6/16〜20

〜暑すぎるぞ、ブルゴーニュ!&ヴァンサン・ジラルダンのエシェゾー最新情報〜

 

 

 

今回のORGANISATEUR

 当サイトとリンクを張って頂いている西方さん(ブルゴーニュ魂)、当サイトの愛読者さん一人、そして私個人の、ぞれぞれのアポイントの合作版。

 

今回のチーム・デギュスタシオン

 上記3人+最終日は西方さんのご友人も加わり。

 

今回のスケジュール

6/16

パリ発

14:00 Domaine Prieure ROCH訪問

ジュヴレイ・シャンベルタン泊

6/17

8:00 Claude DUGAT訪問(終日)

ジュヴレイ・シャンベルタン泊

6/18

10:00&14:30 Domaine Henri PERROT−MINOT訪問

19:00 Domaine Philippe CHARLOPIN訪問

ジュヴレイ・シャンベルタン泊

6/19

10:00 Domaine Christine et Didier MONTCHOVET訪問

14:00 Domaine Michel LAFARGE訪問

17:00 Domaine Vincent GIRARDIN訪問

ボーヌ泊

6/20

Domaine Aubert et Pamela de VILLAINE訪問

帰パリ

 

 暑い、全く暑すぎる、ブルゴーニュも、パリも、そして全フランスが!!!

 テレビは連日「1976年以来の干魃(かんばつ)」「世紀の暑さ」「地球温暖化かここまで来たか!?」「水不足」と連日喧喧がくがくの討論が続き、そしてとうとうブルゴーニュでは6月14日(木)にこの時期38℃を記録、その2日後の14日、リヨンほか5都市で日中の最高気温が過去最高を記録し、猛暑により2名が亡くなった(一方同時期さらに南のスペインはなんと45℃!)。

 一体どうなっているのだ???そして個人的な話で言えば、「暑すぎて生産者とアポが取れない」。

 「暑すぎてアポが取れない」と言われてもぴんと来ないかもしれない。しかし本当に取れないのだ。なぜなら例え冷涼な年でも、5月後半から7月前半はブドウ樹の「展葉」「開花」「ブドウ果の結実」と1年で最も著しくブドウが成長する時期なので、その成長に対応するために1年中で最も畑に出なければ行けない時期なのだ。そして加えてこの暑さ。しかもブルゴーニュでは結構通り雨っぽい雨も降り湿気も加わって、とにかくブドウは恐ろしいスピードで成長している。となると?そう、まずは例年以上に畑に出ないと、ブドウの成長に仕事が追いつかないのである。3週間ぶりに畑を訪れると「Doucement,doucement(ゆっくりしてよ〜)」という、ヴィニョロンの悲鳴が聞こえてきそうな畑の豹変ぶりである。

 現時点でブドウの成長は例年より10〜15日も早く、このまま行けば(もしこの後涼しくなっても「開花後約100日目が収穫日」という基本的な計算もあり)収穫はニュイで9月12―15日くらいに(例年20−25日)、ボーヌでは6−12日、ボジョレーに至っては3−4日になるのではないか、というのが、今回会ったヴィニョロン達の見通しである。

 しかも(まだ「しかも」が続くのである)今年の4月の8−11日には霜害があり(4月11日ムルソーの最低気温はマイナス7℃だった!)、霜の心配が無くなった現在は雹害に悩まされている。

 今年の雹害のポイントは2点。つまり「例年よりも時期が早く始まっている」「非常に局所的で激しい」ということだ。そこでヴィニョロンのぼやきをまとめてみると、

畑で働く人間を倍以上増やした」(モンショヴェ談)

アポイントは10月後半まで待ってくれ〜!」(ドゥニ・モルテ談)

春の霜害と今年の雹で既に収穫量は例年の60%減の見通し。僕のカブリオレも穴だらけ」(ヴィレーヌ氏の甥、ピエールさん談)

ジュヴレイに雹がこの時期で既に2回。例年はまだ無いのだけれど。それにこのままブドウが早く大きくなりすぎるのは良くないだろう。酸不足や湿気による病害が心配」(デュガ氏談)

等々である。

 しかし全般的にブドウの質については酸の不足を除いてはまだ明るい意見が多い。ペロミノ氏によると

酸の不足は例年よりブドウの枝先剪定を高くし日陰を多く作ってやることと、ヴァンダンジュ・ヴェルトを抑えることで回避できるだろう。それに異常に暑かったと言われる1976年に比べて、収量制限、枝先も含めた剪定方法、選果の基準がブルゴーニュでは格段に上がっている。この30年近くで気候に対処する人知が格段は格段に進歩しているんだ」。

 さてどうなるのか、ブルゴーニュ2003年?!フランス風に言うと、On verra(今に分かりますよ)であるのだが。

 ところで私のパリの部屋はブルゴーニュの畑の斜面とは反対で、南西向き。これはこれで暑いぞ。汗をぬぐいながらパソコンに向かう日々である、、、。

 

この高さ!隣りに立っているのはプリュレ・ロックのスタッフで1番ののっぽさん、ブイィ(どう見ても彼の身長は185cm以上)。 3週間足らずで花だったブドウは、こんなにプリプリに!



雹害色々

 

ブドウの実。裂けている実が雹害にあったもの。

枝。縦に付いている傷がそれ。

 

 

こちらはA et P ド・ヴィレーヌにあった、カブリオレの屋根。見事に穴だらけ。

 

壁の穴(パスタじゃありません)

壁に残る銃痕。

 さてさて「畑の仕事」の連載も折り返し時点にきた訳であるが、この連載の取材時にはジュヴレイ・シャンベルタンに住む知人宅に毎度お世話になっている(いつもありがとうございます)。そして畑仕事の帰りにはデュガ氏に車でこの知人宅まで送って頂くことも多いのだが、今回その知人宅前にデュガ氏と一緒に来た時に、デュガ氏が例の「デュガ・スマイル」で私に聞いたことは

「この穴、知ってる?」

は?穴、、、一体どの穴ですか???

これだよ、これこれ、とデュガ氏が指さしたのは、家の壁にある小さな窪みのような一つの穴。で、これが一体???

「これはね、第2次世界大戦下にドイツ人がきた時に、彼らが父(モーリスさん)を撃ったんだ。弾は父の肘を貫通して、この壁に当たった。だから父の肘とこの家の壁には今でも跡が残っているんだ」。

 にっこりと話されても返答に困る話ではある。だが私の父も自宅で猫を膝に乗せながら、「戦争の時は 焼夷弾が降り注ぐ火の海の神戸を、兄弟7人命からがら海を目指して走り続けたものだ」等と言うのだから、今は平和そのものに見えるジュヴレイ・シャンベルタンの村にそんなことがあっても、それをデュガ氏がごく普通に話しても不思議なことではないのかもしれない。

 しかし知人宅は全く新しく見えたのに(知人の奥様曰く「案外古い家みたいですよ。塗り直していますけれど」)、「ジュヴレイ・シャンベルタン=ワイン」という目でしか見ていなかった私にとっては虚を突かれた感じである。ジュヴレイ・シャンベルタンの風景は基本的に変わっていないような気がしていたからだ。

 フランスの至る所にある様々な記念碑は、フランス語が視覚=意味で入ってこない分、風景の一部として見過ごすことが多いのだが、戦争絡みのものは大変多い。しかし記念碑だけでは無く、こんな知人宅の壁にもその跡はしっかり残っていた、ということか。

 

かっこいいかも、ヴァンサン・ジラルダン 〜エシェゾー最新情報〜

 

 ヴァンサン・ジラルダンは予想していたドメーヌとは全く違った。とにかく大きいのだ。普段小規模な生産者ばかり訪れている目には、眩しすぎるほど新しく、デカイ。そしてその大きさにかかわらず、おそろしく見付けにくい。なぜなら彼らは昨年6月サントネーからムルソーに引っ越し、しかしその住所はムルソー村の中心から全く離れており、ドメーヌの標識(フランスのワイン産地でよく見かける「ドメーヌはこちら」っていうやつである)を依頼したのも1年前なのだが、その標識はまだ出来上がっていないからである(広報の人曰く「ここはフランスだからね。ははは」)。

 敷地内にはいると試飲用のサロンに始まり、奥に案内されると赤・白ワイン用の醸造施設がそれぞれ一つずつ、そして同じく熟成庫がそれぞれ一つずつ。それぞれが清潔、かつ整然としていて、これまたデカイ。聞くと年間生産量はネゴシアンものも入れると40万本(これはメドックの小規模なシャトーよりも多い)、年間に仕込むキュヴェは約60種類(瓶詰めして出されるものは40種類近く)であるという。    

昨年ルイ・ジャドといった10以上の著名ネゴシアンを出し抜いてドメーヌドメーヌ・アンリ・クレールとピュリニィ・モンラッシェのバタール、ビアンヴニュを含む特級、1級や、エシェゾー、クロ・ヴージョの18年間のリース契約を結び、更にドメーヌの持株会社の株を購入できた理由が理解できるような気がする。この敷地内にはジラルダン氏の確固たる財力と若さが反映されている。

 

ところで試飲を進めながら、日本でも評判の「DRCのエシェゾーの畑から購入した葡萄で作られたDRC」に話題が及んだ時のことである。ジラルダン氏の最初の反応はこうだった。

「DRCからって、誰がそんな間違えたこと、言っているの?」

―ではDRCからでは、ないのですか?

「それは2000年までのこと。今はアンリ・クレールと契約した畑からだ。ところであなた、DRCのワインをどう思う?」

―素晴らしいと思いますが。

「そうかな、DRCは薄いし軽いよ。エシェゾーをテイスティングした時に、僕は平均だな、と思った。そこで聞くけれどあなたがニュイで好きなドメーヌは?」

―挙げるとキリがありませんが、今年特に感動したワインはデュガと、デュガ・ピィ、そしてパカレです。

「ふーん、、、。じゃあ、ドゥニ・モルテはどう思う?」

―素晴らしいと思うしやはり大好きなドメーヌの一つですが、時々『モルテ味』と樽がやや強すぎてテロワールが解り辛いところがあります。

「分かったよ」

 

 試飲は続く。それはコルトン・シャルルマーニュから、クロ・ヴージョ、そして渦中の(?)エシェゾーにまで及んだが、それらはどれも甘くとろりとリッチに凝縮していながら、テロワールを力一杯「見せている」。しかしテロワールが隠れることは、決してない(同行者であるHP「ブルゴーニュ魂」の主催者、西方さん曰く「セミナーに使いたいなぁ。分かりやすい」)。そして美味い。

 ジラルダン氏が批判したスタイルが「テロワールを自然に感じとる」ものだとすれば、ジラルダン氏のスタイルは「テロワールのエンターテイメント」だ。前者が陥る失敗があるとすればそれは余りにも「感じる」ことは広域すぎて、ともすればあやふやな着地点に降りてしまう、ということで、逆に後者が陥るかもしれない失敗は「見せ方が下品になっては台無しである」ということだと、私個人的には捉えている。もちろん両者にセンスが必要不可欠なことは言うまでもなく、その点でジラルダン氏は見せ方が美味い。彼のワインを試飲して思い出したのは北ローヌの「フランソワ・ヴィラール」のワインである。センスが良いのだ。

 そしてDRCに対する彼のこの意見には反対する人間は多いだろう。しかし、だ。もしかして何か事情があるのかもしれないが、生粋のブルゴーニュっ子でありながら、ここまでばっさりとDRCのエシェゾーを切り捨てる人間がいるだろうか?ある意味、潔く、かっこいい。そして「薄い、濃いではない、テロワールのニュアンス」こそがブルゴーニュの帰るべき道である、と考えるブルっ子が増えつつある中(私も個人的にはこちら側)、「凝縮して分かりやすく、誰にでも美味い」という自分のスタイルに躊躇ない姿勢も、これまたかっこいい。誰も彼もが同じスタイルに同調すればするほど、当然ながら一つのレジョン自体の魅力は失われるのである。

 ともあれ、「とことん、やって見せてくれ、ヴァンサン・ジラルダン!」だ。力のある主張は貴重である。そしてそれを出来る人はなかなかいないのだ。

 

ジラルダンの醸造設備(の一部)。

 

 

ヴァンサン・ジラルダン氏。

ドメーヌ設備全景。

 

 

参考:ヴァンサン・ジラルダンが生産するワインは以下(ドメーヌのパンフレットより)

マランジュ クロ・デ・ロワイエール

サントネー グラヴィエール

サントネー クロ・デ・タヴァンヌ

シャサーニュ・モンラッシェ モルジョ

シャサーニュ・モンラッシェ クロ・ド・ラ・トリュフィエール

バタール・モンラッシェ

シュヴァリエ・モンラッシェ

モンラッシェ

ピュリニィ・モンラッシェ レ・ザンセニエール

ピュリニィ・モンラッシェ レ・コンボット

ピュリニィ・モンラッシェ レ・シャンガン

ムルソー レ・ナルヴォー

ムルソー シャルム

ヴォルネー サントノ

ヴォルネー シャンパン

ポマール リュジアン

ポマール クロ・デ・ランボ

ボーヌ クロ・デ・ヴィーニュ・フランシュ

コルトン・ルナール

コルトン・ブレッサンド

コルトン・シャルルマーニュ

エシェゾー

クロ・ヴージョ

シャンボール・ミュジニィ レ・サムールズ

シャンボール・ミュジニィ レ・シャルム

クロ・ド・ラ・ロッシュ

クロ・サン・ドニ

ボンヌ・マール

シャルム・シャベルタンン

シャンベルタン・クロ・ド・ベーズ

ラトリシエール・シャンベルタン

ジュヴレイ・シャンベルタン ラヴォー・サン・ジャック