Domaine ILARRIA 〜ビオと日本の意外な接点〜

(Irouleguy 2002.10.24)

 

イルーレギー

イルーレギー(Irouleguy)。ワイン通にとっても少々「盲点」なアペラシオンである。

そのイルーレギーとはバスク地方を代表するワイン産地でありAOC取得は1970年と比較的新しい。だがピレネー山脈の麓に広がるブドウ栽培の歴史は古く、ボルドーやロワールで人気の品種カベルネ・フランの原産地でもある。赤・白・ロゼが生産されており、主なブドウ品種は赤がタナット、カベルネ・ソーヴィニヨン、カベルネ・フラン、白はプティ・マンサン、グロ・マンサン、クゥルビュ等だ。そしてイルーレギーの村自体は車で走っていると見過ごしてしまいそうなほど小さい村だが、そこでいきなりこんな質問をされたのだ。

―フクオカ マサノブ(*注)をご存知ですか?―

東洋人すら珍しいこの地でこの質問をぶつけてきたのが、ドメーヌ・イラリアのペイオ・エスピル氏。ドメーヌ・イラリアは小規模ながら、既に一部の星付きレストランなどで高く評価されているイルーレギーの生産者だ。彼はビオロジーを実践しており、話題がそのことに言及した時に「フクオカ マサノブ(福岡正信)」の名前が出たのだった。

 「ビオロジーを実践しようと思い色々な書物を読みましたが、最も実用的だったのが福岡正信の本でした。彼が戦後に書いた有機栽培に関する本は日本の稲作に対応したものでしたが、シュタイナー(ビオディナミの思想を提唱した人)関連の本なんかよりもずっと分かりやすかったです」。意外である。そして同時にビオに少なからず関心を持っている一日本人としては、自国に関する無知を少し恥じたのだった。

 

(*注)福岡正信氏:大正2年伊予市生まれ。1947年帰農。以来自然農法一筋に生きる。国内外に著書、文献あり。

 

ドメーヌ・イラリア

 ドメーヌ・イラリアはイルーレギーに代々土地を所有する旧家で、「イラリア」とはランド地方の私有地の名前に由来している。30Haの所有地のうち10Haがブドウ畑(8Haが黒ブドウ:タナット、カベルネ・ソーヴィニヨン、カベルネ・フラン、2Haが白ブドウ:プティ・マンサン、クルビュ)で、それらは13世紀頃からブドウ畑として存在していたらしい。しかしドメーヌとして瓶詰めを始めた歴史は遅く、1988年が初ヴィンテージだ。それまでは彼のご両親がVracと呼ばれる「量り売りワイン」としてワインを生産していたのだ。

 彼の代になり、そして1991年以降彼が最も最優先に取り組んだことが生態系への配慮、すなわち「ビオロジー」の実践だ。しかしこの時期は彼にとってワイン畑の拡張期でもあり、一度に全ての化学薬品(特に除草剤)を破棄することは非常に困難だった。だが2000年には全ての畑においてビオロジーを実践することに成功、今年2002年の収穫分からは行政的にも「ビオロジー」を名乗ることが出来る(行政的にビオロジーを名乗るには、3年間の転換期間が必要)。同時に「急斜面をトラクターで耕せるように畝間の広い段々畑を採用した」イルーレギーにおいては珍しいブドウの密植(5000本/Ha。イルーレギーの平均は約2000本/Ha)や密植した上での平均25hl/Haという低収量の実施も見逃せない。

 特筆すべきことは他にもある。それは彼の畑の土壌だ。イルーレギーにおけるブドウ栽培の事実的スタートは、18世紀に修道僧達によってブドウが植えられたことに遡り、その土壌は殆どが赤色砂岩である。しかし13世紀頃から既にブドウが植えられていたという彼の畑は大小の岩に覆われた石灰質土壌がメインである。しかも標高は300Mにもなるところが多い。これらの条件はブドウの成長期に温暖なこの地にありながら、ワインにはしっかりとした酸とミネラルを与えることとなる。

 

玄関や倉庫の門にも代々伝わるイラリア家の紋章が。

 

テイスティング

 今回のテイスティング銘柄は以下。白は1999年に植樹したばかりで、2002年が最初のミレジムになる予定である。

 

イルーレギー ロゼ 2001(タナ70%、カベルネ30%)

イルーレギー ルージュ 2001(タナ70%、カベルネ30%)

  イルーレギー ルージュ キュヴェ・ビシンチョ 2000(Bixintxo:バスク地方の守護聖人「聖ヴァンサン」のバスク語。タナ100%。14−16ヶ月樫樽で熟成。良昨年のみ生産) 

 

今回試飲したワイン。真ん中がキュヴェ・ビシンチョ。クリックすると大きくなります。

 今回イルーレギー訪問を通して様々な生産者のワインを試飲する機会に恵まれたが、特に赤には堅牢すぎるタンニンと時に拍子抜けするような余韻の短さが目立つことが多く、その殆どが10ユーロもしない価格を考慮しても、個人的には「難しいな」という印象を持つことが多かった。重く複雑でない肉料理と飲むのなら良いかもしれないが、単独で飲むには飽きを生む。そして同価格帯のフランスワイン、例えばロワールやローヌ、ラングドックに比べると生産量という問題を無視しても競争力に欠けるように思われたのだ。しかしイラリアでロゼの試飲を始めた時、「これはいけるのでは!」という嬉しい直感があった。それはイルーレギー・ルージュに引き継がれ、彼らのキュヴェ・プレスティージュ「ビシンチョ」で満足に変わった。

 ロゼ、ルージュにも共通して感じられたミネラルのトップノーズの後、苦味を伴ったビターオレンジを思わせる香り。これらが樽のショコラ様の香りと上手く混じり合う。飲むと鉄とミネラル、タンニン、奥に潜んだ酸などによるしっかりとした骨格を感じるのだが、この骨格はこのワインのヴォリュームである熟した黒いドライ・フルーツを噛んでいるような甘さとバランスが良い。これらの要素がゆっくりと綺麗に去っていく様も好印象だ。エスピル氏曰く「15年くらいは成長していくでしょう」。確かにこの豊富な要素のバランスの良さは綺麗な熟成を想像させる。

ちなみにピレネー一帯のワインの中で、やはり赤で有名なマディランとイルーレギーの違いをエスピル氏に尋ねると「大陸性気候のマディランが力強いワインなら、海洋性気候のイルーレギーはフィネスのワインです」という答えが返ってきた。全てのイルーレギーにフィネスという言葉を当てはめるのは無理があるように思われるが、彼のビシンチョなど優れた生産者のいくつかのキュヴェを説明するのには適切な表現だろう。

 

畑の風景

 福岡正信氏の教えが生かされているのであろう畑を見に行った。畑や森、牧草地が続く山道の高度をかなり上がったところに、彼の畑はあった。除草剤を使わないためにふさふさと雑草が生えているが、見える土肌はイルーレギー特有の赤色砂岩主体ではなく、確かに白っぽい。そして表土にはさらされっぱなしの大小の岩がゴロゴロしている。イルーレギーの土壌は地下50メートルを超えたあたりから再び岩層になることが多いらしいが、岩―石灰―岩の土壌からなる彼のワインにミネラルをたっぷりと感じるのは当然である。

またエスピル氏曰く「山岳地帯のイルーレギーでは肥えた土地には牧草やとうもろこしを、最も痩せた土地にはブドウをというように耕作が斜面毎に慣習的に決められていたようですね。そしてこれが結果的にはブドウにとって良かったのです」という偶然の結果とは言え、彼の畑の環境はビオを説く人が必ず言う「一つの生態系には複数の農業があることが理想である」という条件もクリアしている。畑の後ろには自然の森があり、斜面下では牛が草をはんでいる。

ところで今回エスピル氏本人の写真を撮ることは断られた。「ずっとここにある土地に比べて私の一瞬は撮るほどのものではありません。しかもワインは私一人で作っているわけではないので、私だけの写真というのはどうも気が進まないのです」という真面目でかつ優しい彼らしい理由からだった。パリ、そして日本で彼のことを思い出す為には、彼のワインを飲むしかなさそうである。

 

石灰の土壌の表土はこのような大きな岩がゴロゴロ。

畑の斜面下には牧草地が、そしてその向こうには森が広がる。