Domaine Comte Georges de Vogue 〜通訳者として〜 (Chambolle―Musigny 2002.9.4) |
フランソワ・ミレ氏 |
人を緊張させるフランスワインというものがある。ルロワ然り、ラフィット然り。この緊張感の強い方は、一部のフランス文化と通じるものがあるような気がする。そしてヴォギュエのワインもそうだ。「ヴォギュエのワインを開けましょうか?」と言われたら、まずはなぜか背筋が伸びてしまうのだ。
今回のヴォギュエ訪問で、応対していただいたのはフランソワ・ミレ氏だった。ヴォギュエの醸造責任者である。彼とは初めて会うが、「普通の従業員」とは明らかに違う人であることはすぐに分かるし、「人の良いブルゴーニュの生産者」風でもない。緊張する。セラーに向かいながら静かに尋ねられる。「今日は4種類テイスティングしましょう。シャンボール・ミュジニィ、レザムールズ、ボンヌ・マール、そしてミュジニィです。全て樽に入った2001年のものですが、よろしいですか?」。ああ、喜びよりも更に緊張する。そしてセラーの空気。狭くもないが、広くもないヴォギュエのセラーの何という冷たい圧迫感。人の来訪に顔を上げることもなく働く従業員。「一人で来るんじゃなかった」。真剣にそう思った。ヴォギュエのワインはこの空気の中で育まれているのか。
シャンボール・ミュジニィ 一家 |
試飲に平行して、淡々と説明を続けるミレ氏。
「私はシャンボール・ミュジニィを一つの家族と考えています。ミュジニィは父です。そしてはレザムールズ、この畑を私はグラン・クリュと捕らえていますが、これは母です。この二つのクリュは非常に近い関係です。そして色々とあるプルミエ・クリュは子供達です。では、ボンヌ・マールとは?確かにシャンボール・ミュジニィの同じ丘にあるのですから、他人ではありませんし、遠い親戚でもありません。シャンボール・ミュジニィという、とてもクラシックな家族の中において、実際には家にいない大叔父といったところでしょうか」。
ミュジニィというグラン・クリュのイメージは私にとって女性なのですが、と言うと「他のヴィラージュのグラン・クリュ、例えばシャンベルタンや、クロ・ド・ラ・ロッシュなどと比べれば確かに女性的でしょう。でもシャンボール・ミュジニィという家族の中では、男性です」。そしてこう付け加えた。「シャンボール・ミュジニィというテロワールを説明するのに、最も適切な例はレザムールズです。先ほどレザムールズは母だと言いましたが、レザムールズにはフィネスとエレガンスとの間に、完璧に近いバランスがあるからです。ミュジニィももちろん適切な例になります。ただ、ミュジニィはレザムールズよりもより重く、ボディがしっかりしているので、レザムールズよりフィネスと強さ、エレガンスの組み合わせがわかりにくいのです」。
パラドックスに溢れたワイン、ミュジニィ |
試飲はボンヌ・マールにさしかかっていた。
「この色を見てください。黒みがかっているでしょう。ボンヌ・マールは土壌が他のワインと全く違います。泥灰岩がより多いのですが、これがワインに野性味や豊かな表情を与えます」。
そして試飲は最後のワイン、ミュジニィに。純粋なスミレとまだ蕾のバラの香りが、他のワインより一オクターブ高いトーンでグラスからまっすぐに上がってくる。グラスを1、2回軽く回すと、それらの花の香りが少し暖かみのあるものに変わり、押しつぶされていない様々な赤・黒系果実が花の香りを追いかける。口に含むとミュジニィはマロラクティック発酵が最後に終わったキュヴェというだけあり、はねるような酸味があるがまだ落ち着かないこの酸味すら心地よい。酸味に隠れがちだが、立体的な甘さもある。そして余韻のエレガントな長さは、あるレベル以上のワインでしか出会えないものだ。
私にとってヴォギュエのミュジニィとは、出会う度に違う顔を持ちながらも別れ際にはこっそりと「私はヴォギュエのミュジニィですよ」と言って優雅に去っていくイメージのワインなのだと言うと、ミレ氏は「その意見は同意できます。ミュジニィはいつも何か秘密を隠しているのですが、私はその秘密が嫌いではありません。常にパラドックスに溢れたワインと言えるでしょう。一方ボンヌ・マールは非常にダイレクトに喜びをくれる。微塵も秘密がありません」
彼の言葉に応えるようにグラスの中のミュジニィが、少し嬉しそうに微笑んだような気がした。まだ完成されていない現時点で既に、こっそり後を付けたくなるような不思議な魅力の片鱗が見え隠れする。
通訳者として |
ある種の人と話していると、自分の馬鹿さが嫌になる時がある。自分の発する質問は全て愚問に思えてくる。ミレ氏もまさにそのタイプの人で、この日ほど自分のフランス語の拙さを恥じたことは無かった(しかも緊張の余り、数少ないフランス語すら出てこないのだ!)。以下は私の質問に対する、ミレ氏の答えである。
Q:あなたにとっての2001年の特徴とは?
ミレジムの性格を決定していくのは、醸造上は今からなので断定は出来ないが、このままミレジムの持つ意志に任せて自然な醸造を続けていけば、ワインにエネルギーや骨格を与える酸と、熟した新鮮な果物の甘さのコントラストがはっきりした年になるのではないでしょうか。
現時点でワインが進む方向を故意に決定付けてしまうと、豊満なワインは作れますが、エレガンスは損なわれるでしょう。しかし故意な決定付けは私達にとって関心はありません。その年々の性格は自然な醸造の結果です。だから難しいのですが。
Q:(醸造についての質問の途中で)SO2については?
もちろん多く使うことはありませんが、それ以前にSO2の使用量をはじめ、醸造にはルセットなど無いのです。なぜか?醸造するということは私にとって、まずはテロワールから来る、ブドウの気持ちを理解すること。毎年変わるブドウの気持ちを理解することは、この仕事の難しいところですが、理解しワインとなるための手助けをする。この仕事はいわばテロワールとブドウの通訳者のようなものです。
Q:ではあなたにとって、特に印象の強かったミレジムというのはあるのでしょうか?
毎年興味深いからこそグラン・クリュであり、優れたテロワールであるのでは?私にとってはどの年も非常に興味深いです。
Q:日本でもヴォギュエのワインはとても人気なのですが、日本のヴォギュエ・ファンに何かメッセージはありますか?
それは私が語ることではありません。ワインが語ってくれるでしょう。
淡々としたミレ氏のペースは最後まで乱れることなく、よって私の緊張も最後まで解けなかった。そして完璧な美が生み出されるためにはこの空気が必要なのだと感じずにはいれなかった。
しかしミュジニィの試飲では職業的な試飲を終えた後、私は周りの空気を一瞬忘れて「堪能する」ことに没頭した。早かろうが美味しいものは美味しいし、楽しみたい。吐き出すには惜しすぎた。飲んでしまいました、とミレ氏に言うと、「見ていましたよ」。この時ミレ氏は少し愉快そうに微笑んでいた。