11/17〜22

〜優雅なパーティ、そして怒濤のシラー三昧へ!!!〜

 

 

今回のORGANISATEUR

 ホテル、レストラン、移動手段の手配は全てグラン・クリュ・クラブの須藤氏が、生産者とのアポイントは参加者の希望を聞きながら私が手配。

 

今回のチーム・デギュスタシオン

 途中入れ替わりがあったが、アカデミー・デュ・ヴァン東京校の先生一人、エア・フランスのソムリエール3人、アルザスで研修中のケンさん、グラン・クリュ・クラブ主催の須藤氏、そして私の計7名。

 

今回のスケジュール

11/17

午後パリ発

サン・トーバン泊

11/18

12h00   Paulee de Meursault(ポーレ・ド・ムルソー)の昼食会

ヴィエンヌ(北部ローヌ)に移動

Cloitreにて夕食

ヴィエンヌ泊  

11/19

ディクサン・プロヴァンスに移動

11h00   Chateau SIMONE訪問

15h00   Domaine PEGAU訪問

ヴァランス(北部ローヌ)に移動

Auberge du PIN(PICのセカンド) にて夕食

ヴァランス泊  

11/20

10h30   Thierry ALLEMEND訪問

14h00  Robert Michel訪問

17h00   Domaine COMBIER訪問

ヴィエンヌに移動

Sauveurs du Marcheにて夕食

ヴィエンヌ泊  

11/21

この日はヴァン・ド・ヴィエンヌ3兄弟!

10h00   Domaine Pierre GAILLARD訪問

15h00   Domaine Francois VILLARD訪問

17h00   Domaine Yves CUILLERON訪問

ホテル(Claire Fontaine1つ星)にて夕食

ヴィエンヌ泊

11/22

10h00   Domaine GANGLOFF→トラックのストのニュースが流れ、帰路を急ぐことになり訪問キャンセル。

ブルゴーニュへ移動

PERARDELで買い物(勿論ワイン)

13h00   Aux Vendangesで昼食

帰パリ

19h00  ワイン会(テーマ:Vieux Millesime)

 

昼食の一コマ。

 秋。ブルゴーニュからローヌに抜ける。この二つが意味するものはずばり「ジビエを求めて美食の旅」。しかも今回はポーレ・ド・ムルソーという、例の「ブルゴーニュ 栄光の3日間」の一つである昼食会にも参加できることになった。

2日目1時前に始まったポーレ・ド・ムルソーの素晴らしい昼食会が終わったのは(というより切り上げたのは)夕方の6時過ぎ。そして翌日からは昼からイノシシ、夜は鹿、更にその翌日の試飲は朝からシラー。最終日まで駆け抜ける(?)為にセーヴしようと試みるのだが、メニュウを見ると沸々とチャレンジャー魂が湧いてきて、フランスの諺「食欲は食べているうちに湧いてくる」の言葉通り食べ始めると食べられてしまう。「お腹いっぱい」「シラーはもういい!」なんて言いながら「やっぱりフロマージュとデセールは別腹」「打ち止めは食後酒」と結果的に食べている。そしてジビエ三昧の夕食とは違うラクレット(なぜコルナスの小さなレストランでサヴォア料理が出るのか?)なんかが昼食に出ると、「違う味はまた食べられるのよね」とまたもや旺盛に食べている。クラレットは決して軽い料理ではないのだが、、、。ああ、恐ろしい。

最終日を終え、帰宅した時にあるのは軽い達成感。最後まで力一杯よく食べた!そして体重計にはいまだ乗ることが出来ないでいる。年末の一時帰国までにどう調整したらよいものか。けれど帰国したら日本食が美味しくて、また食べちゃうんだろうなぁ。グルメな旅は楽しくも少々哀しい。

 

ストライキ

 生産者巡りをしていて、というよりフランスに住んでいて泣かされるのがヴァカンスとスト。前者はまだ予測がつき、自分がそれを享受する機会もあるので「泣かされる」と言うほどのものではないかもしれない。しかし後者「スト」だけはどうしようもない。突発的にあらゆる職業の人達が全くよくごね(?)、そのごね方は日本のストのように「とりあえず1日意思表示して、ハイ終わり」といったカワイイものでは無い。「電車を動かさない」と言ったら本当に1ヶ月近く地下鉄からバスまで動かない時もあるし、殆どのストに何らかの影響を受ける。

 そして今回の生産者巡りで引っかかってしまったのが「トラック運転手のスト」と「農民によるスト」である。前者は労働条件の改善を主張し、ストの手段としては「トラックで高速を封鎖する、ガソリンスタンドを閉鎖する」などがある。一方後者はスペイン産などの安い農産物の規制を政府に求めるもので、ストの手段としては「スーパーなどに搬入しに来たトラックを妨害し、搬入荷を引きずり出し、時に火を付ける(!)」というもので、両者ともストの手段としてはかなり荒々しい(というか農民が農作物に火を付ける、という行為は個人的には信じがたく悲しい)。

 パリに戻る前日に「スト決行か?」のニュースが流れた瞬間、私達はスケジュール変更を余儀なくされた。万が一最終日の午前中にでも決行された時にはとてもじゃないがローヌからパリまでその日のうちに帰ることが出来るとは思えないからだ。泣く泣く最終日のアポイントをキャンセルし、一路パリに戻ることに。パリに帰る朝、ヴィエンヌの町で「最悪に備えて」ガソリンを補充しておこうとガソリン・スタンドに行くと、既にそこには長蛇の列が。

その列を見ていると日常フランスで生活する上で避けては通れない「行列を作る」という行為を思い出した。日本で行列を作る、ということはラーメン屋やブティック開店など待った結果お楽しみが得られる行為であることが比較的多いように思われるが(それでも個人的に「並ぶ」という行為は大の苦手だ)、こちらでは郵便局や駅の切符コーナーなど待っても全く楽しみが得られない公共機関で、本当によく待たされる。そしてフランス人が意外に忍耐強い民族であることに驚かされるのだ。

今回結果的には農民のストは見送られ、トラックのストは週明けに一部で決行されたので私達の帰路に支障は無かった。生産者とのアポイントをキャンセルする必要も無かっただろう。しかし最悪の事態に備えて行動しないと、日本人の想像を超えた飛んでもない泣きを見ることが多いのも、この国の一つの側面なのだ。

 

またもや、洪水、、、

シャトーヌフ・デュ・パープの小さな町のど真ん中。パリとは比べものにならない光の質。この天気が続いて欲しいのだが、、、。

 

 出発前の16、17日にかけて欧州各地を襲った暴風雨でヴォークリューズ県(主要な町:オランジュ、アヴィニョン)が再び家屋浸水などの被害に見舞われた。ローヌ河は増水し、特にアヴィニョン橋下の水位は通常より1.9mの大増幅で、約600軒で住民が避難を余儀なくされたらしい。確かにヴァランス(北ローヌ)を南下し始めた時から高速から見えるローヌ河は明らかに水位が高く、そして南下を続けるに従って完全に水に浸かった木々や、今や何だったかわからない水田状の畑が増え、誰の目から見ても異常な事態であることがすぐにわかる。しかしシャトーヌフ・デュ・パープの小さな町に着いた時には、冬に適応した肌が微かに焼けるのを感じるほどの光、光、光。パリはまるでドイツのような天気だというのに、この小さな町では半袖の人すら見かける。一瞬事態の深刻さを忘れていたのだが、、、。

 パリに帰った週明け25日、またもやテレビで信じがたい光景を見た。9月の大洪水に始まり、最近の容赦ない雨は土壌の許容量を超えたようで、ヴォークリューズ県の一部で鉄砲水を引き起こしたのだ。従って低地はまた浸水の被害に見舞われており、しかも25日のフランス南東部は雨である。

 インターネットで南東部の洪水事情を検索してみると、過去にも多々発生していたことに驚かされる。洪水対策の規模が全く追いついていないのだ。今回は続報を書かずに済むことを願ってやまない。

 

 
シャトーヌフ・デュ・パープ「法王の新しい城」の跡より、シャトーヌフ・デュ・パープの小さな町とローヌ河を見下ろす。