。
* より環境に配慮した農業を発展させること。
今日では多くの著名な生産者を含む110のドメーヌが名を連ねている。詳しくはブルゴーニュにおける、ビオの動向のコーナー参照。
ウドンコ病とベト病対策について |
ところでブドウ栽培家にとって避けて通れない「ウドンコ病」と「ベト病」対策は、ビオディナミ実践者の間ではどうなされているのだろうか?
「ウドンコ病(Oïdium)対策は硫黄だ。しかし硫黄は知っての通り自然界でも存在するものだ。問題なのはその硫黄をどこに求めるか?つまり化学薬品という形で用いるとさっきも言った通りウドンコ病の菌類も薬品に対して耐性を持ち、やはり進化するからね。
そしてベト病(Mildiou)対策だ。現時点では唯一の有効な方法がボルドー液なわけだが、これは知っての通り銅が土に残存するという問題を抱えている。私達にとってこの使用量をいかに減らすかは非常に重要な問題だ。
ビオでも許可されている方法が2つあり私はこの2つとも試したが、私達の畑ではどうも上手く作用しなかった。そこでOrtie(イラクサ)とPrêle(トクサ)(注 2)を煎じたものを用いたんだ。これは素晴らしい効果があった。お陰でボルドー液の使用量は1/5以下にまで減らすことができたよ。おまけにイラクサもトクサも基本的には『タダ』だしね。
ビオディナミには基本的な自然由来の調合物があり、それらを畑の状態を見ながら作業カレンダーに合わせて使用するわけだが(注 3)、それらの使用だけでなく私が試験的にビオを始めて以来7〜8年の間に、畑の中には病害に対する抗体を持つ植物も随分増えたものだよ。
ビオディナミはその言葉通り、Bio(ビオ:生命)にDynamiser(活力を与える)するわけだが、それは一つの病害に対する『目的』的な対処ではなく、それらの被害が生じた環境を根本から改善し、自然の持つ力を引き上げようという考えに基づいている。それは少しオメオパティ(注 4 Homéopathie:同種療法。ホメオパシー。病原因子と同じ症状を引き起こす超微量の物を投与して治療、かつ自然な治癒力を高める方法)の考え方に共通するところがあると思う」。
〜コント・ラフォンの調合庫にて〜
調合庫にはビオディナミで基本的に用いられる調合物(500−507 注 5)が、整然とストックされている。 |
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コント・ラフォンの裏庭に生えているイラ草。このままだと触れることができない草であるが、乾燥させて使う。 |
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乾燥中のイラ草。鉄分供給だけでなく、害虫対策効果もあり。 |
トクサ。硫黄分供給。 |
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500の「Bouse de Corne」を手にする、ドミニク・ラフォン氏。「香ってごらん。本当に良い香りがするだろう?」。 | 粉末にした上記の薬草を水に混ぜたりするための機械。 |
(注 2〜5)
ビオディナミで用いる基本的な調合物の説明や「オメオパティ」に関してはブルゴーニュにおける、ビオの動向 のコーナー、ビオディナミにおける調合準備の基本知識 ボルドー液疑問派必見!
の欄を参照にして下さい。
テイスティング |
いよいよラフォン氏のフィロソフィーが詰まっているはずである、ワインのテイスティングである。今回のテイスティング銘柄は以下だ(テイスティング状況は、ボトル、バレル、アッサンブラージュ後瓶詰め前にワインを落ち着かすタンクの中からの3種類)。テイスティング順に記載。
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ヴォルネイ プルミエ・クリュ サントノ・デュ・ミリュー 2001
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ヴォルネイ クロ・デ・シェーヌ 2002
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ヴォルネイ プルミエ・クリュ サントノ・デュ・ミリュー 2002
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マコン 2002
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マコン・ミリー・ラマルティーヌ 2002
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マコン・ビュシエール 2002
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マコン・ミリー・ラマルティーヌ クロ・デュ・フール 2002
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ムルソー クロ・ド・ラ・バール 2001
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ムルソー プルミエ・クリュ シャルム 2001
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ムルソー 2002
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ムルソー クロ・ド・ラ・バール 2002
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ムルソー プルミエ・クリュ グート・ドール 2002
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ムルソー プルミエ・クリュ ジュヌヴリエール 2002
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モンラッシェ 2002
パーセル毎の試飲をするドミニク・ラフォン氏。 |
テイスティングの間、ラフォン氏は私のかなり聞き辛いであろうフランス語に真剣に耳を傾け、そこに意見の一致を見た時には、その理由を熱心に説明してくれた。そして何よりも氏がワインを語る時、時にその笑顔はほころび(本当に「ほころびる」のだ!)、まるでワルツ(ダンスではなく、あくまでもゆったりとしたワルツである)を踊るかのようなジェスチャーが加わる。ああ、氏の真の喜びは様々な土壌から生まれたブドウがワインに姿を変えた時に、本当に生まれるのだ。そう思う。
「醸造から生み出された強さは興味のないところだ。そういった強さとブドウから湧き出るエネルギーは違うものだ。私がワインに求めるのはエレガンスとバランス。そしてテーブルで色々な形で楽しめるワインをつくりたいのであって、テイスティング用のワインにも興味が無い。カーヴでの仕事は非常にデリケートな手助けではあるけれど、ブドウが良質であればあるほど、過剰なバトナージュ等といったカーヴでの仕事は減るものだ。
料理だってそうだろう?凄く品質の悪い魚には様々なソースといった色々な技術を駆使しないと美味しく食べられないという問題がつきまとうが、素晴らしく上質な魚ならソースに打ち勝つ力もあるが、まずはそのものの味を楽しみたいと思うだろう?そして本当に上質な魚なら、ほんの少しの塩と絶妙の火加減で尚更その味が引き立ってくるものだ」。
魚民族(?)の日本人にとっては泣かせる例えである。そして肝心のテイスティングであるが、一つ一つのコメントをここで列挙すると限りなく長くなるので(既により公の場でその素晴らしさは十分に語られていることもあり)、ここではあえて割愛させて頂くことにする。
ただモンラッシェをテイスティングした時には思わずこう言ってしまった。
―これは語れば語るほど、このワインの本質から遠のいてしまうような気がする(→言わなかったが、私の心の声は『どんなフルーツに例えても、探すことができるほどに色々な味わいがここにはある。でもそれは星占いを自分にとって都合良く当てはめるようなもので、列挙しても意味が無い』)。このワインは個人的な記憶を呼び覚まされるワインだと思います。でもその記憶は文字通り『限りなく個人的なもの』なので、やはりあなたに説明できません―
果たして私のこの怪しげなフランス語がラフォン氏にどこまで通じたかは謎であるが、氏はにっこりと笑って一言「吐き出しちゃ、駄目だよ」と言ってくれた。
訪問を終えて |
土と働き、その働きはワインに反映される。言葉で書けば簡単だが、実際そこで何が行われているかは全く未知のまま私は渡仏し、結果的に「土と働く」生産者を求めると必然的にビオを実践している生産者と出会える機会も多かったと思う。しかしその中で彼らの努力がその味わいに見い出せずに悩んだことや、特にビオディナミにおいてはそこで行われていることに対してどうしても少々懐疑的な部分があった、というのも正直な気持ちである(私のフランス語における質問力と理解力の問題もあるが)。
だがラフォン氏は、氏が所有する秀でた区画やビオディナミを実践する以前からほぼ確立されていた名声を切り離して考えても、確実に「進化(真価)」という実績を「味わい」というボトルの中身と、包み隠さない数字の変化という両面から見せてくれたと感じるのだ。
そのワインを飲んだ時に感謝を伴った幸福な気持ちになれる、というのは一ワイン・ファンとして本当に幸せなことだと思う。ただコント・ラフォンに関しては品質と伴って稀少さと市場の需要が一致してしまい余りにも高価である、ということも一ワイン・ファンとしては現実なのではあるが。