Chateau de Monthelie 〜モンテリーの誇り〜

(Monthelie 2002.6.28)

 

 「シャトー・ド・モンテリーって知っています?」

訪問先にアポイントを取っている時に、そう言われた。もちろん、シャトー・ド・モンテリーの名前は知っている。でもその前に、モンテリーというアペラシオンの特徴すら捉えていない自分に気付いた。ぱらぱらと手元にある本をめくっても、「スマートなタンニンが特徴の」「ヴォルネイに似た特徴を持つ」、、、。こんな簡単な一言で語られてよいものか。

 

テイスティング

 

「ボーヌでタクシーにシャトー・ド・モンテリーって言えば、誰でもわかる」そう言われた通り、歴史を感じる古いシャトーは、ブルゴーニュに住んでいる人なら知らない人はいないだろう、と思われるほど美しい。蔦の絡まった階段、脇に置いてある自転車、日差しを浴びた色とりどりの小さな花たち。一つ一つの日常の風景が見事に絵になるのだ。迎えてくれたのは、パリからモンテリーに移って20年、というヴェロニクさん。

ヴェロニクさん

キュヴェゾンが行われる大樽

2001年のバレル・テイスティングを希望したのだが、どのキュヴェも醸造過程で特に現在は非常に落ち着いていない、ということで2000年のものをボトル・テイスティングした。テイスティング銘柄は以下。(このドメーヌにとって2001年は、ストラクチャーのしっかりとした良い年とのこと)

 

このドメーヌも1996年よりビオディナミを実践している。キュヴェゾンを木製の大樽で行った後、ピエスで二次発酵と熟成(新樽比率はモンテリーで15−20%)。澱引きはマロラクティックの後と、瓶詰め前の2回。清澄はしない。濾過はKIESELGUHRという微小藻類の化石化した珪酸質の岩を紛状(珪藻土)にしたもので最小限に行う。SO2の使用はここ2年ごく微量なものとなった。テイスティング銘柄は以下。

Blanc

*ブルゴーニュ・ブラン

*リュリィ

*リュリィ プルミエ・クリュ(パーゼルにより樹齢10−80年)

Rouge

*ブルゴーニュ・ルージュ

*リュリィ プルミエ・クリュ

*リュリィ プルミエ・クリュ プレオー(Preaux)(パーゼルにより樹齢15−50年)

*モンテリー(ヴォルネイとの境に位置する)

*モンテリー プルミエ・クリュ スール・ラ・ヴェル(Sur la Velle)(パーゼルにより樹齢20−42年)

 

レモン様の酸が魅力的なブルゴーニュ・ブランや、噛むほどにはじけるような新鮮なフルイ・ルージュを感じるブルゴーニュ・ルージュ、お手本のような硬質の酸とミネラルたっぷりのリュリィ。素直に楽しめるこれらのワインはもちろん素敵だが、やはりこのドメーヌの真骨頂はモンテリー。

ヴォルネイとポマールに隠れがちなこのアペラシオンの裏をついている。つまりヴォルネイとポマールの良いところ取り。特にモンテリー プルミエ・クリュ スール・ラ・ヴェルには、良質のヴォルネイに見られるような繊細で伸びのあるタンニンがあり、近々絹に変わるであろうポテンシャルを十分に持っている。ふんだんに感じられるフルイ・ルージュにはチャーミングなだけではなく、常にしっかりとした土の存在を感じる。旨みを十分に含んだ余韻の長さも頼もしい。最低3−4年は待ってほしい、という彼女の言葉にも頷ける。

モンテリーを知ろうとするのなら、このドメーヌのワインは理想であり、近道でもある。

 

モンテリーの誇り

美しいセラー

彼女自身モンテリーがまだまだ認知度が低いことは認めており、その理由としてモンテリーはあくまでも小さな区画であることと、アペラシオンとして認知されることが遅く、「ヴォルネイの一部」というイメージが今でも拭えていないことを挙げた。

しかし同時にきっぱりとこう言った。

「今以上に、別のアペラシオンを欲しいとは思いません。今持っている区画を表現することが十分に楽しいからです」

 そこであなたにとってモンテリーの本質とは何かを尋ねると一言「フィネス」。

 また、近年の良い年について尋ねると「良い、悪いよりも全ての年が違うからこそ、面白いのではないですか。ただ、今丁度良くなってきたという意味では1993年ですね」

生産者を訪問した時に、毎回尋ねる質問というのが何個かある。当然各生産者の答えは違い、その違いにそれぞれの考え方の違いや個性が出ていて面白い。そして彼女の答えにはパリを出て20年の間に、しっかりモンテリエンヌ(多分こんな言葉は無いと思うが)として、一般的に言う「不作年」でさえ丸ごと包み込むほど、この土地に根付いている人の強さがあり、エトランジェである自分の質問が愚問に感じられたのだ。

 

ビオ仲間

 今回のブルゴーニュ滞在での訪問先を話すと、「あら、ジーブロもギュヨも、ドランもみんな友達よ。色々話し合ったりしているわ」とのこと。そしてビオを中心に廻っているのだったらここもお勧めよ、とラングドック&ルーションの生産者を2軒教えていただいた。

 ビオと言う一つの農業の理想論を方法論に変える時に、当然解釈の違いから流派が生まれるようだ。堂々と権威と言われる人を批判する生産者もいれば、逆に意外な繋がりを発見したりすることもあり(繋がりを知る前から、舌でスタイルの共通性を感じていたこともある)、第三者としては面白い。混在するビオ情報の中で、生産者同士の繋がりを知ることも一つの鍵かもしれない。