Domaine Gérard SCHUELLER et Fils 〜先代の時代を思う〜

Husseren―les―Chateaux 2003.11.3)







今回のこのレポートは少し当HPの「裏話」的なノリになってしまうことを、先に書いておかなければならない。というのも現当主ブルーノさんの奥様はイタリア人で、フランスの祝日「諸聖人の日(11/1)を挟んで彼はイタリアに出向いており、私達がパリに戻らなければいけない日が、ギリギリ彼の帰宅に間に合うかどうかだったのだ。結局ブルーノさんの帰宅は間に合わず、応対して頂いたのは、「私はもう引退した」と語るお父様ジェラールさん。「土壌と味わいの相関性の探求」に燃える(?実際、ドメーヌ訪問後はお互いのメモを開き、情報を再確認し合うなどかなり熱かったのだ)私達は大トリに選んだ生産者であるだけに正直少し落胆したのであるが、結果としてこの訪問は非常に満足のいくものであった。なぜならジェラールさんの話しは、土壌云々で整理不可能(?)に陥っていた私達の頭を柔らかく解きほぐすものだったからだ。

 

ここで働くのは、きつかったからなぁ

 このドメーヌでは近年のブルーノさんの逸品(ピノ・ノワール シャンデ・ゾワゾー等)や古いミレジム以外は、試飲して直接買うことが可能である。よってドメーヌには常時抜栓した瓶が軽く20本以上は並んでいるのであるが、2種類ほど試飲したところで、ジェラールさんの手がハタ、と止まる。どうも私達が「購入」が目的ではない、ということが伝わったようで、

「土壌別に色々なワインを飲みたい?う〜ん、私は引退したからねぇ。どうしたらよいものか、、、(頭を掻きむしり、キッパリと)わからん!ちょっと息子に聞いてくるわ」。えっ、息子さんはイタリアでは!?

「あ〜、ワタシだ。おまえが言ってた日本人が来ているんだけれど、どれ開けたらいいんだい?ふんふん、わかった。リースリングはそれだな。で、それどこにあるんだ?」。なんと、イタリアまで電話をかけている(カーヴまで会話が筒抜け)!そしてスッキリとした顔で足早に戻ってくる、ジェラールさん。「これで行こう!」。

付け刃の知識で頭がパンパンの東洋人チームと、この地に根ざしたジェラールさんとの漫才のようなやりとりの中で、リースリングの試飲が進む。そこで目の覚めるようなミネラルを持つリースリング グラン・クリュ アイヒベルグ 2000に至り、この頃には「土壌云々」の質問は野暮であると感じていたのだが、一応質問。

「え、このワインの土壌?石灰と粘土かな、、、?う〜ん(また頭を掻きむしる)、それ以上のことはわからん!だが、ここは働くのが恐ろしくきつかったから、下には岩板があるんじゃないかなぁ。そしてこの畑からはいつでも長持ちするワインができたってものだ」。

う〜ん、ジェラールさんにとって土壌分析=労働の加減。土壌の名前なんか知らずとも、体に刻み込まれた「きつさ」と、そこから生まれるワインの味わいに見事な方程式が存在しているのである。かのクロ・パラントゥーのポテンシャルを見抜き、土中の岩をダイナマイトで砕いて廻ったアンリ・ジャイエを思い出した。

「さっき飲んだリースリング ビルドストクレ(Bildstoeckle)だって、そうさ。石灰が多くて良いワインが生まれるから、ワタシら的にはグラン・クリュ。でもグラン・クリュが制定される時にこの畑には政治力のある有力者がいなかったからなぁ。だからただのリュー・ディ。でもそういう争いには、もう興味無いよ。高い税金を払ってまでグラン・クリュの申請をするのも馬鹿らしいし、普通に働いてきたことをわざわざビオに認定してもらうために監視が入るのも、面倒くさい。要するに味わいを判断するのは、消費者。ワタシらが自信を持って送り出すものを、消費者がウマイ、と飲んでくれることに、ワタシらの答えがあるんだから」。

頭を掻き掻き「わからん」を連発していたジェラールさんだが、こう語る時の表情はこちらが戸惑うほど真面目である。このドメーヌの真髄はこの父ありき、なのである。

 

介入は、無し

 

ジェラール・シュラー氏。

 「畑仕事?そりゃみんな違うだろうけれど、ワタシらのところが他と最も違うのは夏の間は『介入』しないってことかな。具体的には枝先剪定。やっぱり切ると、その度にブドウの樹は敏感に反応するし、光合成にも葉先は必要だからね。切りすぎると大きな実になっちゃうんだよ。

 枝先切りの機械を真っ先に導入したのはワタシらのところだったが、真っ先に放棄したのもワタシらだ。床屋じゃないんだから、綺麗に整えすぎても意味無いんだよ」。

 全く気負い無く話すジェラールさんだが、先見の明に少し驚く。なぜなら一般に「冷涼な地」と言われる産地では近年枝先剪定の位置は高くなる傾向があり(例を挙げればブルゴーニュ全般や、シャンパーニュのジャック・セロスなど)、理由はジェラールさんが述べる通りなのである。体験的に導かれる答えは、産地を越えるものである。

 ところでジェラール・シュラーのワインで印象的なラベルを持つのが、「ミミズが果物からコンニチワ」的な絵が描かれた「Le Verre est dans fruit(果実の中のグラス)」である。これは「Verre(グラス)」と「Ver de Terre(ミミズ)」をひっかけているのだが、これはジェラールさん曰く、

「虫が好んで食べたくなるほど本当に熟したブドウなら、自然に任せてその糖度(=果実)を酵母(=ミミズ)が食い尽くしても、旨味はきちんと残るもの。人工的な甘味に頼らなくてもよいものさ」。

時にドイツ・ワイン的な味わいを求められてしまうことがあるこの地の、それに反するはっきりとしたメッセージなのである。

 枝先剪定、INAOの認定、隣国の市場ウケ、etc、、、。要らんもんは、要らん、のである。

 

テイスティング 〜8日前!?〜

 

 試飲は進み、トカイ・ピノ・グリ レゼルヴ 2000へ。ん?少し酸化した感があるミネラルはそれはそれで結構心地よいのだが、今までの流れの中では少し果実味が「抜けた」感じがするのだが、、、?これ、いつ開けたんですか?という問いにきっぱりと、「少なくとも、8日以上前だ!」(一同、膝が抜けた)。

 しかし限りなくSO2ゼロに近い、このドメーヌ。「8日前(以上かも)」のこのワインは色調の渇変も殆ど見られず、グラスの中での急激な落ちも全く無い。これは立派である。そして続いて同じくピノ・グリのヴァンダンジュ・タルティヴ 2000らしいもの。ここで「らしい」と書いたのは訳がある。なぜならこのワインに至っては、「いつ開けたのか、わからん」(お父さん、勘弁してください!)。

「熟したブドウから造ったワインは、開けて日数が経つとヴァンダンジュ・タルティヴと似てくるからなぁ。でもこの甘味の残り方はヴァンダンジュ・タルティヴだ。うんうん、確かにそうだ」。自分も一緒にワインを利きながら、飲むにつれ確信を深めるジェラールさん。しかしこのワインも、熟成したシャンパーニュのようなブリオッシュやブーブレイ様の海のミネラル、底辺に滑らかな甘味があり(私達もヴァンダンジュ・タルティヴと判断)がくっきりと残り、やはり「いつ開けたのか、わからん」ワインとしては上等である。

 「限りなくゼロに近いSO2添加」であるワインの中には、グラスの中で見る間に渇変してしまうものも見受けられるが、意外な試飲(?)でジェラール・シュラーの開栓後のポテンシャルを垣間見たのである(後日、ピノ・ノワール キュヴェ・パティキュリエール 1999を試飲する機会があり、12時抜栓、7時デキャンティング、最後はカラフをシェイクするという暴挙に出たが、これが頑として開かない。柔なワインではないのである)。

 

世代交代

 

 ドメーヌを訪問していると、たまに引退した先代ともご一緒する。現当主が醸造学を学び地質学によって確信を得、時には海外にまで研修に行き、英語をも自在に操るのに比べ、先代はあくまでも「地の人」。しかし先代達は機械や化学薬品の急激な導入によって畑がどう変わっていったかを知る「証人」であり、彼らの「土と働く」「醸造の進み具合」における肌感覚みたいなものは、確実に現当主達に引き継がれているのである。親子が同時に揃う時に、「何となく、こっちの方が良い」といった会話が交わされる時があるが、その「何となく」は彼らにしかわからない感覚なのであろう。そして現当主達は「父(または祖父以上に遡る)が、守ってきた畑だから」と、感謝を込めて語るのだ。

 変わりゆく世代と、それに伴う進化。しかし底辺にあるのは、基本的には変わらぬ土壌と、受け継がれていく肌感覚である。その組み合わせの妙がグラスの中に反映される様は、歴史ある産地のワインならではの、醍醐味の一つかもしれない。