Domaine Francois MIKLSKI (Meursault 2002.10.30) |
どんな話題も変わりなく、丁寧に説明してくれる。 |
「Dessus(ドゥスュ:上に、表に)」「Dessous(ドゥスー:下に、裏に)」という言葉。ムルソーの地図を見た時にLieux−dits(区画名)の後ろに、頻繁に付いている副詞。例えばLes Charmes―DessusはLes Charmes―Dessousよりも、その言葉が示す通り地図で見ると確かに標高が高い場所に位置している。「Dessus」「Dessous」の他に「Haut(高い)」「Bas(低い)」等の副詞あるいは形容詞を付けて、同じ区画名を更に分けることは他の村名アペラシオンでも結構見られるが、ムルソーにおいてはとにかく嫌になるほど多い。
もし味わいにはっきりとした差があるのなら、一消費者としてはワインのラベルにも「Dessus」「Dessous」を表記するかいっそのこと畑名を変えてほしいものだ、等と考えながら、今回はミクルスキ家の戸を叩いたのだった。そこで彼の説明を聞き、理解した。ムルソーにおいてやはり「Dessus」「Dessous」という言葉は各区画の中での違いを説明する為の、無視することは出来ない生きた言葉なのだ。もちろん理解したことはそれだけではない。今回の訪問は1992年が初ヴィンテージという新しくも既にスターであるこのドメーヌが、「Dessus」「Dessous」といった変えることの出来ない環境の中でも独自の見解を持ち、高みに昇っていく。そんな「今」を垣間見ることができた幸運な訪問でもあった。
ミレジム観 |
「熟成能力を語る時に、とにかく『酸』のポテンシャルが重要視され過ぎるようだが個人的にはそれには賛成しかねるね。最終的には『ブドウがいかに熟しているか』の方がそのワインがピークを迎えた時のバランスという点において、酸のポテンシャルより大切だと思う」。そう語るフランソワ・ミクススキ氏にとって、例えばパーカーに「ミクルスキはムルソーの一流の生産者の仲間入りをした」と評された1996年は「酸が強すぎて時間を要するミレジム」であるらしい。そこでフランソワ氏の最近のミレジム観を聞いてみた。以下は簡単にまとめたものである。
2002年:
どこでも糖度の高さが話題になっているようだが、私達のところでも天然アルコール換算糖度は14度を超えた。しかし全ての生産者のブドウの糖度が高かったわけでは無いと思う。あくまでもこれらの数字の高さは最低30−35Hl/Haくらいまで収量を抑えた生産者のものだ。性格を断定するには早すぎるが鮮明かつ綺麗。これは熟成するにつれて素晴らしいバランスを生み出すと思う。
2000年:
赤・白共に全く問題が無い。偉大なるバランスのミレジム。
1999年:
特にピノノワールにおいては、スパイスなどが強すぎるように感じられるミレジム。
1998年:
白は時間を要するミレジム。ピノノワールにおいてはエレガンスを表現できたミレジムで、個人的には1999年のものより好きかも。
1997年・1995年:
1996年とは対照的に、既に心地よい飲み頃が来ているミレジム。
1996年:
前述。
1994年:
最も酸に欠けたミレジム。
自分のワインに対して歯に衣着せず、また世間一般のミレジム評価と微妙に少しずつ違うところが面白い。
テイスティング |
今回は瓶詰めされた2000年ミレジムと(アリゴテのみ2001年)、樽に入ったばかりの2002年と2001年をバレル・テイスティングさせていただいた。
( )内は、Lieux−dits(区画名)や樹齢など。
ボトル・テイスティング
2001年
* ブルゴーニュ・アリゴテ(ムルソー斜面下の低地、Les Basse Gouttesと74号線を挟んで北上した区画。樹齢73年)
2000年
* ムルソー(Les Pelles Dessus、Au Moulin Landin、Les Meix Chavaux、Le Limozinのアッサンブラージュ)
* ムルソー・ポリュゾー(Dessus)
* ムルソー・シャルム(Dessous。樹齢は2/3が72年、1/3は88年)
* ムルソー・ジュヌヴリエール(Dessus。樹齢は2/3が35年、1/3は15年)
* ヴォルネイ・サントノ・デュ・ミリュー
バレル・テイスティング
(2002年のムルソー・ブランは10/30現在バトナージュを開始したばかり。フランソワ氏曰く「叩けば良いってもんじゃない。子供と一緒で叩くタイミングは難しいんだ」)
2001年
* ムルソー(Le Limozin。樹齢30−40年)
* ムルソー(Les Pelles Dessus)
2002年
* ムルソー・ポリュゾー
* ムルソー・シャルム
* ヴォルネイ・サントノ・デュ・ミリュー(若い樹齢のものとVVの比較試飲)
* ムルソー・カイユレ・ルージュ
ミクルスキのムルソーというのは、常に「きらめいた」イメージがある。美しい果実の酸はもとより、ミネラル、辛味、またシャルムにおいてはミルクのニュアンスまでが、あくまでも透明で純度と密度が高く、しかも舌の上での動きが機敏で、よって決して重くならない。本当に「きらきら」という言葉がよく似合う。そして畑によってその「きらめき具合」がはっきりと異なるのだ。
また樽に入ったばかりのシャルムとポリュゾーを試飲したが(ともに2002年)、前者には純粋なグレープフルーツを、後者には洋梨と白桃を、これ以上ないほどにはっきりと感じた。醸造過程でシャルドネというブドウが、これほどまでに他の果実を表現してしまうことは全く驚きだ。
ところで今回はムルソーの地図を見ながらの試飲だったが、彼の畑はムルソーにおいて特に優れていると言われる土壌が北上しながら連なる高度240−280mの間、もしくはその土壌に添うように点在している。しかし贅沢を言えば「痒い(欲しい)ところに手が届きそうで届かない」位置加減でもある。ではテイスティングを通じていつもそこにある、あの「きらきらとしたブドウの味」は一体どこから来るのだろう?
まずは畑の向き、土壌、樹齢が異なるパーセルを持つことは彼のドメーヌにおいて、特にムルソーのように幾つかのパーセルのキュヴェをアッサンブラージュするワインで良い方向に作用しているようだ(これは勿論彼がブドウの性格を知ることに成功しているからである)。またシャルムは、同じシャルムでもより土地質が重いために格下と見なされるDessousに位置するが同時に樹齢が大変高い。そしてそれ以外に挙げられることとしては台木の選択の妙がある。彼が最も採用している台木はベルランディエル種の16149Cという種類であるが、彼曰く台木の選択一つでブドウの寿命や、病気の多さ、石灰分などミネラルの吸収が変わってくるようだ。区画のイメージ以上に喜びをもたらしてくれるミクルスキ味の背景には、こういった幸運や努力、そしてセンスが要所要所にあるのだろう。
また畑の仕事において彼がブドウとドメーヌという長いジェネレーションを考えた時、常に自然を尊敬し最善を尽くすのであって、その中にリュット・レゾネもあれば、ビオも存在する。ただ一つの手段だけを強調すること、例えばリュット・レゾネ(減農薬)と謳うことすら彼にとってはコマーシャルと感じられるようだ。
ちなみに彼に現在手に入れたい畑を尋ねてみた。その答えはペリエール、ジュヌヴリエールをもう少し、モンラッシェ、そしてシャサーニュもしくはピュリニィ寄りのサントーバン。畑名を聞いてそれらが実現することを強く期待してしまうのは、私だけではないだろう。
訪問を終えて |
海外(カレラ)で研鑽を積んだブルゴーニュの次世代としては、フランソワ氏は年齢層の高い方だろう。彼の説明には常に研究熱心さと同時に、試行錯誤の結果である固執しない潔さがあり、さすが次世代のトップを走る人だなと感じさせられる。
ところで後日ポーレ・ド・ムルソーというムルソーの大昼食会でフランソワ氏とばったりお会いした。この日の彼はネクタイ姿。最初にジーンズ姿で会った生産者と次にスーツ姿などで会うとイメージが変わって一瞬どきっ、とすることが多い(さすが洋服の国の人、何となく決まる)。そのことを彼の義兄であるドメーヌ・ジェルマンのジェルマン氏に話すと大爆笑。「あいつが、ネクタイ???普段はぜーったい、(「jamais:決して」を5回くらい繰り返して)しないんだけれどな」。そうなのだ、トップを走る人の普段とはきっと無頓着なほどに「ワインの人」なのだろう。