TARLANT 〜ラ・ヴィーニュ・ドール(La Vigne dOr)

(Ouilly 2003.7.22)

 

 

 

 「あなたはいつも、私達が大仕事している時に来るわねぇ」。

迎えて頂いたマダムのミシュリーヌさんに開口一番にこう言われた。前回メゾンを訪問したのは昨年の9月18日。この時は2002年の収穫開始の前日で、収穫前の準備と収穫の数日をレポートさせて頂いたのだのだが(参照:あるシャンパーニュメゾンの収穫風景 TARLANT 2002)、1年の集大成の収穫作業時だったゆえ、当然ながら忙しく賑やかだった。

今回訪問時には2つの大仕事が並行して行われていた。一つは数ヶ月続いている地下のカーヴの増築工事で、もう一つは彼らのフラッグ・シップであるCuvée Louis(キュヴェ・ルイ)の瓶詰め(Tirage)、密栓、そして瓶内二次熟成のために瓶を壁面に水平に寝かしていく、一連の作業である。

 

瓶詰め(Tirage)作業

 

 シャンパーニュ造りの工程にある瓶詰め(Tirage)作業とはアッサンブラージュを終えたキュヴェを、Liqueur de Tirage(リケール・ド・ティラージュ:酵母と蔗糖を混ぜたもの)を加えて瓶詰めする作業である。瓶詰め後の熟成はノン・ミレジメの法的熟成期間で最低15ヶ月、ミレジメで最低3年であるが、タルランではスタンダード・クラスでも規格より倍以上の熟成を経てからの出荷となる。

整然と積まれて、これから眠りを貪るボトル達。

 今回瓶詰めが行われていたキュヴェ・ルイはシャンパーニュにとって偉大なミレジムとなった2002年がメインであるが、昨年市場に出ていたキュヴェ・ルイに主にアッサンブラージュされていたのが1991年、1992年のものであることを考慮すると、目の前で瓶詰め作業が行われているこれらのボトルを市場で見ることができるのは、約10年後ということか?ちなみにキュヴェ・ルイは醸造の全行程をバリックで行い、その工程にはシャンパーニュでは余り行われないバトナージュなども含まれる。バリックでの醸造、長期の熟成は採り入れれば良いというものではなく、それらの工程に見合うポテンシャルのあるブドウと、そのブドウを知り尽くした醸造者のさじ加減が必須であることは言うまでもないだろう。そして長期熟成させた一連のタルランのキュヴェに対する評価は、フランス国内外で既に高い評価を獲得している。 

 そして薄暗くひんやりとした地下カーヴで初めて見る瓶詰めに関する一連作業は、とてつもなく忙しい。その暗さと忙しさは普通のカメラでは全く捉えることが出来なかった、と言えばお察し頂けるだろうか(肝心のこの作業中の写真が全く無いのは、そのためである)?

その中で先陣を切って額に汗しているのが、現当主、ジャン・マリーさんだ。昨年の収穫期間中にやはり醸造所内で所狭しと働いていた彼の姿を思い出した。

 オーナー系のメゾンやドメーヌには、オーナーがいるからこそのメリットがあるだろう。しかし現場を熟知している栽培や醸造の責任者の声が時に届きにくく、現場とオーナーの間の「体温の差」のようなものに悩まされる責任者を時折目にすることがある。その点タルランでは当主であり現場の長であるジャン・マリーさんの「考え=熱さ」がそのまま彼らのシャンパーニュに反映される。これはRM(レコルタン・マニピュラン:自家ブドウ栽培の製造販売)が日本でも注目されて久しいが、シャンパーニュに限らず、消費者にとっては生産者の顔が見えるワインを味わう醍醐味ではないだろうか(もっともワインがいくら「芸術的」であっても「自然」と「化学」が切り離せないものなので、絵画や音楽ほど自我が許される領域ではなく、あくまでも生産者の判断とセンスが最終的に正しいことが前提であるが)?

 

 ところで冒頭の「地下のカーヴの増築工事」であるが、これは40を超えるパーセル毎の仕込み、アッサンブラージュを行うタルランでの、仕事の動線をより効率的にすることが最大の目的である。今まで狭かったからやっぱり働きにくくってねぇ、といつものあっけらかんとした調子で説明してくれるミシュリーヌさんであるが、このメゾンが順調に前進している一つの証でもある。

  

2003年の現状とは?

 

 今年はワインを仕込む樽を買わなくて済むんじゃないかしら、なんて冗談交じりで言ってるくらいよ」。

 2度目以降の訪問では、生産者やその生産地の近況を聞くことが主な目的となるのだが、2003年のシャンパーニュ事情と一緒にメゾンの近況を尋ねた時に返ってきたマダムの答えがこうだった。

 2003年のシャンパーニュ事情については既に日本でも多く報道され、幣HPでも裏話(7/22〜、、、、、。2003年シャンパーニュ事情〜)で既に報告しており(この裏話を書くに当たっての最終資料は、CIVC=シャンパーニュ委員会の技術面で責任者的立場にあるジャン・マリーさん提供のものと、同日に訪問したジャック・セロスのアンセルムさんによるもの)、このレポートでは詳細は割愛させていただくが、とにかく収穫量が激減していることは動かすことの出来ない事実である。

 その後フランスの報道によると、シャンパーニュでは残されたブドウの品質は「素晴らしい」とされているが、手摘みが義務であるシャンパーニュでは予想以上の早い収穫のために、収穫人の確保に非常に苦労していると聞いている(これは手摘みが義務である他の産地や、手摘みを常としている全ての生産者にとっても、今年の悩みの種である)。タルランでは毎年、極力タルランでの収穫経験のある収穫人を家族ごと雇用する方法を採っているが、収穫状況・作柄など今年の最終的な傾向をレポートするのにはもう少し時間がかかりそうである。

 

ラ・ヴィーニュ・ドール(La Vigne dOr) 1999

 

このラベルを見つけたら、まずはお試しあれ?

 昨年訪問時に、気になっていたキュヴェが一つあった。それが「ラ・ヴィーニュ・ドール(La Vigne dOr) 1999」である。

タルランではアッサンブラージュも家族会議で決定されるのだが、アッサンブラージュはキュヴェの生命線である重要な決定であるので、この会議は家族といえども他人の意見に影響されないために非常に静粛に行われるらしい。しかしその静粛さを当主であるジャン・マリーさん自らに破させてしまったキュヴェがこのピノ・ムニエ100%(平均樹齢は50年)のラ・ヴィーニュ・ドール 1999なのだ。

今回試飲はできなかったが、瓶内熟成も至って順調ということで既に暫定ラベルも出来、生産本数も確定している(2157本)。ラ・ヴィーニュ・ドールの物語は続いており、偉大なミレジムであった2002年も既に瓶内熟成中だ(約3000本予定)。初のミレジムが市場に出るのは2004年予定である。同時にJerôme PRÉVOSTの La CLOSERIEなど、近年熱意のある生産者達が、シャンパーニュにおいてピノ・ムニエの魅力を引き出しつつあることも興味深い。

「シャンパーニュに植えられているセパージュの37%がピノ・ムニエだというのに、皆ピノ・ムニエの存在を隠したがるのよね」というのは、昨年のマダムの言葉であるが、補助品種的立場に甘んじていたピノ・ムニエの一つの新しい答えを、また一つ見ることが出来るかもしれない。消費者にとってはあと1年の辛抱だ。

 

 

テイスティング

 

 今回のテイスティングは以下。

 

*ブリュット・ゼロ(シャルドネ、ピノ・ノワール、ピノ・ムニエが1/3ずつ。チョーク層、Spannacieと呼ばれるエペルネ特有の粘土石灰、砂、化石による石灰)

*レゼルヴ・ブリュット(セパージュ、土壌ともブリュット・ゼロと同じ)

*トラディション・ブリュット(シャルドネ50%、ピノ・ノワール35%、ピノ・ムニエ15%。チョーク層、Spannacieと呼ばれるエペルネ特有の粘土石灰、砂、化石による石灰)

     キュヴェ・ルイ(シャルドネ50%、ピノ・ノワール50%。チョーク層)

 

(参照)

現在タルランが生産しているシャンパーニュは9種類(キュヴェ・ルイ、キュヴェ・プレスティージ 

ミレジム 1995、ロゼ・プレスティージュ ミレジム 1995、トラディション・ブリュット、ブラン・ド・

ブラン ブリュット、ロゼ・ブリュット、ブリュット・ゼロ、レゼルヴ・ドミ・セック、レゼルヴ・ブリュット)。

各キュヴェの説明や、メゾンの畑仕事、醸造のレポートは「TARLANT 〜ラ・ファミーユ!〜 2002.7.26」をご覧ください。

 

 このテイスティング銘柄は昨年と全く同じなのだが、昨年のテイスティング・コメントと見返してみて、今年自分がとったメモとほぼ同じことに非常にびっくりしてしまった。余談だがこの時のテイスティング時に同行していた英語圏の女性の香水がかなりきつく(察するにカルヴァン・クラインのエスケープ?ポロ・スポーツにもう少しこれを下品にした香りがあったような)、テイスティング状況としては最悪。にもかかわらず、グラスから立ち昇るスタイルが不変であったということか(タルランの勝ち?)。

 ただ昨年キュヴェ・ルイには良質なバターや、凝縮感のあるアプリコット、蜂蜜やヴァニラ、ノワゼットといった、シャルドネと樽から由来する要素をより多く感じたのだが、今年はそこに乾燥白イチジクやピノノワール独特の艶めかしさも顔を覗かせ、この上級キュヴェならの多彩さを充分堪能することも出来た。

 

 シャンパーニュ地方は言うまでもなくフランス北限のブドウ栽培地であり、霜害や収穫時期の長雨に悩まされることも多く、大陸性気候に加えて河や渓谷といったミクロクリマの影響を受けるので、真の「当たり年」であることは非常に難しい。それゆえ異なるミレジムのアッサンブラージュ技術なども進歩したのだと察するのだ。

 タルラン家がこの地でシャンパーニュを造り始めたのは1687年。ジャン・マリーさんの息子、ブノワさんで12代目である。厳しい気候条件を背景に土壌を代々大切に使い、引き継ぎ続けていく中で、各代の小さな歴史や進歩がそこにある。タルランはそんなメゾンなのだ。