3/21〜24

〜バンドール。地中海の風に吹かれて〜

 

 

 

今回のORGANISATEUR

 生産者とのアポイント、ホテル、レストラン、移動手段など全をグラン・クリュ・クラブの須藤氏が手配。

 

今回のチーム・デギュスタシオン

 エア・フランスのソムリエール2人、フランスで研修中のマキコさん、グラン・クリュ・クラブ主催の須藤氏、そして私の計5名。

 

今回のスケジュール

3/21

前パリ発

ポクロール島(Ile−de−Porquerolles)着

Glycineにて昼食

14:00 Domaine de la COURTADE訪問

18:00 Domaine de la TOUR de BON訪問

Fresqueにて夕食

シオタ(Ciotat)泊

3/22

10:30 Chateau Jean−Pierre GAUSSEN訪問

Christinaにて昼食

14:00 Chateau de PIBARNON訪問

16:00 Chateau VANNIERES訪問

シオタ(Ciotat)泊

3/23

11:00 Domaine du GROS‘NORE訪問

Clocherにて昼食

ディクサン・プロヴァンスに移動

Vieille Aubergeにて夕食

ディクサン・プロヴァンス泊  

3/24

10:30 Chateau ROCHE REDONNE訪問

14:30 Domaine de TERREBRUNE訪問

帰パリ

 

酔っぱらいマダム?

 シャトー・ヴァニエール(Chateau VANNIERES)。ベタンを見ると、

―1957年、ブルゴーニュ出身の一家が始める。20ヶ月大樽で熟成させるそのワインにはクラシックなバンドールにありがちなムールヴェードルの厳しさや実直なスパイスはなく、あるのは絹の骨格だ。彼らの偉大なワインは熟成するにつれ調和のワインとなるー

今回の生産者訪問の中で最も楽しみにしていたシャトーの一つであった、、、、にもかかわらず、取材には全くならなかったのである。なぜか?それは応対してくれたマダムが完全に酔っぱらっていたのである。

忘れられない(?)訪問となった、シャトー・ヴァニエール。玄関の外観。

 今回の私達のバンドール訪問は、丁度バンドールで行われていたワインの試飲会と重なっていたようで、生産者本人或いは社長自ら説明していただけないことが多く、ここ、シャトー・ヴァニエールもその一つであった。応対していただいたマダム(「一従業員」という平凡なものではない、101匹わんちゃんにでも出てきそうな、酔っぱらっていなくても強烈な個性)は、この日最後の応対がフランス語を理解できるかも分からない、須藤氏率いる「Grand Cru Club」などという怪しげな相手であることにかなりの緊張とストレスを強いられているようであった。しかし「まぁまぁ、席について」と席を勧めるその様子が既に緊張感より酔いが上回っており、そしてフランス語が通じると分かった瞬間から、彼女のそのささやかな緊張感も完璧に崩壊。

 ワインを開けるのに栓抜きを逆さに突っ込もうとするのは序の口、須藤さんに「この〜、お調子者!」みたいな感じで突っ込む、絡む、そして突っ込み返されると涙を流さんばかりに笑っている。それでもかろうじて残っているらしい「ワインの説明をしなければ」という理性からか、少しろれつの回らない舌で、マジメに説明を試みる。しかし「これは、ムールヴェードルで、、、、ひぃっ〜くっ!」とこの「ひぃっ〜くっ!」がまるで計算されたような絶妙なタイミングで入るので、こちらももう、たまらない。やる気は木っ端微塵に打ち砕かれ、腰砕け。笑いすぎてお腹が痛いよぅ。印象の強い生産者訪問、番外編だ。

 なぜ彼女は仕事中でありながら(!)あれほどまでに見事に酔っぱらっていたのか?多分1日の応対のどこかで調子に乗って飲んじゃったのだろうが、普通飲むか?そんなに。でもあそこまで見事に(しかも楽しそうに)酔っぱらわれると、怒る気にもなれない。むしろ楽しませてくれてありがとう、だ。

 ちなみにシャトー・ヴァニエールの名誉のために添えておくが、ドサクサに紛れて開けて頂いた1990年の熟成は、まるでボルドー。深みのあるスーボア感が◎。「熟成させて飲むワインって、ひぃっ〜くっ、あら、失礼、言ったでしょうが、このお調子者!」なんて言っていたマダムの言葉は、一応ワインがきちんと立証してくれていた、というところで。1985年、1982年も然り。そう言えばパリのあるワインショップのスタッフも「熟成したボルドーをお求めで、でも予算に限度がある時にはヴァニエールを薦めることもあるんです」と言っていたっけ。カーレーサー、ミカのお気に入りのシャトーでもあるらしい。そしてこのシャトーで作られているオリーヴ・オイルも、口当たりの柔らかさと深さ、余韻のほどよい苦さと辛味のバランスが激ウマだ。

 それにしても3日間はひぃっ〜くっ、が耳から離れなかったよ〜。

 


 

ミストラルのある風景

 

まるで日本人の名前のような港町、シオタ(Ciotat)の風景。朝の浜辺はとっても静か。

トゥーロンから船で20分ほど移動、ポクロール島からの絶景。

 ミストラル。「ミストラルのお陰でね、、、」てな風にローヌ以南の生産者を訪問するとしょっちゅう耳にする言葉である。で、このミストラルとは正確には何か?手元にある仏和辞典によると

―ローヌ河流域・地中海沿岸で吹く冬の厳しい風―

である。ちなみにプロヴァンス語とその郷土文学の復興に尽力したフランス人詩人にもフレデリック・ミストラルという人がいるので(1830−1914.ノーベル賞受賞)、人の姓にもなりうるようだ。なんとなくカッコイイ名前である。

 ところでこのミストラル、初春もまだ健在である。上の写真のように3月のプロヴァンスの光や色彩は既にはっきりと「南国」特有のもの。しかし時折吹く、その風の冷たいこと!この時期気温がしばしばパリよりも低いのが頷ける。

 ワイン産地に行く醍醐味の一つは、本で読んでいた気候風土を体で感じることだ。斜面を見て驚き、河の照り返しを見て納得し、素晴らしい日射量に感動していたら本当に日焼けする。そしてこのミストラルもその一つ。初春だというのに、何という乾いて「切れる」風なのだろう。この風がなければこれらの産地のワインは随分間の抜けたワインになっていただろう、と十分に感じさせられる。

 ミストラルを感じてパリに戻り、自宅で過去にも見たことのあるプロヴァンスの写真を見ていても、以前抱いていた単に「陽光に包まれた平和な南仏」という印象で見ることができないのが不思議である。それほどに印象的な冷たさであったということか。

 

街角の猫たち

 もしこのHPを隅々まで読んでくださっている方がいらっしゃったらお気づきかもしれないが、私はかなりの猫好きである。明日も分からない(?)日常を送っているので猫を飼うことは控えているが、街角や旅先で猫を見かけるとたまらず接触を試みる(これはきっと猫好き以外の人達には理解不能な行動であるはず)。

 現在パリを拠点に行動している訳だが、パリに来た数週間で気付いたことは「パリの街中で猫を見ない」。スーパーなどでキャット・フードや猫の砂を売っているということは、そしてそれよりも各方面で活躍するパリジャンに猫がインスピレーションを与えている事実からしてもパリに猫は存在するはずなのだが、なぜかお会いできない。しかし、田舎は別。田舎の小道や窓先では自由な猫生を楽しんでいるであろう猫たちとよく出会う。そんなわけで生産者巡りの隠れた楽しみは「田舎の猫巡り」。そしてバンドールは美猫の宝庫だったのだ!!!

 「新鮮な魚ばっかり、食ってんだろうな」と思われる彼らは毛並み良し、図体もなんとなく日本の猫より大きく、そして何よりも心配の無い目をしている(犬もそうだが、虐げられている動物は必ず可哀相な目をしている。あ、人間も同じか)。プロの動物写真家でもない私がカメラなんて猫が警戒しそうな怪しげなものを持って、しかも時々フラッシュなんかを光らせながら真正面から近づいていっても、「何、この人?」という感じで首をかしげてこちらを見ているか、完璧なまでの無視、もしくは「あ〜、邪魔邪魔」という態度で私の足元を面倒くさそうにすり抜けていく。猫がよく取る行動、人が一定の距離まで近づいていくとびくっと凍り付いたように硬直し、もう一歩こちらが踏み出すとすたこらさっさと隠れてしまう、あれが無い。よっぽど幸せにここで暮らしてんのね、あんた達。

 そんなわけで、ちょっとバンドールの猫たちをご紹介。

 

プロヴァンスの風景に溶け込んだ猫たち。