Domaine des ROCHES NEUVE(Thierry GERMAIN)

〜畑の「血」〜 

(Saumur 2003.7.31)

 

 

 

 

 このレポートで何度か書いているように「アペラシオン超え」、すなわち自身のアペラシオン概念を良い意味で打ち破るワインに出会った時には、そのワインをつくった生産者自身だけではなく、そのアペラシオン自体に猛然と興味が湧く。

 昨年渡仏間もない時にDomaine des ROCHES NEUVE(ドメーヌ・デ・ロッシュ・ヌーヴ)のソーミュール・シャンピニィ マージナル(Marginal) 1995をブラインドでテイスティングした。フロンサックで徹底した低収量を実施したカベルネ・フランのようで、私はこのワインをロワールに持っていくことが出来なかった。このワインを提供してくれた当HPお馴染み(?)グラン・クリュ・クラブの須藤さん曰く、

「いつ、どこでかは忘れちゃったけれど、確かこの1995年が専門家の集まる有名なブラインド・テイスティングでラトゥールの上を行っちゃったんだよね」。

 こういう小さな伝説は「耳タコ」に感じられる人もいるかもしれないが、やはり伝説は秀でたワインにしか起こらず、「マージナル=アウトサイダー」と名付けられたこのワインには伝説を起こしただけの風格があった。しかし当時は少し「やり過ぎ」の印象も拭えず、その時のコメントには「個人的にはテロワールがより感じられるテール・ショード(Terres Chaudes:同ドメーヌの別キュヴェ)の方が好ましいかも」と記している。

 だが、ドメーヌ・デ・ロッシュ・ヌーヴ(フランスでは生産者であるチェリー・ジェルマンThierry GERMAINの名前で記憶している人も多い)を訪れて、私のこのドメーヌに対する見解は180度変えざるを得なかった。力強さをほどよく残しながら、しなやかさを兼ね備え始めたワインにまさに進化中であったのだ。

 

Domaine des ROCHES NEUVE(Thierry GERMAIN)

 

マージナルの樽の前で、チェリー・ジェルマン氏。

 日本では知る人ぞ知るこのドメーヌについては、まずは基本的なテクニカル・データを先に紹介しておきたい。

所有する畑

ソーミュール・シャンピニィにカベルネ・フラン 約20ha、シュナン・ブラン約2ha。

 

歴史

ワインメーカーとしての歴史は1850年に遡るが、ソーミュール・シャンピニィの土地に惚れ込みこの地でワインを造り始めたのは1991年より。

 

生産銘柄

〜赤〜

     ソーミュール・シャンピニィ(スタンダード・キュヴェ)

土壌:砂質と粘土石灰

醸造:アロマを重視する一このワインの次発酵温度は低い目に設定され、醸造過程にバリックは用いられない。瓶詰め前にステンレスタンクで約6ヶ月間澱の上に静置される。

     ソーミュール・シャンピニィ テール・ショード

土壌:砂質粘土、粘土石灰(凝灰岩)、白亜質土壌

収量:35hl/ha

醸造:約25日の醸しと一次発酵を経て、マセラシオン発酵と熟成は半分を1年使用のバリック、残りをステンレスタンクで約12ヶ月行う。

     ソーミュール・シャンピニィ マージナル

土壌:非常に優れた粘土石灰質

収量:25hl/ha

醸造:このワインは天然アルコール換算度が最低でも13度を超える良昨年のみに造られる。

約25―35日の醸しと一次発酵を経て、マセラシオン発酵と熟成を新樽(バリック)でミレジムによるが約18―24ヶ月行う。

〜白〜

     ソーミュール ランソリト(L’Insolite)

土壌:粘土石灰だが、母岩がシレックス(ソーミュールでシレックスは大変稀であり、このワインにランソリト=突飛、奇抜という名前通りの特徴を与えている)と砂岩で構成される、樹齢75年を超えるパーセルも含まれる。

醸造:3−4ヶ月の低温下での一次発酵後、マロラクティックはミレジムの個性により実施し、計約12−14ヶ月の醸造・熟成期間を経て瓶詰めされる。

 

 

エスプリの交換

 

 「君が昨日訪問したシャトー・ド・ヴィルヌーヴ、シャトー・イヴォンヌ、またくフーコー兄弟など彼らとは本当に良い友達あり、何よりもこの土地の土壌、気候、伝統、すなわちテロワールを知り尽くし、「真のワイン」を造り上げる彼らと意見を交わし合うことが、私にとって本当に大きな力になっていると感謝している」。

  醸造所を案内しながら、ジェルマン氏は語る。その傍らには他産地の生産者のワインが山と積まれている。ちらりと見るだけで、キュイロン、ヴィラール、ムンダダ、、、。

 「年間3−400本は彼らとワインを交換し合っているよ。ワインを通して彼らのエスプリを交換し合えることが楽しいんだ」。彼の言葉が次第に熱を帯びてきた。 

「現在33のパーセルがあるが中にはほんの何列かしかないものもある。1993年からビオロジーを実践しているが、土を知れば知るほど、そこから生まれてくるワインの個性の違いが分かってくる。1999年からパーセル毎の醸造を試みて、2000年には醸造施設を改築したお陰で、全てパーセル毎に醸造することが可能となった。異なる土壌から生まれたワインの個性を知り、尊敬した上で、アッサンブラージュをすることは新たな喜びでもあるよ」。

 ところで醸造所を案内される前に最新のボトルのテイスティングを終えた時点で、私のこのドメーヌに対する「力を込め過ぎた感のワイン」という印象は既に変わりつつあった。加えて清潔で近代的な醸造所にブルゴーニュの伝統的な開放型木製木樽が整然と並ぶ様子も、訪問前に私が勝手に描いていたイメージとはかなり違い驚きを隠せない(あるサイトには醸造のアプローチはロワールの伝統的なそれよりもブルゴーニュに近いと紹介されている)。開放型木製木樽を見るとあの中で昨年足踏みピジャージュをしたことを思い出します、と言うと、

「へー、僕のところも足踏みはやるよ」。

 端正な彼から、というより端正なこの醸造所でそういう風景が繰り広げられていることは、これもまたかなり驚きである。ほんの10数年で近代と伝統の中から自分のワインには何が必要かを的確に選び出し、採用していくその姿勢には、昇り調子の生産者特有の輝きがある。「エスプリの交換」は彼の中で確実に分析され、昇華しているようだ。

ワイン造りの90%はブドウにあると思う。だから私は収量を抑えて、完璧に熟したブドウを得たい。そして残りはノウハウを持った人の力。でも骨格を持った『素晴らしい』ワインに向けてただただ全てのパラメーターをコントロールしようとすると、自分の無力さに気付くこととなる。ミレジムの差も含めてブドウにある弱さこそが、そのワインの個性となることもあると思う。だから今の私は繊細な2001年がとても好きだ。人がすべきことは全ての要素を上手くワインに『溶け込ませて』あげることだろう」。

彼のワインに余計な力が見られなくなった理由は、この言葉にあるのではないか?

 

テイスティング 〜「畑」の血〜

 

 

ボンボンヌの前でにて。

200年前からあるという地下セラーでのバレル・テイスティングは2002年のマージナルと、2002年のランソリトの土壌違い、更に樽の年度違い(新樽と1年樽)。どのキュヴェも「自然な凝縮による力」と「センスの良さ」、そして「個性の違い」が溢れていて、先ほどの彼の言葉をワインが雄弁に語っている。そしてここで、今まで見たこともない珍品を経験したのだ!

 一つは貴腐の付いた1997年のシュナン・ブランからのキュヴェ。このワインは仕込み当時天然アルコール換算度が17度を超えており、なんと6年近く経った現在でも発酵中である。「これだけ糖度の高いブドウを最後まで発酵させた時に、どんな姿になるのか見るのが目的」であるらしいが、現在でもまだ17g/Lの糖度を残したこのワイン、全て発酵が終わるまでに計10年はかかるのではないか、と言う。また補酒を異なるミレジムで行っているので、一種のソレラ状態でもある。そして澱の上にあり、発酵によって生じるガスによって守られているので、なんとまだ1度もSO2を添加していない。

「Pour ma Gueule(私の口のお楽しみ)」と名付けられたこのキュヴェ、お味の方はかなり衝撃的だ。なぜならそこにあるのは古いムルソーやモンラッシェにあるようなブリオッシュや白トリフ、ソーテルヌにあるグラな感じ、そしてシュナン・ブランの鋼鉄のミネラル。つまり「銘醸」と言われる白ワインの魅力を一つのワインに詰め込んだような、しかしかつて味わったことのないものであるからだ。残念ながらこれはあくまでも彼の「お楽しみ実験」なので販売予定は無いのだが。

 そしてもう一つは同じく1997年のシュナン・ブランをボンボンヌに入れてヴァン・ジョーヌ仕立て(?)にしたものだ。こちらは補酒を行わず、自然に任せて蒸発・酸化させているので、現在ではボンボンヌの半分くらいにまで減っている。こちらにあるのはクルミのオイルや、シェリー(アモンティヤード)、微かな乾燥した黄色いフルーツ、そして余韻は非常に長いミネラルである。このワインは近々瓶詰め予定であり(しかしやはり自家用)、「これとヴュー・コンテを合わせるのが楽しみ!」と満面の笑みを浮かべている(確かに凄く合いそうだ)。

んでもないもの(?)が仕込まれているカーヴであると同時に、彼の惚れ込んだ土地から生まれたブドウの、ポテンシャルを感じるのである。

 

 しかし後半はこの2キュヴェで頭のネジが吹き飛んでしまったが(本当に衝撃的な風味なのだ)、このドメーヌが現在表現しているピュアさを最も持っているのは、やはりマージナルであろう。

 瓶詰めされた2001年の最初のトップノーズには、生肉でも焼いた肉でもない、鉄を感じる純粋な「血」の香りがある。そのことを彼に伝えると

「本当?本当に『血』を感じた?嬉しいよ。マージナルで表現したいものこそが、『血』なんだ。マージナルを生み出すパーセルにはそのポテンシャルがあると思う」。

 彼の感激ぶりから察するにそこには、ワイン=血、パン=肉という、フランス人の血に脈々と流れる、もっと思想的な純粋さに対する思いも含まれているのかもしれない。だが「一点を付いた」純粋さは思想を超えて日本人の私にも十分に感じられるものだ。そして血のトップノーズの後に細かで複雑な黒い果実が広がっていく様は、あくまでもしなやかである。

 

訪問を終えて

 「多くのジャーナリスト達が俗に言う『銘醸地』に行きがちなのは、この地がまるで置き去りにされているようでとても残念。ロワールで何が起こっているのかをもっと広く知って欲しい」。

 送って頂いた車の中で、彼はそう言った。痛い言葉だ。ロワールで、というよりも一つのドメーヌの中で既に恐ろしい勢いでその「何か」が起こっているのである。私がこのレポートを読んでくださった方に言えるのはこれだけである。ドメーヌ・デ・ロッシュ・ヌーヴのワインは試してみるべきであり、それは普段余りロワールのワインに関心のない方にとっても、素晴らしい驚きになるはずである(玉石混合のロワール・ビオで混乱している方も、仕切直しとして是非、だ)。