10/15〜16

〜フランス・チャンピオン!〜

 



 

今回のORGANISATEUR

 

私個人で。

 

今回のチーム・デギュスタシオン

 

私一人。

 

今回のスケジュール

 

10/21

パリ発

14:00 Domaine Henri GOUGES訪問

16:00 Domaine Prieure ROCH訪問

ジュヴレイ・シャンベルタン泊

10/22

Domaine Claude DUGAT訪問(終日)

ジュヴレイ・シャンベルタン泊

10/23

Domaine Meo−CAMUZET訪問

帰パリ

 

 この週に入りフランス全土は急激に冷え込みはじめ、とうとう天気予報のテレビ画面でフランス北東部に「最低気温0℃」の表示を目にするほどに。これはこの季節にしては寒すぎる。

 5月下旬、以降酷暑の兆しを見せ始めた頃から既に耳タコ状態の「この季節にしては暑すぎる(寒すぎる)」のセリフ。「地球規模の環境問題」に関してはごく普通の感覚しか持っていない私のような人間でも、一抹の不安を感じる今年の天候の推移である。

 そうして到着したコート・ド・ニュイも早朝の冷え込みはやはり厳しく、22日の朝には今秋3度目であるという霜が降りていた。日が昇ると何となくポカポカしてくるものの風は冷たく、終日畑に入っていると手袋が恋しくなる。つい2ヶ月前には水着同然の姿で収穫作業に参加していたことが嘘のようだ。そしてパリに戻った翌朝(24日)は、最低気温は0℃(最高気温7℃)を記録。このまま冬に突入してしまうのであろうか?少しは「秋」を楽しみたいのであるのだが。

 

フランス・チャンピオン!

 

 代々ワイン家系でも現当主の経歴を伺うと、意外な人生を歩んでいることに驚かされることがある。私が今までの訪れた数少ない生産者の中で波瀾万丈度(?)No.1は、やはりサンセールのディディエ・ダグノー氏。父親に反発し村を一旦飛び出た彼は、モトクロス・レーサーとして各国を転戦。再びワイン生産者としての道を選んだ彼の最近の趣味は犬ぞりレース(ドメーヌに行くと、ソリ犬が待機している)である。しかし趣味をも半端に終わらせないところが彼の凄いところで、1995年には見事にフランス・チャンピオンの座に輝いている(一体いつ、どこで練習するのであろう?)。

 しかしまた一人、意外なチャンピオンが身近にいたのである。その意外なチャンピオンとは私が畑仕事のレポートのために毎月訪れているクロード・デュガ氏。デュガ氏がかつてパリとジュヴレイ・シャンベルタンで消防士として勤務していたことは以前から聞いており(火事現場でデュガ氏に救出されたら、火事も忘れて舞い上がってしまいそうである)、そしてこの仕事は洋の東西を問わず日々の鍛錬を必要とするものである。そこでその「日々の鍛錬」から生まれた競技が消防士間であるらしいのだが、その一つが「棒上り」。デュガ氏はなんとこの種目で過去に3度(!)、フランス・チャンピオンの座に着いていたのである!

 この「棒上り」、名前の地味な印象とは裏腹に、かなりハードな種目である。ルールはシンプルで「腕の力のみで5メートルの棒をいかに早く登るか」なのだが、つまり足を一切使えないように床にまっすぐ足を伸ばして座った状態で(脚部と腹部が直角の姿勢)でスタート、そのまま一気に登り切らなければならないのだ。腕力も必要だが、腹筋力が無い者(もちろん肥満は御法度であろう)にもかなりきつそうな種目である。

 また競技者の選出方法であるが、フランスを15の地区に分け(デュガ氏の場合はブルゴーニュ全域と、フランシュ・コンテ県に所属)、まず競技者はこの地区予選で優勝しなければならず、その後晴れて全国大会へ出場することとなる。

 後日ジュヴレイ・シャンベルタンの他の生産者と「デュガ氏がチャンピオン」の話題が出たのだが、彼も当然のようにそのことを知っているどころか、この競技がいかにハードであるかを、ジェスチャーを交えながら説明してくれた。考えてみれば人口3000人強の自分たちの村に、全国チャンピオンがいるのである。有名なはずだ。

う〜ん、デュガ氏は消防士界でもトップに立つ人だったのか(ちなみに長男ベルトランさん、長女ラティシャさんはロック・クライミング愛好家。ハードな畑仕事の裏には、腕力とストイックな肉体ありき、の家系なのである)!脱帽。

 

森散歩のすすめ

 

石灰岩から出てきた貝の化石。5cmほどの大きさで、形も綺麗に残っている。

 シャンブフ(Chamboeuf)。これはジュヴレイ・シャンベルタンの村から森を抜けて南西に約5km、高台に開けた村であり、ここでは小麦畑やワイン畑耕作馬の厩舎や放牧場を見ることが出来る。今回秋の耕作に初出勤するデュガ氏の愛馬、ジョンキーの送り迎えの為にこの村に同行することになったのだが、ブルゴーニュの畑地図を見ていると以前から少し気になっていたのが高度の高い畑の後ろに「森」の存在。一体この森はどのようなものなのか?

 結論から言うと、森の中を通るジモッティの「裏道」は私のような方向音痴の者が一人で入ると遭難必至(?)であるが、以下の点からブルゴーニュ・ワイン愛好家がこの地を少し違う角度から見るためにはオススメの散歩道であった。

@     歴史街道である

 現在この近辺を通る鉄道はディジョン−ボーヌ−シャニィを南北に結ぶものが主要であるが、第2次世界大戦前までは低地から森の中を東西に抜けるものも存在していた。今この路線は線路跡すら無く立ち入り禁止のテープの向こうにはそこだけ草が生えていない、ただの土塊の道が残るのみ。しかしかつて石切人などを運んだのであろう過去の鉄道跡は、なんとなく「千と千尋の神隠し」的な不思議で寂しげな情緒があり、初めて見る者に思いを馳せさせるには十分な魅力がある。

A     地殻変動を肌で感じる

 コート・ドールの丘の始まりは2500万年前のアルプスの隆起運動(古第三紀)とそれによって断層が生じたことに発し、そしてその後の氷河期の浸食活動(第四紀)が渓谷を形成したと言われている。だがディジョンに向かうTGVの車窓から剥き出しにせり上がった石灰岩を見ることは出来てもそれは余りにも遠すぎ、畑の中にある石灰岩は既に切り出しなど何らかの手が加わった大人しい(?)もので、ダイナミックな古代の変動を感じるには少し迫力に欠ける。しかし森の中にあるそれは平行に走る断層も生々しく、触れると手が白くなるほど新鮮(?)なもので、少し掘り返すと貝の化石がゴロゴロと出てくる(掘り返してくださったデュガさん、ありがとうございます)。この土壌が海の底から立ち上がったことを実感せざるをえない。

 同時に森の下部がワイン畑の境界線であることも、非常によく理解できるのだ。

B     景観の美しさ

「ボンジュール、ジョンキー!」。ジョンキーに語りかける、デュガ氏のこの表情!シャンブフの厩舎にて。

 左右の木々がまるでトンネルのように続く小道。絵画や映画でしかフランスを知らなかった若かりし頃、私にとってフランスのイメージの一つはこれであり、この森の裏道はまさにイメージ通りなのである。丁度私が訪れた日は乾燥した初冬の夕方。透明感のある冷たい空気の中を少し白みがかった黄金色の光が木々を照らし、空間や道路のあちこちにきらきらとした木漏れ日が輝いている。それは息を呑むほど美しい(マダム・デュガお気に入りのジョギング道でもある)。

 また森の中には「モレ・サン・ドニ」「シャンボール・ミュジニィ」「ラトリシエール・シャンベルタン」などへ続く「抜け道」があるのだが、抜け道から透けて見える畑は、暗い森とは対照的なまさに光溢れる黄金色の海(この風景を見た時、私の大好きなダイビング・ポイントであるサイパンの「グロット」を思い出した。このポイントは海中の洞窟から外洋に抜けるもので、外洋の明るさは洞窟側から見るとまるでブルーの光のカーテンがたなびくようで、それは美しいのである)!同時にヘリコプターでも使わない限り 見ることの出来ない、地上で最も高い場所からのコート・ドールの風景であろう。

 

 他にもこの森はジビエの宝庫でもあり、また森は区画によっては所有者がいるようで(ワイン畑と同様、所有者は全て村役場で詳細に登録されている)、所有者は自由に木を切り出すことが許されている。よってジモッティにとっては実用的な森でもあるようだ。

 冬は目の前。おそらく道も凍てつき、日も短くなるこれからは散歩シーズンとは言い難いかもしれない。しかし春から秋、方向感覚と足に自信がある人には是非体験して頂きたい、「もう一つのブルゴーニュ」である。

 

(余談)

この裏話を書くために「地質年代表」なるものを調べてみた。そして生産者達と話していてよく聞く「ジュラ紀の地層」。この「ジュラ紀」の名前の由来は、フランス東南部ジュラ山脈(ジュラ地方)によくこの時代の地層が見られることから付けられたものであるらしい。目鱗(って、私が無知だっただけ?)。