11/16〜20

〜オスピス・ド・ボーヌにジャン・レノが?!〜

 

 

 

 

今回のORGANISATEUR

 

今回の旅程の花形、「ポーレ・ド・ムルソー」に参加出来たことに、アカデミー・デュ・ヴァンの矢野 恒(ひさし)先生と、矢野先生のご友人であるアラン・グラ氏(サン・ロマン)に、この場を借りて深く御礼を申し上げます。

 

今回のチーム・デギュスタシオン

 

矢野先生、エアー・フランスのソムリエールお二人、GCCの須藤氏、日本からのソムリエ氏、私の6人。

毎度ながらバツグンの土地&ワイン勘で運転を引き受けて下さる須藤氏、通訳とサジェスションをくださるエアー・フランスの方々、久しぶりの関西情報をくださったソムリエ氏に感謝!

 

今回のスケジュール

 

シャサーニュ・モンラッシェのワイン・ショップで見つけた、DRCの珍しいラベル。過去にネゴシアンとして卸していたものであるらしい。
(写真をClickすると大きくなります)

11/16

パリ発

オスピス・ド・ボーヌ視察

サントネー泊

11/17

ポーレ・ド・ムルソー参加

サントネー泊

11/18

9:30 Francois Frere(Tonnellerie)訪問

11:00 Domaine Vincent DANCER訪問

15:00 Domaine Francois MIKLSKI訪問

17:00 Domaine Simon BIZE訪問

11/19

10:00 Philippe PACALET訪問

14:00 Domaine du Vicomte LIGER−BELAIR訪問

15:30 Domaine Comte Georges de Vogue訪問

ジュヴレイ・シャンベルタン泊

11/20

8:00 Domaine Claude DUGAT訪問

14:00 Domaine Prieure ROCH訪問

帰パリ

 

 

 待ちに待った、ポーレ・ド・ムルソー!日頃ジミな生活を送る私にとって、パーティの雰囲気を味わえることは貴重である。

 しかし「1年の華」はポーレだけでは終わらなかった。そう、初めて出席したオスピス・ド・ボーヌに、なんとあのジャン・レノが出席していたのである!!!オスピス・ド・ボーヌの真面目な報告は別レポートに述べるとして、今回の裏話はミーハー炸裂になることをお許し頂きたい!!!

 

ジャン・レノ現る!

 

 オスピス・ド・ボーヌのパンフレットに踊る、ジャン・レノの写真。説明を読むと俳優として多忙なスケジュールを送る彼のもう一つの顔が「世界の医学」活動、すなわち戦地などで不足する医薬品を供給する機関の支援者、というもので、今回は彼が競り落としたワインによって生まれる利益は全てこの機関に寄付される趣旨であるらしい。

 

「ジャン・レノ、今日来るよ」

会場に現れるはず無いですよね、という私の問いに、昼食会で隣り合わせたジャーナリストがサラリと肯定。ちょ〜っと、待った!である。1988年に「ル・グラン・ブルー」を見てからというもの、彼は15年来私の男優ランキング(?)のトップに君臨し続ける、ハイパー憧れの人なのだ!!!頭は真っ白というか、私の大好きな色であるブルーに染まり上がった。彼の出没時間と場所を確認すると、それは14時15分、オスピス・ド・ボーヌの会場である。しかし私が許された入場時間は16時過ぎ。遅すぎる。これは強引に受付を突破するしかない。百貨店時代、日本に仕事に来たジャン・レノがお忍びで寝酒などを買いに来ないかと待ち続け(当時の同僚には「来る訳無いじゃん」と一蹴され、当然ながら来なかった)、現在は同じパリの空の下に住みながらも、自宅→モノプリ(スーパー)→郵便局→銀行という庶民な私の生活範囲では、彼との接点はあり得ないのである。「今しか無い度:200%」である。

 持てるだけのハッタリを効かせて、会場潜入に成功した時とまさに同時に、ジャン・レノも会場入り。SPに囲まれたジャン(馴れ馴れしいぞ !)が、私の横を通過。手を伸ばせば届く距離に、ジャン。しかし手を伸ばす前に、気が付いたら私は口をぽっかりと開けていた。だが少なくとも鼻血が出なくて本当に良かった(これは余りにもカッコ悪すぎる)。そして花道で力士にペタペタ触るオバサンの気持ちがよく分かるってものである。

 まずは、至近で見た。次は「会話」「写真」「サイン」である。自分の中にこんなにもミーハーな精神が残っていることに我ながらビックリしたが、目的を完遂してこそ射手座ってものである(おいおい、オスピス・ド・ボーヌ視察という大きな目的はどうした?)。しかし当然ながら彼の周囲は常に人で鈴なり。だが「ワン・オブ・鈴なり」にはなりたくない、というミーハーなりにも、最低限の美学(?)と意地が私にもある。ここは優雅に、ジャンの横に潜り込まねば。

 待つこと数十分、チャンス到来だ!!!しかし悲しいかなファン心理、待つ間考え抜いたフランス語は頭から吹っ飛び、私が発したセリフは一ファン丸出しの、

「ル・グラン・ブルーを見てからダイビングを始めた」「サインにアキヨって入れてください」の二言のみ(これに対し、かのジャン・レノは「ド・リアン(どういたしまして)」と非常に淡泊。ああ、つれないジャン、、、)。もう少し気の利いた事を言やぁよかった、もう少し小ギレイにしてりゃあよかった、と席に着いてから後悔しても遅いのである(もっともそうしていたところで、彼との圧倒的な距離は何も縮まらないのであるが)。

 しかしこの時だけは、カタコトのフランス語を取得したことも、先の見えないフランス生活での悩みも、一瞬全て肯定(?)されたのである。神様は粋なプレゼントをくださるものだ。

 2時間ほどして、ジャン・レノは会場を後にした(お陰でやっとオスピス・ド・ボーヌに本腰をいれることができた)。しかし当分この興奮は醒めそうにないのである。なんたって15年越し(超一方的)の思いが叶ったのであるのだから。

 

 もっとも後日デジカメ内に納められた写真を知り合いのフランス人に見せると「超日本人的だねぇ。それじゃあまるで、パパラッチだよ」と、非常に冷ややかな視線。彼のもっともな言葉に全く反論できない私であるが、「次はどこで会えるのかしらん?」と新たなミーハー心を燃やすオスピス後なのである。

 

ジャン・レノ。確かに写真の上がりはパパラッチ的です、、、。