10/21〜25 
〜ボルドーから、バスク地方へ!〜

 

今回のORGANISATEUR

 グラン・クリュ・クラブの須藤氏が全てアレンジ。ラクだーーー!

 

今回のチーム・デギュスタシオン

 エア・フランスのソムリエール2人と、須藤氏、私の計4人。

 

今回のスケジュール

10/21

サンテミリオン着

GRACIA

Chateau CANON La GAFFELIERE

10/22

(私はこの日より合流)

BORD d‘EAUで昼食

15:00 Chateau FONTENIL

16:30 Chateau MOULIN HAUT−LAROQUE

SAVOIEで夕食

10/23

9:30 Chateau LAFONT−ROCHET

11:00 Chateau MONTROSE

Le Saint−JULIENで昼食

ビアリッツに移動

10/24

PECOITZで昼食(南西地方、イルーレギーの近く)

15:00 Domaine ETXEGARAYA

16:30 Domaine ILARRIA

PLAISIR des METSで夕食

ビアリッツのカジノへ

10/25

10:00 Les VIGNERONS du PAYS BASQUE

11:00 Domaine BRANA

帰パリ

(太字のドメーヌは「生産者巡り」のコーナーで報告する予定です)

 今回、個人的に最も楽しみにしていたのはズバリSud−Ouest(南西地方)!しかも滞在先は大西洋岸最大のリゾート地、ビアリッツ!そして訪問するドメーヌは全てイルーレギーなのだ。「明日のドメーヌ」と出会えそうで、どきどきするではないか!!!

 

IROULEGUY(イルーレギー)

この地で最もよく見られる赤色砂岩。

 日本で「IROULEGUY(イルーレギー)」の名前を知ったのは、ワインアドバイザーの資格試験勉強時だ。フランスでロワール地方と共に暗記で苦労したのが南西地方だったのだが、イルーレギーは南西地方の中でも最もスペイン寄り、かつ他のアペラシオンとは少し離れていたので(団子状にひっついているアペラシオンは覚えにくいのだ!)この地方の中では覚えやすく好印象(?)のアペラシオンだった。ただ当時は数多くの「飲んだこともなく、試験のために覚えただけ」のアペラシオンの一つとして終わっていた。

 しかしこのアペラシオンが渡仏後身近なものに変わってきた。というのもパリのワインショップでイルーレギーをブラインド・テイスティングで出されたのだ。「イノシシ食べたい。粗野だが◎」という簡単なテイスティング・コメントを残しながらも「イルーレギーなんて分かるわけがない」と、この時はまだ深く知ることから逃げていた。だが今年7月にシャンパーニュのジャック・セロスを訪問した際、アンセルム・セロス氏が「Domaine ARRETXEAのイルーレギーは僕が今最も評価している赤」と言い放ち、俄然「知らなければ」に変わったのだ。

 

 イルーレギーへのアクセスは、遠かった。ボルドーを車で南下すること2時間、大西洋岸のリゾート地ビアリッツに到着。ビアリッツを拠点にさらに車で1時間、ST−JEAN−PIED−De―PORT(サン・ジャン・ピエ・ド・ポー)という町を目指して南下する。ビアリッツを越えたあたりから道路標識が見慣れないバスク語との並記になる。風景も今まで見てきたワイン産地とは全く違う。同行者の一人、須藤氏は北海道出身なのだが彼曰く「北海道みたいだな」。彼の言葉を聞くまでもなく、私も一度だけ10日間ほど旅して廻った北海道を思い出していた。「Route de Fromages(チーズ街道)」の表示が見え、まず目に入るのは牛、羊。眼前に迫り来るのは赤い山肌と、その間を縫うようにしてある緑の牧草地と段々状のブドウ畑(最初は見慣れない畑なのでブドウ畑とは分からなかった)。その風情はどこかしら梅原龍三郎の絵画によく似ている。

 サン・ジャン・ピエ・ド・ポーにある「PECOITZ」というレストランで昼食を取った時のことだ。このレストランは2002年版の「Le Guide Rouge(ミシュラン赤本)」で「郷土料理を食べさせる、眺めの良いレストラン」と紹介されている。メニュウは確かに郷土料理(昼の29ユーロのメニュウは「肉3段責め」だ。しかもその肉がイノシシ、プロンブと呼ばれるこの地の野鳩等。濃すぎる!)。しかし最も印象的だったのがワインリスト。ブルゴーニュの欄には堂々と「コート・デュ・ローヌ」が、ボルドーの欄には南西地方の「モンバジャック」が載っている。「ガロンヌ河より向こうのことは知ったこっちゃないさ」と言う感じで、なかなか面白い。そしてこの日は昼から60人はいると思われる老人達の会食が行われていた。こんな場所にいる東洋人が珍しいのか視線が刺さる。彼らの会食は延々と続き、後半はとにかく歌う、歌う。聞いていても何語の歌なのか分からない。ああ、ここはやはりバスクなのだ。こんな私にとっては新しい土地で、新しい人達とワイン達に出会わないわけがない!

 

今回実際出会った人達はアルザスと共通する「国境で揺れ動いた歴史」を感じさせる空気を持っていることが多かった。距離感が違い、微妙な排他感をそこに感じるのだ。しかし当初期待していた「明日のドメーヌ」とも会うことが出来た。このドメーヌは「生産者巡り」のコーナーで紹介したい。

 

羊、牧草、ワイン畑、赤土。

モーッ!

ドメーヌ・ブラナのワイン畑からイルーレギーの町を望む。向こうに見える山は勿論ピレネー山脈。山脈の向こうはスペインだ。

 

今回の訪問先より、小さなニュース

 

Chateau FONTENIL 〜ミシェル・ロランがインドでワインをプロデュース?!〜

 フロンサックの名前を世に知らしめたワインを考える時、シャトー・フォントニルは必ず名前の挙がるワインではないだろうか?1986年、かのミシェル・ロラン氏と奥様が始めたシャトーである。今回の訪問目的はビニールシートで畑を覆った為、INAOからフロンサックを名乗ることを取り消された「Le Defi de FONTENIL(フォントニルの挑戦)」の2000年と、まだ樽に入っている2001年の試飲だ。

 今回案内していただいたのはロラン氏の娘さん。ロラン氏はニューヨークのVINEXPOに出かけているため不在だった(なんとたった3日間のとんぼ返りだそうだ)。醸造上の説明の後、試飲が始まる。「Le Defi」のボトルがテーブルに置かれているのを見た瞬間、皆の目にいたずらっ子のような輝きが見える。そこで単刀直入に「ビニールシート」について聞いてみることにした。

 

これがル・デフィのラベル。6月瓶詰め。 

―ビニールシートで覆うことによって、実際どのような違いがあるのでしょう?

「区画によってより水を必要とする区画と、そうではない区画があります。2000年ですが、振り返ると収穫においては大雨も降らず楽天的な年でしたが、大雨に対する用心として一部の区画をシートで覆いました。対して2001年はシートで覆った区画の方がより甘いブドウが収穫されました。難しい年といわれた今年ですが9月の太陽に救われた年で、今年はビニールシートを利用していません」

―他にビニールシートを利用しているところもあると思うのですが?

「勿論あります」

―ではなぜ問題にならないのですか?

「INAOにとって私達の所は見つけやすいのでしょうね(笑)。『あそこはビニールシートで覆っているぞ』という噂がINAOに届くと彼らはやってきますね」

  

 そして実際試飲してみた。「ル・デフィ」と通常の「フォントニル」は新樽の比率(前者が100%なのに対し、後者は50%)・セパージュが違うので(デフィはメルロー100%)、違いがあるのは当然だが、何よりもはっきりと違うのは「余韻の強さ」。フランスの色々な優れた生産者と会った時、彼らの口から何度も聞くのは「ボディは技術で造ることは出来ても、余韻を造り出すことは出来ません」という言葉。そして個人的には優れたフランスワインの持つ「余韻=品のあるニュアンス」に翻弄されているのだ。確かにフォントニルは一部「自然派」が眉をひそめる醸造技術も用いているし、1週間前までプリュレ・ロックという偉大なビオワインを飲み続けてきた舌にとっては、正直言ってかなり負担でもあった。しかしカフェとココア、煮詰めたプルーンなどが細かく重厚に最後まで駆け抜けていく姿は、優雅さには欠けても文句無しに「力強く、元気」。この元気さはシートや醸造技術だけで造り出せるものではない。

 

 ところで今回の「チーム・デギュスタシオン」の一人が先日ヒマラヤ登山に行った時に、インドで「ミシェル・ロラン プロデュース」と明記されたワインを見つけたと言うのだ。その話を聞いた時には大胆な同姓同名かと思っていたが、尋ねてみると答えは「ウイ」。意外な答えに驚く余り、肝心のワインの名前や、地域、プロデュースを始めたミレジムなどをすっかり聞き忘れてしまったが、そのワインは国内消費用のカベルネ・ソーヴィニヨンであるらしい。そしてそのカベルネ・ソーヴィニヨンは元来インドに植えられていたものらしいが、ロラン氏がプロデュースを依頼された当初はなんと「二毛作」。そこで彼の最初の仕事は「一毛作」の指導から始まったらしい。インドに行く予定のあるワイン好きな方、もし見つけたら試す価値はあるかも?

  

Chateau LAFONT−ROCHET 〜若きメートル・ド・シェ〜

 

ラフォンの地図。緑の区画はカベルネ・ソーヴィニヨン、赤の区画がメルロー。 今年の3月にメートル・ド・シェに就任した若きフレデリック・ルノー氏。手前にあるボトルは2000年よりエティケットが変わったラフォン・ロシェ。シャトーと同じ鮮やかな黄色である。

ラフォン・ロシェ。「外さないサンテステフ」という少しお堅いイメージが強かったのだが、まだ緑を残す畑の中で鮮やかな黄色のシャトーがあり、それがラフォン・ロシェだと教えられ意外。そして出迎えてくれたのはお兄さん。「僕がメートル・ド・シェです」と自己紹介され、余りにも若いので驚いた。醸造所では研修中の若い中国人女性を始め、皆がルモンタージュの作業などをきびきびと行っている。少しラフォン・ロシェのイメージが変わる。 醸造についてはボルドーの伝統的手法に極めて忠実で、特に今更私がここで書くこともないだろう。人為的な果汁の濃縮なども行っていない。

試飲は2000年、1999年、1996年。パーカーに「最高のお値打ち品」と評された1996年を始め、それぞれに評価の高いミレジムのプティ・ヴァーティカル試飲である。

3つのミレジムを試飲して、どれも予想以上に全く違う個性があることが印象的だった。個人的にはミルクのような細やかで豊かなタンニンを持つ1996年が特に良かった。このミルクのようなタンニンはカシスの甘さや、将来スーボアやキノコに変化して行くであろうしっとりとした植物のニュアンスと上品に融合しており、余韻もしみじみと長く続く。しかし決して地味では無い。流行の濃さではない凝縮した旨みがあり、好きなボルドーのタイプだ。

ところでラフォン・ロシェは2000年ミレジムよりエティケットが変わった。新しいエティケットはシャトーの壁の色と同じ、柔らかく鮮やかな黄色である。今日試飲したワインの印象や、シャトーで働く若い人達のことを考えると、ラフォン・ロシェにはこの新しいエティケットの方が断然似合っているように思われた。

 

 

 

Chateau MONTROSE 〜フィネスの2001年〜

 

ルモンタージュとデキュヴァージュの真っ最中。

セラー

ジロンド河より800メートルしか離れていないという、河の側ゆえの恵まれた気候条件とテロワール、畑の仕事はリュット・レゾネ、醸造だけでなくワインの流通も完全に伝統的ボルドー。モンローズについても諸データは今更私が書く必要は無いだろう。

 今回訪れた時には、パーセル毎に一次発酵とルモンタージュ、一部のキュベのデキュヴァージュが行われていた(河のもたらす温暖さのお陰で、モンローズは他のシャトーより収穫が早い。今年は9/30スタートだったが、昨年は今年より1週間早かったそうだ)。ニュースと言うには古い話になるが、2000年から全てのパーセルの一次発酵はステンレス・キューヴで行われている。1999年まで使用していた木製の大樽は、今は展示用のものとしてシャトーに残されている。味の変化について尋ねると「特に問題無し。そして作業は以前よりスムーズ」との答えだった。個人的にはステンレスと木製の樽で一次発酵させたものを飲み比べてみたら、何らかの違いはあるのでは?と想像するのだが。

 試飲は2001年のラ・ダーム・モンローズと、モンローズ。モンローズの土壌についてだが、表土はピレネー山脈と中央山脈由来の大きな石と黒砂で、60−70cmから3−4mはこれらの石と鉄分を多く含んだ砂利となる。そしてその下層は粘土泥灰だ。これらの土壌のせいか、いつになく繊細な印象を受ける2001年のモンローズに真っ先に感じるのは、ミネラル。次に上品な樽由来のカフェ香。セカンドであるラ・ダームとの決定的な違いは果実の純度の高さと、酸やタンニンのレベルの高さだ。今回案内していただいた管理人のラギュアリギュ氏曰く、「2001年はフィネスに溢れたミレジムです。そしてよくポイヤックやサン・ジュリアンの名だたるシャトーと比較されるモンローズですが、サンテステフのカベルネ・ソーヴィニヨンはそれらよりもより優しく感じられると思いませんか?」。

 確かに彼の言葉に頷ける要素が、2001年のモンローズには見つけやすい。そして緻密なのに重くない。頑強で濃縮されたモンローズを求める人達にとっては少々物足りないミレジムに思われるかもしれないが、個人的にはモンローズの新たな姿を見ることが出来たようで嬉しいミレジムだった。そしてシャトーの風情から始まりテイスティングに至るまで、「モンローズ」というシャトーの素性の良さを改めて感じたのだった。

Domaine ETXEGARAYA(エトシャガラヤ) 〜樹齢150年のLEHENGOAとは?〜

ドメーヌの前の段々畑。この畑はカベルネ・フラン。

 今回のイルーレギー訪問はエトシャガラヤで始まった。とにかくイルーレギーについての知識が無いのでベタンに載っている「そそられるドメーヌ」を選んだのだ。そしてエトシャガラヤに関するベタンの記述を要約すると以下だ。

―1994年に協同組合から独立。最初はイルーレギーに良くありがちな少々いかめしいものだったが、徐々にまろやかさを帯びてきた。特にこのドメーヌのプレステージ・キュヴェである樹齢100年以上のブドウから造られるLEHENGOAはここ数年でヴィロードのようなテクスチュアと、馥郁とした果実味に溢れている。

価格:LEHENGOA 2000  45F(約800円)―

この記述がそそられずにいられるだろうか?

 

 そのエトシャガラヤは、イルーレギーの村の丁度中腹あたりにあった。栽培面積7Ha(タナ50%、カベルネ・フラン30%、カベルネ・ソーヴィニヨン20%)の小規模な生産者である。ドメーヌの周囲を囲むようにある畑はイルーレギーの特徴でもある赤色砂岩が主体で、所々赤い土肌が剥き出しになっている。今年の収穫は例年より少し遅めの10月8日から始まり、私達が訪れた時には1次発酵の仕込みが終盤にさしかかる頃で、案内していただいたマダムも少々お疲れのように見える。

 ところでお目当てのLEHENGOAだが、樹齢はなんと100年以上どころか150年近いそうである。ブドウの木の消耗を考えると古ければ良いというものでもないが、150年近くブドウの木と土が健康であるということがまずは驚きである(畑の仕事はリュット・レゾネを採用)。そして今回は2000年をテイスティングさせていただいた。

 真っ先に感じるのは鉄(思わず昼食で頂いたプロンブという野鳩の一種と頭の中でマリアージュ)と力強さ。そしてこの鉄のニュアンスは後半フロマージュのピラミッドに似た「灰」に変化していく。そして予想以上にしっかりとした酸に驚かされる。単純なワインではないが、ベタンに書いているような「馥郁とした果実味」や樹齢による深みは現時点で個人的には感じられず、決して豊満なタイプでもない。タンニン自体には滑らかな甘さを感じる(今回の滞在中イルーレギーを試飲して最も感じた他のアペラシオンとの違いは「タンニンの質」)。しかしこのタンニンはワインだけで飲むのには強すぎ(鉄分たっぷりの赤い肉か、熟成した油を持った生ハムを食べたーい!という生理的欲求を生むタンニンなのだ)、タンニンの熟成を待つのにはワインの値段が安すぎる(生産者、消費者ともに現在のところ「熟成」したイルーレギーに必要性を感じていないように見えた)。この色々な顔を持つタンニンに、果実味などの様々な要素が寄り添ってきた時に、本当の驚きが生まれるのではないだろうか?まずはこのワインの数年後の姿を見てみたい。そう思わせるワインだった。

 

Les VIGNERONS du PAYS BASQUE 〜イルーレーギーの協同組合〜

 「イルーレギーに行く」と知り合いのワインショップの人に言ったら「とりあえず、協同組合には行っておきなさい」とのことだった。

 「レ・ヴィニョロン・デュ・ペイ・バスク」は130Haに現在42の生産者と一人のエノローグを抱える、イルーレーギー最大規模の協同組合だ。1961年にDomaine de MIGNABERRY(ミニャベリー)を発足させたのを皮切りに、1970年イルーレギーがアペラシオンに昇格後も、畑・醸造の両面においてイルーレギーの品質向上に貢献し続けている。ショップも兼ねた組合はSaint−Etienne−de―Baigorryという小さな村に位置し、ここで試飲しながら直接ワインを買うことが出来る。

 今回案内していただいたのは、ディレクターのグザビエ・ピエール氏。試飲したワインは以下だ。

 

このカウンターで誰でも試飲することが出来る。勿論その場でワインも買える。

白:

Anderena 2000

Xuri d‘ANSA 2001

ロゼ:

Dom.Les Terrasses de l‘Arradoy 2001

Argi d‘ANSA 2001

赤:

Premia 2001

Gorri d‘ANSA 2000

Dom.Les Terrasses de l‘Arradoy 2000

Domaine de MIGNABERRY 1999,2000

Omenaldi 1999,1998

 

 今回試飲した11のワインのうち、9つはSalon International de l‘Agriculture(パリで毎年行われる国際農業見本市)などで何らかの賞を受賞しているようだ。

 この中で印象的だったのは赤のOmenaldi 1999,1998だ(2000年、2001年の2年連続Salon International de l‘Agriculture銀賞受賞)。タナ60%、カベルネ・フラン30%、カベルネ・ソーヴィニヨン10%、樫樽で熟成させるこのワインは、カシスの甘味とタンニンの辛味がバランス良くまとまっており、スペインワインを思わせる滑らかさの片鱗がある。ただ今飲むのにはやはり早い。タンニンの質が圧倒的に固いのだ。グザビエ氏も6年から8年後が飲み頃で、10年は持つだろうとアドヴァイスしてくれるのだが、古いミレジムのストックは無いようだ。実際現地のレストランなどでもイルーレギーの古いミレジムを見つけることは困難で、熟成のポテンシャルを持つこのワインを、誰も待たずして飲んでしまっていることは少し惜しい気もする。ちなみにショップでの価格は10,5ユーロ。

 とにかくここでは色々なスタイルのイルーレギーを、セパージュや土壌がワインに与える性格の説明などを聞きながらゆっくりと試飲することが出来るので、イルーレギー初心者としては抑えておきたい場所である。