SALON 〜Exclusive 一徹な〜

(Mesnil sur Oger 2002.8.7)

 

 サロンはなぜ高いのか?消費者なら誰でも思う疑問のはず。加えてサロンの繊細な味わいは、どうも輸送と相性が非常に悪いように感じられる。セカンド・ワインであるドラモットも然り。並行輸入の「ひねた」ニュアンスのあるサロンに失望した人も多いはずだ。

 しかし断言できる。状態の良いサロンの中に見つけられる要素はそれぞれが精緻の極みで、個々の精緻が時間の経過と共に徐々に一つの方向に向かっていく様を開栓ごとに楽しむことができる、エキサイティングなシャンパンだ。そしてサロンがサロンであるかぎり、安く造ることなど不可能だ。

 

ウジェーヌ・エメ・サロン氏

 

これは1973年以前のラベル

どのシャンパン・メゾンにとっても創始者というのは逸話を持っているだろうが、サロンの創始者ウジェーヌ・エメ・サロン氏にまつわる話はかなり異色と言ってよいだろう。前世紀前半を時代と共に駆け抜けた感がある。

 メニルから15キロほど離れた村に生まれたサロン氏は、両親からの資金援助のみでは何も出来ないと察し、10代後半でパリに出稼ぎに出る。そしてウサギの皮を売って歩いた。美食家で知られるサロンがウサギの皮を売っていたとは少し意外である。そして毛皮商に入社後めきめきと頭角を現し、なんと20歳の時には会社のトップに昇り詰める。普通ならここで毛皮商としての人生を選んでもおかしくはない。だが彼が稀代の美食家であり、彼自身と彼の友人達の舌を満足させるシャンパーニュ造りを夢見たこと、その頃彼の妹がメニル・シュル・オジェ村の男性と結婚しシャルドネの素晴らしさに開眼したこと、そしてシャンパーニュを作るための資金は毛皮商で成した財でまかなえたことで、1911年に史上初のブラン・ド・ブランを世に出すのである。

 間もなく彼の傑出したシャンパーニュは愛好家の間で引く手あまたとなり、1920年にサロンを創立する。現在サロンは自社畑以外にメニルに20のパーセルからブドウを買い入れるが、これらは全て前世紀初頭にサロン氏が自ら選択したものである。

 サロン氏は1943年に没するが、第一次、第二次世界大戦の間を縫って常に究極を求めた彼は、シャンパーニュの歴史にブラン・ド・ブランだけではなく、創造力、アイディア、自由さ(偏狭の裏返しでもある)といった精神的な面でも先駆者として名を残すことになるのである。

 

 

古いミレジムは地下2階の片隅で眠りを貪っている

1928年。最後の抜栓は1999年。

以下にサロン創立以降の、生産年を記載。

1921、1925、1928(サロンに現存する最も古いミレジム。在庫2本)、1934、1937、1942、1943、1946、1948、1949、1951、1953、1955、1956、1959、1961、1964、1966、1969、1971(木樽の使用を廃止)、1973、1976(現在のラベルに変更)、1979、1982、1983、1985、1988、1990。

以下はまだリリースされていないもの

1995、1996、1997。

 

醸造について

 サロン社が1.5haの自社畑とメニルの契約畑で収穫されるシャルドネ100%を用いて、サロンというたった一銘柄を良作年のみ生産することは既に有名だが、醸造に関しては「極端なまでの徹底したシンプルさ」。

 まずミレジメは一般的に他年のブランドが20%まで認められているが、サロンは他年のブレンドを一切行わない。真の意味でミレジメ。そして1次発酵を含む全ての醸造過程で樽を一切使用しない。一次発酵は18−20度という低温発酵をステンレスタンクで行う。また長期の瓶内熟成に耐える美しい酸を残すためにマロラクティックは一切行わない。そして余談だが、サロンのルミアージュは240度くらいまでしか回転させない。これは瓶に刻印された「SALON」の文字に、澱が溜まることを避けるためだ(よって刻印された文字部分が決して下にならないようにルミアージュする)。そしてティラージュ後の熟成は最低でも8年。これもミレジメの法的規制は3年であることを考えると非常に長いことは明瞭だ。ドサージュは7g/L。ブリュットを名乗るにはほぼ最下限である。

 「メニルのシャルドネを表現するためには、ある程度の時間は必要ですが、余計なことは一切行いません」とは今回案内していただいたマリー=アグネ・トーマスさんの言葉。

 妥協のないシンプルとは、勇気と完成された贅沢であり、時間がこれも究極の贅沢であることは言うまでも無い。

 ところでサロンのセラーは美しい。凛、とした荘厳でかつ澄み切った空気がセラーを一杯に満たしている。サロンの規模を考えるとシャンパーニュ・メゾンとしては決して大きなセラーではない。しかし入った瞬間、セラーが放つオーラに鳥肌がたった。セラーの美しさそのものに立ちつくしてしまったのは、これが2回目の経験だ(もう一つのセラーはシャトー・マルゴー)。セラーの風情から既に「サロン」は「サロン」なのだ。

 

テイスティング

 テイスティング・ルームに通され、以下の銘柄を試飲した。

     ドラモット(Delamotte) ブリュット NM(シャルドネ 50%、ピノ・ノワール 30%、ピノ・ムニエ 20%)

     ドラモット ブラン・ド・ブラン NM

     サロン 1990

 サロン 1990年のテイスティング・コメント

  ノワゼットと蒸し上げた栗。アーモンドと白トリフ、凝縮されたアプリコット。口に含むと甲殻類が食べたくなるような非常に旨みのある辛味と、じっくりと熟成されたことを物語る上質の泡の質感が印象的。「にがり塩」のようなミネラルを十分に含んだ心地よい苦味が余韻に長く続く。そして引き際はあくまでもエレガント。

 樽を一切使用せず、このふくらみを表現できることは驚きだ。そして美食家サロン氏が造り始めたシャンパンであることを改めて納得する。完成度の高い旨みのある辛味と苦味を口に含むと、無性に美味しいものが食べたくなる。そしてなぜか皆、饒舌になっていた。

 

 ところで1999年にサロンでは熟成過程を知るために、全てのミレジムを試飲したらしい。現存する最古のミレジムである1928年は、1本目はアウト。そして2本目は非常に色が濃く、マロンやノワゼットを放つ素晴らしいシャンパンだったらしい。しかしグラスの中での命は10分だったそうだ。  

 

Exclusive 一徹な

 サロンを表す言葉はありますか?との問いにマリーさんが少し考えて答えてくれた言葉がExclusive(エクスクリュージヴ:一徹な、妥協しない)」。一つの会社にたった一つの銘柄。究極のモノ・セパージュ。そして良作年のみのリリース。言葉通りの一徹さ。こんなことを出来る生産者が世界中に一体何人いるだろうか?

 サロン社の裏手にある小さな区画は、そこだけぽっかりと何も植えられていなかった。Court―Noue(クール・ヌエ)という古い土からしばしば起こりうるウィルス系の病気(葉の奇形や新枝の異常分岐を引き起こす)に冒されたため、今年の6月にブドウの木を全て抜き取り、今は新しくブドウを植えるために土をならしているそうだ。「サロンに使われるブドウは最低でも25−35年ですから」。つまりこの区画のブドウが再びサロンとして日の目を見るのは熟成期間を考えると、悠に35年以上先のこととなる。創業後まだ100年は経たないサロンだが、ワインに対する考え方は既に100年単位。サロンのExclusiveな姿勢は、今後も悠久の時間と共に貫かれていく。