Domaine Christine et Didier MONCHOVET 〜ブルゴーニュのビオ先駆者〜

(Nantoux 2002.9.3)

 

3ヶ月前、ブルゴーニュでビオディナミを実践している生産者を中心に訪問していた時のことだ。ブルゴーニュに住む知人に教えられたのがドメーヌ・クリスティーヌ・エ・ディディエ・モンショヴェだった。「ブルゴーニュのビオ生産者と言えば、彼が有名だよ。ビオの指導者的立場だからね」

そのドメーヌ・クリスティーヌ・エ・ディディエ・モンショヴェは、ボーヌからポマールへ南下する途中の、ナントゥという11世帯しかない本当に小さな村の中にあった。

ドメーヌの歴史

ディディエ氏と奥様のカトリーヌさん

モンショヴェ家がこの地に移ってきたのはディディエ氏の祖父の代である。父の代になって今の醸造所を構え、ボーヌのワイン協同組合の栽培指導官として栽培者の指導に携わっていたディディエ氏が、看護婦として働いていた奥様のカトリーヌさんと共にドメーヌを名乗るようになったのは1984年からである。彼は指導官として働く傍ら、独自にビオディナミの研究を続け、それを実践する場所と畑を探していたのだ。それは、0,5haの畑と借りた2,5haの畑からのスタートだった。

ビオディナミの実践は常に時間が必要だ。彼らがドメーヌとして実際、軌道に乗り始めたのは1989年。このミレジムは彼らが初めて瓶詰めした年である。そしてこの年彼らはそれぞれ続けていた今までの仕事をきっぱりと辞め、一ドメーヌとしての仕事に専念することを決意する。

そして1990年、彼らは理想的なパーセルと出会うことになる。それがオート・コート・ド・ボーヌに位置する、En Bignon(オン・ビニョン)とEn Gras(オン・グラ)だ。このパーセルは、ビオディナミの考えに基づいた生態系を完璧に確立できる可能性に満ちていた(参:後述の畑の風景 En Bignon(オン・ビニョン)にて)。

その後も彼らは自分たちが目指すレベルのビオディナミを実践するために、1993年には重力を最大限に利用できる発酵槽を導入、2001年には倉庫を建設するなど(この倉庫は雨水を再利用出来るようにもなっており、また彼らの飼っている馬やロバの寝床でもある)、ビオディナミであるがゆえの苦労を着実にクリアしていっているのである。 

ブルゴーニュのビオ事情

 ところでかつては「砂漠よりも微生物が少ない」と報告されたこともあるブルゴーニュの畑だが、現在ビオ事情はどうなのだろうか?ブルゴーニュで最も古くからビオディナミを実践しているディディエ氏に尋ねてみた。彼よりも前にビオディナミを実践していた生産者はいたが、現在はやめて(ドメーヌをやめてしまったのか、ビオをやめたのかは不明)いるそうである。

ディディエ氏曰く、「農業国であるフランスにおいて、ブドウ栽培に携わる人はごく一部のであり、ビオロジーを実践している人はその中でもごく一部分。そのまたごく一部がビオディナミなんだけれど、ブルゴーニュが面白いのは、他の生産地とは逆でビオロジーよりもむしろビオディナミの方が多いってことなんだ」。その背景の一つとしてとして、ディディエ氏はテロワール主義であるブルゴーニュの、土への回帰であることを挙げた。また醸造過程においてもブルゴーニュでは、優秀と言われる生産者が自然の流れに任せる傾向がある(彼はジュラやシュッド・ウェスト、そしてボルドーでも仕事をしていた経験を持つが、それらの地での醸造はブルゴーニュよりも全般的に、より技巧的であるらしい)。

 現在ブルゴーニュにはシャブリからマコンまで少なくとも7つの「ビオ・グループ」が存在し、更にビオに移行中の生産者も約30人はいるようだ。ただグループ内での情報交換は盛んだが、違うグループ間ではまだそういった機会が余り無いらしく、彼はそういったものも増やしていきたいと考えている。ちなみに彼のグループ内にもそうそうたるドメーヌの名前が並ぶ。シャトー・ド・モンテリー(参:生産者巡り)、エマニュエル・ジブーロ(参:生産者巡り)、ラファルジュ、コント・ラフォン、ジョゼフ・ドルーアン、ドメーヌ・ド・ロマネ・コンティ、そして彼である。

 では、彼にとってビオディナミの師匠というのは存在したのだろうか?答えは「Non」。

「私がビオディナミを研究しようと思った頃には、ビオディナミはまだルドルフ・シュタイナーが提案した一つの哲学のままであり、その哲学をブドウ栽培はおろか、農業に展開した本すら全くと言って良いほど無かった。その点今は、色々本があるから理解するには随分簡単になったのではないかな」。先駆者の苦労は計り知れない。そして、その彼がビオディナミを実践する最大の理由を尋ねると、きっぱりと「地球の(環境の)ためです」。だからこそ昨今のビオがモードのように取り上げられる傾向は、彼にとっては不思議なことであるらしい。

 「常に自然が前で、人は後ろです」。先駆者の言葉には、コマーシャルが全く無い。

 現在彼の元にはブルゴーニュ以外のワイン産地からもビオの講師として来て欲しい、という依頼が多々来ているようである。

畑の風景 En Bignon(オン・ビニョン)にて

これがLireで仕立てた畑。ブルゴーニュでは非常に稀らしい この仕立て方だと、ブドウの背はかなり高くなる

彼にとって理想的であるパーセルの一つ、En Bignon(オン・ビニョン)を見に行った。

この畑の風景には度肝を抜かれる。なぜなら高台にあり、かつ畑は森に囲まれて完璧に周囲からは独立している上に、ブドウの仕立て方がブルゴーニュでは初めて見るLireと呼ばれるY字型なのだ。まるで秘密の場所に案内されたようだ。

 

 

 この仕立て方を彼が選んでいるのは以下の理由からである。

   @     畝の間の雑草が育ちやすい(これは土壌にバランスをもたらす)

   A     地上から離れている分、ブドウは病気になりにくい。

   B     葉の表面の向きが理想的に仕立てられるため、よりよいブドウの成熟が得られる(彼はギュヨで育てている区画もあるが、彼のブドウの中でブドウの重さが最も理想的にできるのがLireで仕立てたもの)。

   C     小型の4輪バイクが入ることが出来る(この4輪バイクは馬よりもより優しく、土を押し固めずに耕すことが出来る)。

そして余談だが、ブドウは丁度人の腰の高さくらいになっているので、収穫時もとても楽だそうだ。

 

彼も今まで出会った何人かのビオディナミ生産者と同じく、「生態系」を重視し、かつ実践している。森に囲まれた畑のすぐ横では、広大な敷地に馬が放し飼いになっている。

 「一つの敷地に森(鳥、ウサギなどの小動物、昆虫)があり、動物がいて、農業もある。これが生態系に良いバランスをもたらすんだ。ブルターニュのようにブタばかり飼っていても公害を引き起こすし、農業ばかりでもやはり公害を引き起こす」。

 しかし誰もが彼のように理想的な環境のパーセルを手に入れることが出来るわけではない。「そうなんだ。もし他に手に入るならシャサーニュ・モンラッシェや、個人的に好きなコルトンがいい。でも高すぎるし、基本的に、このパーセルのような場所がいいんだ」。つまりこのパーセルと彼との出会いは、お互いにとって非常に幸運な出会いだったのだ。

ピノ・ノワールとアリゴテ。ぎゅっと小振りで、実は既に甘い 畑の横は、すぐに森

 

畑仕事と醸造、テイスティング

畑仕事:彼が実践しているビオディナミの理念と具体的な手段を要約したのが以下。

@     土と植物を尊敬する。

* 先述の4輪バイクで、土を押し固めず耕耘する。

     半年に1回の自然な植生に添った作業。

     種類の違う植物との共存(ブドウ畑の畝)。

     土が乾いている時の作業(例:剪定作業の開始は、冬至後の12月25日)

     化学薬品は一切使わない。

A     自然のリズムを尊敬する。(例:月の動き)

B     人を尊敬する(フレックスタイム)

C     テロワールを尊敬する(肥料はヴァンダンジュ後にごく少量使用するのみだが、それらは彼らが飼っている動物たちの堆肥)

 

醸造:

@     手作業による収穫。

A     必要に応じたブドウの選別。

B     重力に逆らわないワインの醸造(ポンプなどを使わない)

C     遺伝子操作された酵母、酵素、バクテリアをワインに加えない。

D     最小限のSO2の使用

E     木樽またはホーロータンクでの醸造、保存(キュヴェによりピエスで熟成。彼自身新樽の風味は嫌いではないが、彼のキュヴェに合った樽の選択として新樽は使わない)。

F     月のリズムを尊敬し試飲で判断することにより、醸造後6−24ヶ月後の瓶詰め。

G     多くとも1回のみのフィルター。

H     性能の良い機械を用いた、自分たちの手による瓶詰め。

(*注:上記の醸造は、彼らの最低条件と考えて良い。実際それぞれのキュヴェに用いられている手法は、より厳格なものだ)

 

テイスティング:彼らの生産するワインは以下。試飲したものは横に付記。

(白)

     ブルゴーニュ・アリゴテ(2001年を瓶より試飲

     ブルゴーニュ・オート・コート・ド・ボーヌ(1999年を瓶より試飲。2001年の樽違いを樽より試飲

     クレマン

(ロゼ)

     ブルゴーニュ・ロゼ

(赤)

     ブルゴーニュ・グラン・オルディネール

     ブルゴーニュ・パストゥグラン

     ブルゴーニュ・オート・コート・ド・ボーヌ(1992年、1999年を瓶より試飲

     ボーヌ プルミエ・クリュ オー・クシュリア(Aux Coucherias)(1999年を瓶より試飲

     ボーヌ プルミエ・クリュ ヴィーニュ・フランシュ(Vigne Franches)

     ポマール(2000年を瓶より試飲

セラーの一角にあるテイスティング・コーナー

 赤、白、ミレジムを問わず真っ先に感じられるのが、非常に透明感のある酸。この酸は特に長期木樽熟成させたふくらみのあるワインの中で、その潜在能力を遺憾なく発揮することが出来る。

 例えば白のブルゴーニュ・オート・コート・ド・ボーヌ 1999年。既に軽くノワゼットやシャンピニオンの香りがあり、次にアカシアの蜂蜜のような苦味を伴った甘い香りが立ち上がってくるのだが、香り、味わいの両方の芯にあるのは、レモンケーキのような、チャーミングではっきりとした酸。 後日、買って帰った同じ銘柄を2時間ほどかけて飲んだのだが、この甘さと酸は次第に上昇しムルソーを思わせるヴォリュームとなった。このワインをより堪能するには早めの抜栓が必要だ。

 また、同じブルゴーニュ・オート・コート・ド・ボーヌ(白)だが、2001年の樽違い試飲の一つは摘み忘れて(!)結果的に3週間のヴァンダンジュ・タルティヴになってしまったキュヴェだった(おおかた鳥に食べられていたらしい)。これはアルザスの極上のピノ・ブランを思わせる、きらきらした心地よい甘さが忘れがたいキュヴェだったが、一樽のみの仕込みなので、最終的にはアッサンブラージュしてしまうらしい(ただし幸運な日本のインポーターが12本のみこのキュヴェのみで瓶詰めしていただけるそうだ。羨ましい)

 先述の酸は、ポマールのような赤ワインの中でも輝いていた。ポマール、木樽発酵、樫のピエスで12−20ヶ月の熟成、そしてビオとなると失敗すれば野暮ったいワインになってしまいそうだが、このワインはミルクのような滑らかさの中に、白ワインの中にありそうな酸やミネラルが詰まっていた。開いていくのが楽しみだ。ポマールの田舎臭さはなく、むしろ洗練されたポマールと言ってよいだろう。

フランス人の憧れ、ブルゴーニュとは?

 畑の横で一頭ずつの馬やロバの首や鼻を撫でるディディエ氏に「この馬は、普段は畑を耕すことはないのですか?」と尋ねると、「いつかはあるかもしれない。でも今は糞を堆肥として利用する以外は完全に趣味で飼っている。子供達(ご夫婦には4人の子供がいる)が、乗ったりしているよ」そして、馬やロバも家族の一員であるかのように、この子は今お腹に子供がいて、この子はここで生まれた子で、と嬉しそうに説明してくれる。また少し離れたところには、バーベーキューの跡らしきものがあった。そこに目を留めた私の視線に気付いたディディエ氏は、「天気のいい日は、畑で家族一緒に食事を取ることもあるよ。たまにここで寝る時もあるんだ」。想像しただけで気持ちよさそうである。

彼が呼ぶと、馬やロバが嬉しそうに駆けてくる

 畑を見てカーヴに戻ると、そこには10人ほどのフランス人のグループがいた(彼らのワインはドメーヌ直売がメインであるようだ)。マダムの説明にいちいちどよめく彼らの姿も微笑ましい。

客:バリックで熟成させるのですか?

マダム:ここはブルゴーニュよ。バリックじゃないわ。ピエスよ。

客:おーっ!(一斉に感嘆と納得のどよめき)

きっとこの中高年のグループは、ワイン好きの友人同志なのだろう。楽しそうにワインを試飲している姿を見て、本来のカーヴ訪問はこういうものなのだろうと妙に納得し、彼らの中で「ボーヌから少し離れた小さな村で試飲した」ということが、きらきらとした思い出の一つになるのだろうと想像した。

 

 フランス人がブルゴーニュという土地に持つ思い。あるフランス人の知人は「小国」と言い、ある雑誌では住みたい場所の一番人気だと書かれていた。このドメーヌで見た風景は、フランス人ではない日本人にも同じ思いを抱かせた。