Domaine de MONTILLE 〜生まれ変わるモンティーユ〜

 (Pommard−Volnay 2003.7.9)

 

 
 
ここ数年ユベール・モンティーユ氏の息子、エティエンヌ氏の身辺は忙しい。
なぜなら1995年にドメーヌの仕事を彼が前面に立って請け負うようになっただけではなく、この年にはシリルヴ・ボンギロー氏(Mr.Cyrillev Bongiraud)と、ドミニク・ラフォン氏(コント・ラフォン)らと共に「GEST(注)」を結成、続く1996年には自らのドメーヌにもビオディナミを採用、そして2002年にはドメーヌ・デュ・シャトー・ド・ピュリニィ・モンラッシェでの栽培・醸造責任者としての仕事も加わった(ちなみにエティエンヌ氏は弁護士という顔も持つ)。

 ドメーヌ・ド・モンティーユのイメージと言えば個人的には「非常に時間のかかるワイン」。ドメーヌのスタイルの再確認と共に、ビオディナミの採用を含めた最近の動向をエティエンヌ氏に伺うことが今回の目的である。

 

(注)GEST(Le Groupement d’etudes et Suivi des Terroirs)

 ブルゴーニュにおいて以下の目的の為に結成されたグループ。

* 彼らのブルゴーニュ・ワインがよりテロワールを表現できるものになり、かつその状態を存続できること。

* より環境に配慮した農業を発展させること。

今日では多くの著名な生産者を含む、110のドメーヌが名を連ねている。詳しくは「ブルゴーニュにおける、ビオの動向」参照。

 

ドメーヌ・デュ・シャトー・ド・ピュリニィ・モンラッシェ(Domaine du Chateau de Puligny−Montrachet)

 

 今回のアポイントで指定された場所はエティエンヌ氏の新しい仕事の場である、ドメーヌ・デュ・シャトー・ド・ピュリニィ・モンラッシェだった。ルイ16世の時代に建てられたシャトーはピュリニィ・モンラッシェ村の中心から歩いて1分もかからない場所にあるが、広大な敷地ゆえ正門に行き着くのにはかなり苦労する。

畑仕事担当、ダヴッド・ディドン氏。

やっと入り込んだ(?)敷地内では真っ黒に焼けた一人の若い男性がトラクターに乗って黙々と枝先剪定作業をしていた。この男性の名前はダヴッド・ディドンさん。エティエンヌ氏がこのシャトーでの責任者として行った最初の取り組みは、自らのドメーヌと同様に「テロワールを尊重するワイン造り」であり、その手段としてまずはビオロジーの実践、そして現在はビオディナミに移行中である。そしてディドンさんはその取り組みの為に選ばれた栽培長だったのだ。まずはディドンさんの考えを伺うこととなった。

ビオディナミのバック・グラウンドは経済・精神・社会を包括した『哲学』だから、ビオディナミを提唱したシュタイナーの精神を解釈してワイン栽培に適用したり、またそれを人に説明することははっきり言ってとても難しいと思う。でも 、もしワイン栽培に上手く適用できれば、逆のこと、つまりワインから経済・精神・社会に反映出来ることも生まれてくると思うんだ。しかし一人で頭の中で考えているだけでは哲学は実用できないし、僕たちがグループを作ったりしてお互いの意見を交わすのも、そこにある。

 ビオロジーとの違い?月カレンダーを含めた宇宙との連動と言えば解り辛いが、簡単に言うと『トータルで物事を考える』っていうことじゃないかな。つまりビオロジーでは一つの物事に対して『これは駄目』、『ここまではOK』っていう風にとても『目的』的に対処を施してしまう面があるけれど、ビオディナミでは一つの手入れに対しても様々な事象の組み合わせ(バランス)で考える。色々と周囲からすると不思議に見える小さな作業も、自分たちの畑に必要と思われる複数の作業をバランス良く組み合わせて実践している。『絶対にこれは駄目』、『これをしたからOK』っていう考え方ではない。もちろんビオロジーの発展型、っていう考え方もできるけれどね」。

 シャトーの敷地内に入ったのはよいがシャトーの入り口がわからず、その時入り口を尋ねた「トラクターに乗ったフツーの兄ちゃん(失礼)」が彼だったので、いきなりのこの明快な説明に正直少し戸惑った。そこで彼にビオディナミの困難がどこにあるかを尋ねると、

調査や研究の為の時間と金銭の不足

という非常にこちらも明快かつ現実的な答えが返ってきた。

ところで彼が一ドメーヌの栽培長として仕事をする上で意見を求める生産者とは、ドミニク・デュラン氏(ドメーヌ・カトリーヌ・エ・ドミニク・ドラン)、アラン・ギュヨ氏(ドメーヌ・チェリー・ギュヨ)、フレデリック・コサール氏(ドメーヌ・シャソルネイ)、エマニュエル・ジブーロ氏(ドメーヌ・エマニュエル・ジブーロ)であるらしい。彼らは私が偶然にも昨年訪問した生産者達であり(「生産者巡り」参照)、初年度の訪問ゆえのこちらの洞察力の浅さを反省すると同時に、彼らの横の繋がりが深いことにも改めて驚かされるのである。

 

モンティーユは時間のかかるワイン「だった」

 

 ドメーヌ・デュ・シャトー・ド・ピュリニィ・モンラッシェでの3種のテイスティングを終えた後(2002年のバレル・テイスティング。私のスケジュール調整のまずさで、ドメーヌ・ド・モンティーユのテイスティングには今回至ら なかった。ブルゴーニュ・ブラン、ムルソー プルミエ・クリュ ポリュゾー、ピュリニィ・モンラッシェの全てが素直に標準より高いレベルであったことをここで述べておきたい)、ドメーヌ・ド・モンティーユの「非常に時間がかかるスタイルはどこから生まれるのか」ということを尋ねたところ、エティエンヌ氏はきっぱりとこう答えた。

「モンティーユは確かに時間のかかるワイン『だった』。しかし今は違う」。

非常に過去形を強調した答えである。

 「父のスタイルから絶対失ってはいけないものは、純粋さ、エレガンス、バランス、密度、そして熟成のポテンシャルだ。しかし私はこのスタイルを若いうちから、自然な形で体現できるワインをつくりたいと思ったんだ。だから私がドメーヌの指揮をとるようになった1995年より変えたことはかなりある」。

 そしてエティエンヌ氏が変えたこととは以下である。

エティエンヌ・モンティーユ氏。私がムルソーから歩いてきたことを話すとよほど同情したのか(クレージーに映ったのか?)、真剣に移動手段のノウハウをアドバイスしてくれる世話身の良い人でもある。

畑仕事

     ブドウの熟成度を重要視しながらの酸の見極め(ビオへの移行理由の一つである)

     肥料(自然堆肥)の使用

醸造

*   以前はシステマティックに行っていた除梗の基準を、区画・ミレジム・樹齢によって細分化した。

     ピジャージュを減少。

     空気圧破砕機の導入。

     新樽比率を下げ、1年使用の樽を増やした。

 

 確かに昨年3月にモンティーユの最近のミレジムをテイスティングした時に「あれ、モンティーユってこんなに早くから飲みやすかったけ?」と感じたのを記憶している。そしてその飲みやすさはエレガンスを伴った果実味からくるものであった。今回はテイスティングの機会を逃したが、次回新しいミレジムをテイスティングする機会が訪れた時には、この点に留意して臨みたい。

 

訪問を終えて

 エティエンヌ氏には「なあなあ」な態度というものが微塵も無い。自分の意見を説明する時だけでなく限られた時間内での訪問の内容も、こちらの目的を尋ねた上で実に効率的に進めていく。個人的には「まぁ、飲んでけよ」から酔っぱらい談義になりかねないようなくだけた生産者訪問も好きなのだが、訪問側の目的を確実に果たせるのは氏の流儀で、でも不思議なことに冷たさは全く感じられない。多才な人によく見られる、小気味良いスピード感のある人だ。そしてこのエティエンヌ氏とディドン氏の組み合わせ。

 そこに関わる人が変われば、そのワインも確実に変わる。そういう意味では由緒あるこのドメーヌも良い意味で生まれ変わりつつあるだろう。