Chateau MOULIN HAUT−LAROQUE
〜情熱は止まらない〜

(Fronsac 2002.10.22)

 

 

 「ごめん、僕、bavard(おしゃべり)だから」。

 2時間弱の訪問の中で、何度もジャン=ノエル・エルヴェ氏は私達にこう断った。しかし彼は単におしゃべりなのでは決して無い。無駄なことを言って時間を割いたわけでもない。とにかく俗な言葉で言えば「熱い」のだ。勿論優れた生産者であればまずは自分の造るワインに対して、「熱い」のは普通であろう。ただその熱さをどのように放出するかは人によって勿論違う。ヴォギュエのミレ氏が静かで鮮烈な「氷の情熱」で人を圧倒する人であるとすれば、シャトー・ムーラン・オー・ロックのエルヴェ氏は「連続射撃」で人を圧倒する。今回はフランス語が堪能なメンバーで訪問したにも拘わらず、彼の説明に誰もメモが追いつかない。「ここまで来たのなら、全て説明いたしましょう」と言わんばかりに、小柄だががっちりした体躯の彼は話す、話す、話す。結果、戸惑いを見せる私達に彼が一息入れる言葉としての、「ごめん、おしゃべりだから」なのだ。

 

シャトー・ムーラン・オー・ロック

 シャトー・ムーラン・オー・ロックはフロンサックのセヤンというコミューンに位置するシャトーである。エルヴェ家自体は古いボルドーの家系であるが、シャトーや畑を最終的に所有したのはフィロキセラ以降で、現在所有する畑は15haだ(メルロー65%、カベルネ・フラン20%、カベルネ・ソーヴィニヨン10%、マルベック5%)。そしてその畑はエルヴ氏が「小さな劇場」と呼ぶ一つずつが微妙に向きの違うセヤンの丘か、フロンサックの台地の中でもより高度の高い箇所にあり、隣人であるサンテミリオンと地質学的には続きであるらしい。またpHのアルカリ度の高さはグラン・ヴァン・クラスに匹敵する。

 この恵まれた土地で1977年以降エルヴェ氏が目指したワインは、優れた多くの生産者がそうであるように「テロワールを表現できるワイン」。そしてその手段として畑仕事は「より自然な方向」に移行していった。現在彼はボルドーでビオディナミを目指す数少ない生産者の一人でもある。同時に彼の畑の樹齢は平均的に古く(古いもので約70年)、また収量は驚くほど低い(今年のファースト・ワインは20hl/haという低さだ)。

醸造に関しては、今や気鋭の地であるフロンサックらしく新しい技術の導入が見られる一方、「より伝統的に」というエルヴェ氏のこだわりも貫かれており、そのバランスが面白い。そしてこの一見矛盾して見える二つの要素が成立しているのは「とにかくブドウの質ありき」という姿勢の基に選ばれた手段であるからだろう。その最も分かりやすい例が、選果の厳しさだ。シャトー・ムーラン・オー・ロックでは除梗を行うが、選果は除梗前と除梗後、つまり2回目の選果は「粒選り選果」である。振動を利用したこの「粒選り選果台」は1997年にキノー・ランクロが初めて採用した後、サンテミリオンのシンデレラ・シャトーの間に瞬く間に浸透したものだ。しかし全ての手段に流行の手段を採用するわけでは無く、例えば果汁の濃縮の為の機械等は一切用いず、また一次発酵中の微酸化には「マクロプラージュ(*注1)」(ミクロ・プラージュではなく、文字通り泡の粒が大きい)を用いる。また一次発酵は流行の木製発酵槽ではなく、比較的小型で寸胴型の温度調節器付きステンレス・タンクで行い(*注2)、デキュヴァージュなど多くの生産者がポンプを用いる作業も、全て重力を利用した作業を選んでいる。二次発酵・熟成に関しては、4つの樽会社より木の種類や乾燥期間などが異なる樽を選んで(約35―45%は新樽)その中で行うが、一次発酵と同じく二次発酵の熟成期間も「最終的には経験とテイスティングによって判断する」ため、一概には言えないようだ。

(*注1)

マクロ・プラージュの利点:

タンク中の果帽中にはまだワインとして引き出せる良質な要素(ミネラルなど)があるが、難点としては大変固い。そこでそれらを攪拌して果汁に浸み込ませるために大きな酸素と窒素の泡でもってその固まりを細片させ、果帽のエキスを果汁と混ぜ合わせる。

(*注2)

タンクのサイズと大きさの利点:

右岸は区画が小さいので、このサイズと大きさだと各パーセル毎の仕込みが可能となり、かつ仕込みの際果帽の層が薄くなる(攪拌しやすくなる)。

 

「粒選り」選果台。細かく振動しながら

彼にとって理想的な機能の一次発酵用ステンレス・タンク。一分の隙も無い、清潔さ。

 

テイスティング

今回の試飲はシャトー・ムーラン・オー・ロック 1999年である。真っ先に立ち上がってくる香りは熟した黒系果実だが、続いて吟醸香にも似た心地よい酵母や甘く白い果実の香りも現れ、これらは時間と共に黒糖のレーズンパンのような優しい香りへと変化していく。過剰な樽香は全くなく、スパイスとしてカカオがひっそりと添えられているのも好ましい。私自身フロンサックを語れるほど飲んだわけではないが、メルローの味わいが土っぽい重さや生肉のような甘味に繋がらず、フランの繊細さとバランス良く純粋に柔らかい果実味を表現していることが最も印象的だった。端正な骨格もあり美しい熟成も予想されるが、良い意味でのこの微妙な柔らかさや軽さは、やはり良質なフロンサックが持つ一つの魅力なのだろう。

 

訪問を終えて

抜栓時も、語りは止まることなく、、、。

 訪問後日、質問がありエルヴェ氏にメールを送ると半日もせずに返事が返ってきたことにびっくりした。訪問後、生産者にメールや手紙を送ることはしばしばあるが、即座に返事が返ってくることはかなり稀なのだ(私自身の受け入れられ方に問題もあるだろうが)。そして私がここで書くまでもなく、シャトー・ムーラン・オー・ロックは国内外で着実により評価を高めているボルドーの生産者であるので、尚更驚きである(ボルドーにおける訪問は良くも悪くも英国風だ)。思えば訪問時も「ボルドーを訪問しているとは思えないほど生産者の顔が見える」事に、訪問者一同驚いたものだった。そういう意味では生産者の情熱や背景が、そのままワインの味わいやシャトーの訪問時の中に見える楽しさをサンテミリオンのシンデレラ達のように与えてくれ、かつぐーっと身近である彼のようなフロンサックは、ある種の人達のボルドー離れを引き留める力があるかもしれない。