Domaine Francois VILLARD 〜再会!ばく進の12年間〜

(Condrieu 2002.11.21)

 

この絵が彼の気持ちを代弁している?


 前回訪問時(参:生産者巡り
Domaine Francois VILLARD 〜破竹の勢い〜)、彼はセラーを建設中で、工事現場を足早に歩き回り、早口で話す様子は、工事の音さえ楽しそうに彼の耳に響いているかのように見えた。前回の訪問より約4ヶ月経った。今回の訪問の目的は新しいセラーで彼の躍進ぶりを振り返ることと、さらなる展望を伺うことである。

 高低差を利用した(重力に逆らう作業を極力さける為である)セラーを一通り見学し、コート・ロティからコンドリューを270度見渡せるテイスティング・ルームに通された。まだ新しい建物特有の香りがするテイスティング・ルームの片隅に、手書きの可愛らしい絵が立てかけてある。絵の中にはハンモックで嬉しそうに寝そべるヴィラール氏らしき人、その背後に新しいセラー、足元には3本の瓶、サンジョゼフとコンドリュー、そしてコート・ロティ。そしてこんな言葉が書かれていた。

―Aujourd‘hui、、、ma vie est、、、reglee pour douze ans、、、!―

直訳すれば「私の人生は12年で精算された」となるのだが、もちろんそこにはもっとフランス語のロマンティックなニュアンスがあるのだろう。料理人から転身後、1990年からワイン造りを始めた彼にとって、新しいセラーは初めて夢が一歩前進した象徴なのかもしれない。

 

 

彼の12年

実はこの日のアポをご本人は忘れていた。彼にとっては予定外の訪問となったわけだが、話し出すとやはり止まらない。

 彼のワインの魅力。それは誰にも「美味い!」と言わしめる、センスの良いきらめいた美味しさだ。こういう美味しさを持った生産者と言えば他にリュリィのヴァンサン・デュレイユ・ジャンチアル等が思い出される。このセンスの良さは彼がもと料理人であったことにあるように思い込んでいたのだが、よくよく話を聞くとそう単純なものでもなさそうだ。

「僕が料理人として働いていた場所は、大きなレストランや病院。だからその時最も大切だったことは『ただ大量に言われたことを正確に作る』ということで、味わいなどは特に考えもしなかった。『味わい』というものを真剣に考えるようになったのは、むしろヴィニョロンになってから。それでもワインを理解するのにはまだ若かった。味わいの調和が分かるようになってきたのは今、40歳を過ぎてから。料理?今でも即興で作る時はあるよ。イヴ(注)は褒めてくれるけれどね」。そして料理人の道を捨てヴィニョロンを目指すようになった彼にとって、何よりも壁だったのはこの「味わい」に他ならなかったようだ。

「ワインには以前から興味があったし、転職のためにソムリエスクールに通い始めたんだ。実際行ってみると学校に行く前からかなり勉強していたので、ワイン論理なんかは講師より詳しかったりしたよ(笑)。でも全く分からなかったのが、ワインの味。僕のワインの知識は机上の論理でしかなかったのだと痛感した。それからはとにかくテイスティングするだけでなく、生産者巡りも始めたんだ」。

そんな中で彼は「コンドリューに初めて目覚めた」というイヴ・キュイロンのコンドリュー1883年に出会い、またマコンには農業を学びに行った。

1989年コンドリューに土地を購入し、1990年彼は初めて自分でワインを作るが、その出来はまったく満足できるものではなかったらしく、実質の初ヴィンテージは1991年からである。そして1993年、パリのワイン評価の権威であるLa Revue du Vin de Franceが彼のワインを評価、続いてベタンの著書の一人、チェリー・ドゥスーヴ氏が絶賛した。その後絶賛の波はフランス国内にとどまらず、パーカーにも「1990年代の10年間の間に北ローヌからあらわれた最も才能のある若き生産者の一人、フランソワ・ヴィラールは、『非常に優れたコンドリュー、そしてサン・ジョゼフとコート・ロティのよい赤ワインを増産している』という評判を瞬く間に手に入れた」言わしめた。一方、アラン・デュカスなどの星付きレストランがこぞって彼のワインをリストに載せるようになり、その後の安定した上昇は私達の知るところである。

短期間に夥しいワインとの出会いがあったであろうヴィラール氏に、今赤・白1本ずつ選ぶなら、どのワインかを尋ねてみた。赤は50本くらい思い浮かんでしまって選ぶのは無理、とのことだったが白はずばり、「ドメーヌ・ジョルジュ・ヴェルネイ コンドリュー コトー・ド・ヴェルノン 1989年」という答えが返ってきた。ドメーヌ・ジョルジュ・ヴェルネイこそコンドリューの牽引役であり、この人無くして今日のコンドリューは無かった言っても過言では無いだろう。そしてフランソワ・ヴィラール氏とは、とことんコンドリューに魅入られた人なのである。

 

(注)イヴ・キュイロンはヴァン・ド・ヴィエンヌでも有名なヴィニョロンの一人。ヴィラール氏の師であり、親友でもある

 

 

これから

 コンドリューだけでなく、一連のサン・ジョゼフなど特に彼の白ワインの評価は既に不動の感があるが、「破竹の勢い」を持つ彼の野望はしっかりと赤にも向けられていた。

 彼の所有する平地の区画の中に泥土混じりの砂地があるが、彼はそこにメルローとカベルネ・フランを植えた。なぜボルドー右岸のセパージュなのかと尋ねるとあっけらかんと彼はこう答えた。「ペトリュスよりも良いものを作ってみたいからね」。そのメルローを試飲すると白の試飲後だったせいもあり、ブドウそのものの若い味が強すぎ、ペトリュスのエレガンスからは現時点では異なるノリだった(樹齢の若さもあるだろう)。しかし業績を上げてもまだ走る速度を落とさない彼のことだ、10年後、20年後にこの単なるヴァン・ド・ペイの一セパージュがどう改良されていくかが未知数であっても、それがプラスの未知数に思えるから人の持つオーラとは恐ろしい。

 そして余談だが彼の新しいセラーにはスタージュ(研修生)用の部屋があった(現時点ではもちろん未使用である)。小さいながらプライヴェートが保たれる綺麗な部屋だった。その部屋は彼が伝授する立場になった証でもあるだろう。そしてその部屋に新参者として苦労した彼ならではの心遣いを感じるのは、私だけではないはずだ。

 ヴィラール氏の言葉、「味わいの調和が分かるようになってきたのは今、40歳を過ぎてから」。彼のワインを飲んだワイン愛好家に言わせると、それは非常に謙虚な言葉である。しかし謙虚に語れる彼が手がけるワインだからこそ、これからも出会いたいと人に思わせる力があるのだ。