3/26〜27

〜ブルゴーニュの原風景〜

 

今回のORGANISATEUR

  私個人で。

 

今回のチーム・デギュスタシオン

  私一人。 

 

今回のスケジュール

 

/26

パリ発

9:30 Domaine Claude DUGAT訪問

ジュヴレイ・シャンベルタン泊

3/27

11:00 Nicolas POTEL訪問

13:00 Domaine Prieure ROCH訪問

帰パリ

 

3月に入ってから、フランスの天気はやたら良い。毎朝天気予報を見ているが(France2の天気予報のお兄さん、ローランの実は隠れファンなのである)、局所的に曇りや雨マークがあるものの、パリから南東に抜けるライン、つまりパリーディジョンーボーヌーリヨンーアヴィニョンあたりは退屈なほどに毎日晴れマークだ。またフランス全土が晴れるであろう時の天気予報図は実に単純。六角形のフランス地図の真ん中に大きな太陽マークが日の丸の如く一つ、ぽん、と表示されるのみなのだ(もちろん気温の表示は後にあるのだが)。そしてこれが本当に晴れ渡る。

昨秋以降フランスの気まぐれ、冷ためな空に一喜一憂した後諦めの境地に入ったせいか、余りにも晴天が続くとかえって落ち着かない。まるで全く不誠実だった人に急に誠意を見せてもらったようだ。しかしこちらの当惑など当然ながら知りもしないこの時期の晴天は、空の美しさと気温の快適さだけではなく植物の春の目覚めも促すので、モノトーンだった道路脇や公園、建物の窓や門の周囲が次々と色を取り戻す。そして日も目に見えて長くなる。嬉しい。街に色と光が増えれば増えるほど、冬の辛さを思い出せなくなってくる。

これだけ晴天続きで、畑仕事を見に行く今回のブルゴーニュが曇りだったら?それはシャレにならないぞ。でも大丈夫。きっと今回の晴天続きには裏切られることはない。そんないい加減な確信を持って、今月もいざ、ブルゴーニュへ!!!

 

ブルゴーニュの原風景

女の子の、この笑顔!

ジュヴレイ・シャンベルタンのとあるワイン畑の脇のクロ(石垣)。そこに腰掛けているのは畑で作業をしている馬を興味津々目で追いかける、お母さんに連れられた女の子。ブルゴーニュでも馬で畑作業している生産者はごくごく稀である。女の子の目的はどうも馬に乗ってみることのようだ。この日は丁度水曜日。フランスの小学校はお休みである。

ほどなく女の子は目的を達成!にこにこ笑いながら馬の背に女の子を乗せてあげるクロード・デュガ氏(いいなぁ〜)。しかし女の子の笑顔はデュガ氏よりもっとニコニコだ(一方作業が始まるとデュガ氏の顔は真剣。それもそのはず。馬との作業はかなりハードなのだ)!そして束の間の乗馬を楽しんだ女の子は嬉しそうにお母さんと一緒に去っていった。

「あなたも乗ってみる?」

私の眼差しが余りにも羨ましそうだったのか、デュガ氏が声をかけてくれた。遠慮するより前に顔が嬉しくて笑ってしまった。デュガ氏の助けを借りて、彼の愛馬、ジョンキーの背にまたがる。鞍を付けていない馬の背は驚くほど暖かい(というか熱い)。そしてこの高さから少し揺られて見る畑の畝や、ジュヴレイ・シャンベルタンの風景は何となく不思議である。そうしているうちにも今度は男の子がやはりお母さんに連れられてやって来た。お母さんが何やら男の子を促している。ほら、ちゃんとご挨拶して、色々聞いてごらんなさい。しかしこの男の子はシャイでメモを抱えてモジモジしたまま。馬を止めて優しい笑みを浮かべながらで男の子が話し出すのを待っていたデュガ氏だが、やがて優しく く しゃっ、と男の子の頭を撫でて、名前などをゆっくりと聞き始めた。男の子の名前はエチエンヌ。大きくなったら馬の仕事がしたいそうだ。恥ずかしそうにしゃべり終えるとエチエンヌの視線は一途にジョンキーに。降ります、降りますとも。

 馬にまたがるとさっきまでのシャイさが嘘のように、男の子らしくはしゃぐエチエンヌ。春の午前の柔らかい日だまりのなかで、エチエンヌのはしゃぐ声と、デュガ氏が馬を指示する声、鍬に付いた金具の単調な音、馬の鼻息、それらの音が時折宙に浮かぶように聞こえてくる。ジュヴェレイ・シャンベルタンの一画は静かだけれど暖かだ。

 

今年は通年で毎月デュガ氏に畑仕事を見せて頂く機会に恵まれたわけだが、デュガ氏のいるデュガの畑で時間を過ごしていると、いつもなぜか不思議な感覚に襲われる。その感覚とは先月の裏話でも書いたが、ブルゴーニュに季節毎に訪れる幸せな原風景の記憶に少しだけ入ったような感覚なのだ。100年前のジュヴレイ・シャンベルタンに迷い込んでも、きっと見たであろう風景、この村に住んでいる人達の心の奥底に、それぞれの思い出と一緒にきっとあるであろう風景。

それらの原風景の記憶に触れると、同時に「デジャ・ヴュ」な感覚も呼び覚まされる。見たことはないのはずなのに心の芯を前触れもなく掴まれたような、唐突な懐かしさ。

最初にそんな風景と出会ったのはグラムノン(コート・デュ・ローヌ)の「メメ」の初夏の畑だった。正午から昼下がりにかけての畑の風景は、光の質感やセミの張りつくような声(でも本当にセミだったのだろうか?今考えると疑問である)が、まさに「デジャ・ヴュ」。グラムノンの畑を立ち去った後になんとなく「サマー・タイム」の曲を思い出していた。

なぜデュガ氏のいるデュガの畑では頻繁に原風景の記憶を感じ、デジャ・ヴュに見舞われるのか判らない。もちろん陳腐な解析や憶測は出来るのだが、それらを述べたところで何の意味もなさないような気がする。ただ言えることは、ジュヴレイ・シャンベルタンにこの風景が存在し続けて欲しいということと、デュガ氏とその風景に心から感謝しているということだけだ。Mille Merci。