Domaine Henri PERROT−MINOT 〜まさに、変遷期〜
(Morey−Saint−Denis 2003.6.18)

 

 

 

 

クリストフ氏。愛車の側にて。実際の彼はもっと男前(色々な雑誌を見る限り彼は非常に写真映りが悪いようである。本人に最も近いと私が思う写真はワイナート19号のインタヴューのもの。すみません、クリストフさん)

ここ10年で一気にトップに駆け上がったコート・ド・ニュイの生産者を挙げるとすれば?ドメーヌ・アンリ・ペロ・ミノの名前を挙げる人は多いのでは無いだろうか?

1993年にクリストフ氏が父親よりドメーヌを引き継いで以来、そのワインは確実にフランス内外での評価を上げ、加えて1999年以降はドメーヌ・ペルナン・ロサン(ヴォーヌ・ロマネ)の買収も含め、彼の拡大路線は最新のミレジムである2002年まで止まることを知らない(注)。コート・ド・ニュイで新しく畑を手に入れることの困難性を考慮すると、彼の恵まれた運の強さは驚異的としか言いようがない。

だが一方で「ペロ・ミノのワインは樽が強すぎてフィネスに欠ける」と言ったペロ・ミノの「濃さ」に批判的な意見が多いのも事実である。そんな折り、パリのワインショップLAVINIA(ラヴィーニャ)のフランス・ワイン責任者から興味深いことを聞いた。

「確かに以前のスタイルは抽出が過ぎる感じで、マッチョ過ぎた。でも2001年くらいから少しスタイルが変わってきているよ。より繊細。でもその変化にはちゃんと理由がある」。

 その理由は後で述べるとして、「濃いスタイル」と言われる生産者が「偉大なミレジム」と言われる2002年を手がけた時にどうなるか?ひたすら濃くなるだけなのか、それともそこに前述の責任者の言った「変化」を感じることが出来るのか?

 2002年の試飲を目的に、クリストフ・ペロ・ミノ氏とのアポイントが成立した。

 

(注)近年彼が手がけることになった区画は以下である。

「クロ・ド・ヴージョ」 初ミレジム:2001 (生産本数2500本)

「ジュヴレイ・シャンベルタン プルミエ・クリュ レ・カズティエ VV」 初ミレジム:2002 (生産本数3000本)

「ジュヴレイ・シャンベルタン プルミエ・クリュ」 初ミレジム:2002 (生産本数3500本、区画は4区画からなりその区画とはシャンポネVV、クレピヨ、シェルボード、ポワスノである)

 これらの畑はジュヴレイ・シャンベルタンのドメーヌ・リュコの所有であり、所謂分益小作である。

 

 

畑仕事と醸造

 

 ところで冒頭で触れた「スタイルの変化の理由」であるが、理由はやはり畑仕事と醸造の変化にある。

 まず畑仕事においては、クリストフ氏は2年半前より「土壌の権威」であるクロード・ブルギニョン氏(Laboratoire d’Analyse Microbiologique des Sol所長。彼の顧客にはDRC、ルロワ、ニコラ・ジョリィ、ジャック・セロス等が尚連ねる)とのコラボレーションを行っている。現在クリストフ氏が使う肥料はクロード・ブルギニョン氏自らがペロ・ミノの区画の土壌に合わせて手がけた肥料であり、耕作や枝切りといった細部に渡る畑仕事を行う瞬間の見極めも共に進めている。ちなみにクリストフ氏はリュット・レゾネ(非常に厳密な減農薬による耕作)を採用し、テロワールを表現するための最低基準と彼が考える徹底した低収量(マックス30hl/ha)と、畑と選果台という2段階の厳密な選果を実践している。

 また醸造においては、「教師であり、かつ精神的な師匠。彼と話す毎に熟考させられる」とクリストフ氏が尊敬して止まない、かのアンリ・ジャイエ氏との頻繁なディスカッションが与えた影響は大きいだろう(こちらもやはり2年半前からである)。具体的には畑仕事に対するスタンス、ルモンタージュの方法、熟成方法、瓶詰め方法等に特に変化があったと言う。

 醸造の基本的な流れは、超低温かつ長期の低温マセラシオンに始まり、続いて温度調節できるコンクリート、或いはステンレス・タンクでの一次発酵(発酵温度は決して33℃を超えないように設定)。この期間中はピジャージュを殆ど行わず、発酵初期には1日2回、発酵温度が高温になった時には1日3回行う。ピジャージュを行わない理由としては「過剰なピジャージュはテロワールの特徴を消し、ワインを凡庸にしてしまう」という考えの基である。その後24−48時間かけて余計な澱を沈めてから、樽熟成される(新樽比率はプルミエ・クリュ、グラン・クリュで約70%)。樽熟成期間中は澱の持つ「旨味をワインに与え、かつ抗酸化性がある」働きを重要視し、瓶詰め時まで澱引きを行わず、清澄、濾過も行わない。またこれらの作業には重力システムを採用している。

 そこで、いよいよこれらの仕事の集大成である2002年のテイスティングである。

 

テイスティング

 

 「本当にテロワールがよく表れていると思うから。是非飲んでみて」というクリストフ氏の言葉で始まったテイスティングは以下である(全て2002年。試飲順に記載)。

@    モレ・サン・ドニ オン・ラ・リュー・ド・ヴェルジィ(En la Rue de Verzy)

A シャンボール・ミュジニィ

B ヴォーヌ・ロマネ(オー・デシュ・ド・ラ・リヴィエール Au−dessus de la Riviereの区画より)

C ニュイ・サン・ジョルジュ(オー・ラヴィエール Aux Lavieresの区画より)

D ヴォーヌ・ロマネ(オー・シャン・ペルドリ Aux Champs Perdrixの区画より)

E モレ・サン・ドニ プルミエ・クリュ ラ・リオット(La Riotte)

F 新キュヴェのモレ・サン・ドニ(キュヴェ名未定 暫定?でMorissium−Villa。クロ・ド・タール に隣接する小石混じりのパーセルよりなる) 

G    シャンボール・ミュジニィ プルミエ・クリュ

H    シャンボール・ミュジニィ プルミエ・クリュ ラ・コンブ・ドルヴォ(La Combe d’Orveau)

I    ヴォーヌ・ロマネ レ・ボー・モン

J    ニュイ・サン・ジョルジュ プルミエ・クリュ ラ・リシュモン(La Richemone)

K    同上モレ・サン・ドニ プルミエ・クリュ ラ・リシュモンより75年のVVのみで醸造

L    クロ・ド・ヴージョ

M    シャルム・シャベルタンン

N    マゾワイエール・シャンベルタン

 

 確かにやはりペロ・ミノは濃い。しかし秀でたミレジムである2002年で徹底した低収量を行っていることを考慮すると、他の生産者と比べてもこの濃さは過剰な抽出による濃さではないだろう。そしてそれらは「本当にテロワールがよく表れていると思うから」という彼の言葉通り、面白いほどにそれぞれのワインの個性は際立っており、何よりも堂々とした品格がある。「凝縮された力を併せ持つフィネス」とでも言うべきか。また生産者のスタンスが顕著に表れると私個人的に捉えているシャンボール・ミュジニィやヴォーヌ・ロマネ(特にDとH)では、前者Dにはミュジニィ寄りならではの溢れるような高貴な赤いバラと赤系果実の複雑性と酸の美しさ、後者Hには土に根ざす生きたバラやスミレの濡れた感じや 、やはりヴォーヌ・ロマネならではの酸の美しさが好ましく、これらのワインはペロ・ミノが決して「濃さ一辺倒」の生産者ではないことをよく物語っている。

 そしてワイン・ファンなら気になる「シャルム・シャベルタンン」と「マゾワイエール・シャンベルタン」の比較であるが、前者は鉄やミネラルの凛とした骨格が顕著なのに対し、後者はねっとりとしたカシスを思わせる、奥に秘めた果実の甘・酸の力があり現時点ではより閉じている。ともに非常に美しい密度を持ったポテンシャルのあるワインであることは明らかだ(なぜ他の生産者は混ぜてしまうんでしょうかねぇ、という私の問いに「混ぜてしまうこと自体、僕には理解できないよ。こんなに違うのに」とクリストフ氏)。

 

 ところで彼の拡大路線に品質の低下などの問題は無いのだろうか?

「沢山のアペラシオンを持つことはさほど問題では無いよ。それよりも問題は畑の面積。畑仕事の質はヴィラージュものでもグラン・クリュでも変えていない。ただ畑仕事の質を落とさない為には面積的に現時点でマックスだと思う。面積を変えずにパス・トゥ・グランなどは売却して、代わりにプルミエ・クリュやグラン・クリュに移行しているっていうことだ」。

 勤勉さと強運を併せ持つ彼らしい、明快な回答である。

 

クリストフ氏の哲学

 

 クリストフ氏に彼の仕事の哲学を尋ねると即座に「Culture de Terroir(テロワールの栽培文化)」という言葉が返ってきた。

全てのワインは本来テロワールを表現できるものであるはずなんだ。醸造は決して独立して存在するものではなく、過剰な醸造技術といった介入があればあるほど、表現できるテロワールは隠れていってしまう」。彼のこの言葉と、彼が近年採用している手段の間には全く矛盾は無いだろう。

 ところで「Les Nouveaux Vignerons(新しい生産者達:ジャッキー・リゴー著)」という本の中でもクリストフ・ペロ・ミノ氏は取り上げられており、その中で彼は最後に彼の師匠であるアンリ・ジャイエの言葉を引用している。

我々はブドウ栽培者として生まれ、見習いとして死んでいく(On nait viticulteur et on meurt apprenti)。

 この言葉をまだ若いクリストフ氏が使うには余りにも早いだろう。しかし華やかな成功を現在進行形で収めつつある彼が同時にますます畑に立ち返っていくその姿勢を通して、なぜ彼がこの言葉を用いたのかがちらりと見える気がするのである。