Domaine BRANA
〜ペトリュスで修行した人が造るイルーレギーとは?〜

(Irouleguy 2002.10.25)

 

     写真あり

 

醸造所のある高台より。向こうにそびえるのは勿論ピレネー山脈。クリックすると大きくなります。

 「ここに来た人は必ず写真を撮るね」。カメラを取り出した私に向かって、ドメーヌ・ブラナの現当主ジャン氏が言った。

撮るはずである。アラドワ(Arradoy)の山を登ったところにあるブラナの醸造所からの眺めには、誰でも息を飲むだろう。見事に南もしくは南西を向いたブドウ畑の傾斜は時に65度にもなり、眼下に広がるバスクの村々に人が入っていくのをまるで拒むかのように下へ下へと続いていく。そして畑の厳しさとは対照的に、バスクの村々は緑のビロードの上に作られたオモチャの集まりみたいな可愛らしさ。その向こうには同じ目線の高さにパノラマ状に広がるピレネー山脈。豪快な空と雲。しかし風景に見惚れる余り、一次発酵の仕事の途中で抜け出してきてくれたジャン氏を待たせるわけにはいかない。醸造所内に入り、醸造やドメーヌの簡単な説明の後早速試飲が始まった。そしてこの試飲では風景に匹敵する感激を得たのだ!

 

ドメーヌ・ブラナ

 赤22Ha・白11Haのブドウ畑を持つブラナは、イルーレギーの一ドメーヌとしては最大規模である。しかし19世紀末からバス・ナヴェール(バスク地方の地名)でワインのネゴシアンをしていたブラナの母体はむしろ蒸留酒(オー・ド・ヴィー・ド・フルイ)の生産であり、先代のエティエンヌ氏が現当主であり息子であるジャン氏と共にイルーレーギーでワインを造り始めたのは、1984年からである。同時にこの頃ジャン氏はお父様を手伝いながら計2年に渡りシャトー・ペトリュスでも修行を積んだ。蒸留酒という資金源と畑に恵まれ、かつ試行錯誤の努力を惜しまなかったその後のブラナの飛躍は目覚ましく、今やイルーレギーの名を高めた生産者を挙げると、必ず最初に名前が出てくる一人であろう。

 まず彼らの畑だが、全てがブドウ栽培に特に適したアラドワ(Arradoy)の完璧な南・もしくは南西向きの急斜面に位置している(土壌はイルーレギーの特徴である、赤色砂岩・片岩の混合)。この斜面で彼らはリュット・レゾネ〜ビオディナミレベルの耕作を行った(現時点でも全てのパーセルにビオディナミを適用することは難しいようだ)。また彼らはイルーレギーにおいて植樹率を上げた最初の生産者でもある。というのも殆どの畑が急斜面の山肌にあるイルーレギーでは、急斜面をトラクターで耕せるように畝間の広い段々畑を採用しており、植樹率は平均2000本/Haという低さだ。実際多くのイルーレギーの畑は、目で見ても明らかに畝間は広く「スカスカ」した感じである。しかし彼らは畝間を段々畑の限界近く1m80まで狭め、植樹率を平均3000−4000本/Haまで上げたのだ。そしてその上で徹底して収量を下げた。平均で30hl/Ha、今年は20hl/Haという低さである。

 「カベルネ・フラン発祥の地はイルーレギーなんだ。イルーレーギーからボルドーへ、ロワールへと北上していったんだよ」と説明するジャン氏は、自他共に認める「親子揃ってフラン好き」でもある。彼らが植えているセパージュはカベルネ・フランが55%、カベルネ・ソーヴィニヨンは5%、そして残りがタナである。この比率もタナが主体のイルーレギーの生産者としては珍しい。

 

 醸造は「特に説明するような珍しいことは何もしてないよ」とジャン氏が言うとおり、パーセル毎の一次発酵の後、銘柄によって二次発酵・熟成の方法や期間は異なるが、基本的に「ごく自然」だ。

「実はミクロ・オキシダシオンの装置も買ったんだけれども、結局今は使っていない。というのも装置を使うとがなぜか僕の所ではワインの『落ち』も早く感じられるんだ。リンゴ酸に関しても酸を殺す薬をイージーに使う生産者もいるが、熟成能力を考えるとやはり普通にマロラクティックを選ぶべきだね。ボルドーの残念なところは、あれだけ素晴らしいテロワールでありながら、果汁の濃縮や過剰な新樽など人工的な醸造が多いところかな」という言葉は、ペトリュスという最高峰のシャトーを通してボルドーを知り、現在イルーレーギーというテロワールと真摯に向き合うジャン氏の本音であろう。

ところでもしブラナの醸造で特徴があるとすれば「清澄はしないが、濾過はする」ということが、赤・白通して一貫していることだろうか。とにかく「ノン・フィルトレ」が高品質と同義に語られることも多い昨今だが、ブラナのワインをテイスティングしていると、この濾過は味わい的にも正解であるように思われる。というのも赤はイルーレギーのとりつく島もないタンニンは洗練られ、白にはきらきらとしたミネラルの輝きが顕著に見られたからである。

 

テイスティング

 

 今回は全て瓶からのテイスティングで、赤から開始。テイスティング銘柄は以下。

 

イルーレギー オイツァ(OHITZA)2000 (CF40%、CS15%、タナ45%)

イルーレギー アリ・ゴッリ(HARRI GORRI)2000 (CF50%、CS15%、タナ35%)

イルーレギー ドメーヌ・ブラナ 2000 (CF55%、CS5%、タナ40%)

イルーレギー イロリ(ILORI) 2001 (グロ・マンサン70%、プティ・クゥルビュ30%)

イルーレギー ドメーヌ・ブラナ 2001 (グロ・マンサン60%、プティ・クゥルビュ22%、プティ・マンサン18%)

 

饒舌だったジャン氏だが、カメラを向けると少々照れくさそう?

 ジャン氏曰く、「ミネラル、クリスタルのような透明感、旨味はあっても重くない。そういうスタイルを目指している」。確かにブラナのワインは「筋肉質で妙な重さの割には時にそっけない余韻」が目立つ一般的なイルーレギーの赤ワインと比べると、イルーレーギーらしくない。特にカベルネ・フランの比率の高さも関係しているのであろうが、細かく滑らかなタンニンの質が明らかに違う。ではテロワールを無視しているのか、と言われるとそうではなく、ワインの中にあるミネラルや酸の高さは、やはり山岳地帯のワインであることを思わせるものだ。つまりブラナのワインの「らしくなさ」は、一つのアペラシオンから「アペラシオンの違う顔」が優れた生産者によって引き出される時に感じる、「肯定的な、らしくなさ」だ。そしてはっきり言って、美味い。この美味さはフランス語で「Qualite Prix(カリテ・プリ)」と呼ばれる「高品質低価格」のワインが他の生産地で次々と生まれていく中、全国レベルで競争力のある美味さである。そしてフランスで全国レベルであるということは、世界レベルであると言ってもよいだろう。

 赤に関しては、多くのイルーレギーを飲んだ時に感じる「果実味の不足」は感じられず、優れたカベルネ・フランに共通する粒子の細かな黒系果実の甘味が大変強く、余韻も長い。そして甘味、ミネラル、酸、柔らかく細かなタンニンとのバランスが非常によいので、単調さや重さが無い。特にイルーレギー ドメーヌ・ブラナ 2000のタンニンの質はボルドー右岸を思わせるもので、そのことをジャン氏に言うと、「実は僕もブラインドで自分のワインを出されて右岸と間違えたことがあるんだ」とのことだった。

 白のセパージュ、グロ・マンサンとプティ・マンサン、プティ・クゥルビュについて尋ねると「グロ・マンサンは白い花のニュアンス、プティ・マンサンとプティ・クゥルビュは果実味をワインに与えるんだ」という答えが返ってきた。確かにセパージュから来るそれらの特徴が上手い塩梅に溶け込んでいて、イルーレギーの魅力であるミネラルや酸味を綺麗に引き立てている(白はより岩の多いパーセルに植えている)。上級キュヴェであるイルーレギー ドメーヌ・ブラナ 2001にはマロラクティック発酵による柔らかでヨーグルトのような酸の中に、爽やかなリンゴ酸も少し残っていて、酸の味わいの多様さが楽しく心地よい。前日ビアリッツのレストランでホタテ貝柱のグラタン(グラタンといってもエスプモーソ仕立て軽いソースをかけ、さっと表面を焼いた程度の軽やかな一品だった)と、このイルーレギー ドメーヌ・ブラナ 2001を合わせたのだが、絶妙の火加減で甘味を引き出したホタテの旨味とは素晴らしいマリアージュだった。

 

ブラナのワインを試飲して感じたことは、「ジャン氏はセンスが良い」ということだ。イルーレギーという地に、「程良く(この程の良さもセンスだろう)」ボルドーのエスプリを持ち込んだ功績は大きい。そしてこのセンスの良さは、以前訪れた北部ローヌの生産者フランソワ・ヴィラールを思い出させた。元料理人であったというヴィラール氏が造るワインにも、上手い具合に「味覚のツボ」を抑えられたものである。二人には「昇り調子の人達が持つオーラ」があることも共通している。

 その「オーラを持つ」ジャン氏は訪問の間中熱くワインを語った後に、足早に仕事に戻っていった。この慌ただしさにも改めて、ジャン氏が「これからの人である」ことを感じるのだった。