Domaine Jean TARDY 〜再会!2002年とは?〜

(Vosne−Romanee 2002.10.31)

 

 

 

 ジャン・タルディは2度目の訪問である(参照:生産者巡り「Domaine Jean TARDY 〜次世代の挑戦〜」)。前回案内していただいた3代目のギヨームには最初の訪問の後記事を書くために何度かメールで問い合わせをしていたのだが、私の質問の中には直接彼らのドメーヌとは関係ない事柄も含まれていたにも拘わらず、全てに快く迅速に答えていただいた。そういった事情だけではなく、一タルディ・ファンとして2002年のキュヴェゾンが終わったら真っ先に再度訪問しようと心に決めていたのだ。

 訪問した日は私の前にも来客があったらしく、既に数本の2000年ヴィンテージのワインが開けられていた。ギヨーム、そして初めてお会いするギヨームのお父様であるタルディ2代目ジャン氏もほんのり頬が赤い。2000年を試飲しながらなごやかな雰囲気の中で2002年について彼らの意見を聞くことが出来た。

 

彼らにとっての2002年とは?

 「いやぁ、初めてこんな糖度を見たよ!

今年の収穫と醸造について尋ねると、目と頬をピカピカに輝かせてギヨームが答えた。「糖度だけじゃない、そこに酸もきちんとあるんだ。酵母も実によく働いたし(勿論彼らはブドウ由来の自然酵母に発酵を委ねている)、それに伴って全ての過程が自然に見事に進んでいったんだ!」確かに収穫・醸造期間を通して滞在させていただいたプリュレ・ロックを始め、訪れたニュイ・ボーヌの生産者も特に「2002年の糖度の素晴らしさ」において意見は一致する。その後B.I.V.B(ブルゴーニュ委員会)から公式に発表されたコメントも同様だ。しかしタルディ親子にとっては、例えば最近では最も糖度の高かったあの1999年よりも今年の出来は素晴らしかったようである。

 

 ここで今年のブドウの成長期におけるコート・ド・ニュイの天候を簡単に振り返っておきたい(以下は訪問、またはメールで回答していただいた生産者の声を要約したもの。公式に発表されているものと若干の違いはあるかもしれません)。

 ―ブドウが結実を終え果実の成長著しい6月下旬のニュイは、一気に夏を思わせる快晴が続き、この傾向は7月も続いた。しかし8月に入り天候は不安定で一週間以上晴天が続くことは無く、特に気温の差が激しかった。だが6月から8月にかけて一貫して言えることは「比較的乾燥した夏」であったこと。そして9月に入り上旬はブルゴーニュだけでなくフランス全土に雨(部分的に壊滅的な洪水)が多く降ったが、その後収穫(ニュイの収穫公示日は18日)まで快晴が続いたのに加え、多くの生産者が「頼みの風」と言う涼しい風が吹いた。そして収穫期間中も1、2度短時間にぱらつく程度の雨が降ったくらいで基本的に「穏やかな晴れ」と「冷涼な北風」の均衡は保たれた。―

 

 一方タルディであるが、9月上旬ローヌを大洪水が襲った時に彼の畑の様子を聞いたのだが返ってきた答えは以下だった。

―南フランスでは大損害を与えた雨だったが、ここブルゴーニュでは1週間ほどよく雨が降った後なのにもかかわらず、十分なチャンスのある年だ。畑では全く被害は見られなかったし、ブドウも順調。もし収穫を待てなくなるとしたら、熱によるブドウの腐敗が見られた時だろうが、少しの涼しい風が吹けば、この腐敗も避けられる。

腐敗が見られた他の生産者の畑もあったが、個人的には今のところ全く問題なし。というのも収量を抑えているので、それは風通しの良さにもなり、よって病気も避けられる。

あの雨以来、晴天が続いている。このまま行けば、完璧な収穫を迎えられるだろう(コメントは9/12現在のもの)。―

 

 結果的に言えば暗雲が立ちこめた9月上旬以降、タルディだけでなく全てのニュイの生産者が天へ捧げた祈りを今年は神様が聞き入れてくれたようだ。しかし同時に神様は俗に言う「怠け者」の祈りは却下するようで、正確には「働き者に仕上げのチャンスを与えた」と言った方が良いかもしれない。なぜなら分かりやすい例としては、「比較的乾燥した夏」と言われるにも拘わらず一部の生産者の区画で腐敗果が多く見られたのも事実で(実際アトランダムに畑を見て廻ると同じクリュでも生産者によって歴然とした差があった)、これはエフォイヤージュやヴァンダンジュ・ヴェルトを厳しく行うことによってかなり避けられたことである。

 そこでもう一度タルディに話を戻そう。前回訪問時のレポートでも触れたが新世界でも修行を積んだ若き3代目ギヨーム(25歳。彼のドメーヌへの参画は1997年からである)がまず立ち返ったところは「畑での仕事」である。エブルジュナージュ(芽かき)、エフォイヤージュ、ヴァンダンジュ・ヴェルトを徹底することに加え、剪定法、接ぎ木の選択も試行錯誤を重ねている。これらの目的は言うまでも無く自然の力で凝縮された「最高品質のブドウ」を得ることである。勿論メオ・カミュゼのニュイ・サン・ジョルジュ レ・ブドの古木を70年前に植えたギヨームの祖父ヴィクトールの「良いワインには良い畑仕事ありき」の血統は、2代目のジャンにも引き継がれており、それゆえにメオ・カミュゼは彼らのブドウを買うのだが(*注)、特にヴァンダンジュ・ヴェルト等ブルゴーニュでは比較的新しい作業に関しては、やはり若いギヨームが率先してドメーヌに取り入れたものだろう。そしてその結果として醸造上変化したのがキュヴェゾンの長さだ。以前は平均して約3週間だったが、ギヨームが中心となっている現在はキュヴェによるが約15日―3週間だ。その理由をギヨームは「ブドウの質が上がったから可能なんだ。優れたピノノワールにとって、長過ぎるキュヴェゾン期間は過剰なタンニンやアルコール分の抽出に繋がってしまう」ときっぱりと言った。横でジャン氏が頷いている。その様子にギヨームの仕事をおおらかに認めているジャン氏の寛容さを感じる。

 思うにタルディ親子にとっての2002年が「過去にも稀な素晴らしい糖度」であることは、ギヨームが中心になって重ねた試行錯誤に、天候という神様が初めて微笑んだ(答えを返した)結果なのだ。決して偶然では無い。

 

(*注)現在彼らの素晴らしいワインの殆どが、メオ・カミュゼとの分益小作による契約畑で収穫されたブドウによるものである(メオとの契約条件は、収穫の50%をメオに納めるというもの)。

 

テイスティング

 今回は2000年の既に瓶詰めされたものを中心にテイスティングした。テイスティング銘柄は以下。ギヨーム曰く「2000年は前年の1999年よりより繊細なヴィンテージ。1997年のように評価されることもあるがタンニンの質が最も違うと思う」。

 

ボトル・テイスティング

2000年ヴィンテージ

シャンボール・ミュジニィ

ヴォーヌ・ロマネ

ニュイ・サン・ジョルジュ オー・バ・ド・コンブ

ニュイ・サン・ジョルジュ プルミエ・クリュ レ・ブド

ヴォーヌ・ロマネ プルミエ・クリュ レ・ショーム

 

1992年

クロ・ヴージョ

 

バレル・テイスティング

エシェゾー(2002年が初ヴィンテージ。僅か33aの畑で生産される)

 

 彼らのワインでテロワールの力を感じるのはやはり樹齢の古い2つのニュイ・サン・ジョルジュだが、「ギヨーム」というやる気に溢れた若い生産者らしい特徴を感じるのはシャンボール・ミュジニィだった。

 彼のシャンボール・ミュジニィに真っ先に感じるのは、クレーム・ビュルレ様の親しみやすい厚味と「シャンボールらしからぬ」力強さ。次にふと表情が変わり、「熟成させてください」と言わんばかりに時間がかかりそうな繊細さと余韻が顔を覗かせる。短時間に見せる両極端な要素や顔が良く言えば楽しく、悪く言えば戸惑う。シャンボール・ミュジニィというワインは最もそこに携わる人の「妙」が表現されるワインの一つであると思うが、彼のシャンボール・ミュジニィは一言で言えば表現したいことが多いゆえに力と品のバランスを計り損ねている「フランスのやんちゃ野郎」(もちろん美味しい)。しかしその計り損ねている様子に未来のポテンシャルを感じてしまう。楽しみだ。

 

訪問を終えて

親子揃って。もっと自然な写真もあったのだが、ギヨームに「いつもあなたは写真を撮る時に目を閉じますね」と言うと少し固まってしまった、、、。

 なぜかお父様ジャン氏は直接私に質問しない。私のフランス語を見限られたのか(多分そうだろう)、いつもギヨームに質問する。ワイン関連の質問なのでその内容は私にも理解でき、私が理解していることもギヨームには伝わっているようで「お父さん、直接聞いたら。フランス語だよ(?!)」とギヨームもジャン氏を促すのだが、やはり次の質問もギヨーム経由である。

しかしその質問の内容は、パーカー氏に「笑うのが好きな男」と評されたことや、訪問時にはおおらかなやる気と人懐こさを見せるギヨームとは違い、結構シビアなものであった。シビアな内容を生半可な理解で答えられたくないのは当然だ。そのシビアさにブルゴーニュにおける現実的な厳しさと各ドメーヌの中にあるであろう世代交代のタイミングの難しさもまた、見えたのだった。