7/22
〜、、、、、。2003年シャンパーニュ事情〜

 

 

 

今回のORGANISATEUR

 

 私個人で。

 

今回のチーム・デギュスタシオン

 

 一人が続きます、、、。

 

今回のスケジュール

 

7/22

パリ発

10:30 TARLANT訪問

14:00 Jaques SELOSSE訪問

帰パリ

 

 フランス全土が猛暑と干魃(かんばつ)に見舞われる以前に、2003年、フランスのブドウ畑におけるトラブルのトップを切った(?)ニュースは、シャンパーニュからだった。そしてそのトラブルとは4月8−11日、1951年以来である春の霜害である(1951年は平均67%の芽の損失であったのに対し、2003年は平均45%の損失。最も被害の大きかったのはコート・デ・ブランで86%。この時期霜害を被った他の生産地は主にコート・ド・ボーヌのシャルドネ、ボージョレ。シャンパーニュではシャルドネの被害が最も深刻で、ピノ・ノワール、ピノ・ムニエと続く)。

 このニュースは日本でも報道されたと日本の知人から聞いているが、パリとは近いシャンパーニュ地方でさえ現地に行かなければ被害の大きさはピンと来ず、正直言って「大変なミレジムもあるものだ」くらいの認識に留まっていたのだ。2002年が素晴らしいミレジムであったことも個人的な勝手な安心材料になっていたのかもしれない。

 しかし今度は6月初旬に激しい雹がシャンパーニュを襲った、というニュースが入ってきた。しかもこの頃には既に猛暑と干魃の気配が色濃くなっていたので、呑気に構えていた私も流石に「これはヤバイのでは」と思い始めたのである。

 

 以下はSOPEXAのメルマガ(「フランス食品振興会発行メールマガジンhttp://www.franceshoku.com/」)からの抜粋である。

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シャンパーニュを襲った雹(ひょう)を伴う雷雨による大被害
(シャンパーニュ委員会)
Champagne:la grele (C.I.V.C.)
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6月初めの数日間、シャンパーニュ地方のぶどう栽培地が次々に非常に激しい雹に見舞われた。
6月4日の夕方、Dormans, la Montagne de Reims, Cernay-les-Reims,Taissy, Montbre, Trois-Puits, Chameryの各地で、200ヘクタールが破滅的な霜害の後、さらに雹に見舞われて落葉した。
6月8日、Villenauxeは既に霜害がひどかった上に、雹に見舞われ、20余ヘクタールが収穫をのぞめなくなった。
6月10日の日中、Vallee de la Marneの右岸と、Vallee de l’Ardre のMont Saint PereからFaverollesにわたって、例をみない激しい雹に見舞われた。
Passy-Grigny, Champvoisy, Saint Gemme, Lagery, Brouillet, Tramery, Coemyが被害を受けた。

雹の大きさは2cmから5cmにおよび、屋根や窓も被害を受けた。

350ヘクタール余のぶどうがほとんど落葉し、収穫ののぞみは壊滅し、枝は痛み、裂かれ、ひきちぎられるという例をみない大被害をこうむった。
あわせて560ヘクタールが雹による壊滅的大被害を受けたことになる。

 

 う〜ん、手元には4月の各地における霜害状況をパーセンテージ表示したリストもあるのだが、これと併せて数字と地図を見比べる気力すら起こらない。そして今回はエペルネを拠点にアヴィース(Avize)とウイィ(Oeully)の村を廻ったのだが、これらの村に着くまでに車の中から見える畑は青々と葉は繁っているものの、ブドウ房が見えないぞ(車から降りてじっくりと観察した訳ではないので、もちろんブドウ房はあるのだろうが「ぱっと見」の印象は「ブドウ樹の形をした茶畑」みたいだ)!?

 だめ押しのように生産者の声も痛々しい。

「春の霜害も酷かったけれど、雹はねぇ。ズタズタになった樹は元に戻るのに2〜3年かかるものもあるから」

今年はワインを仕込む樽を買わなくて済むんじゃないかしら、なんて冗談交じりで言ってるくらいよ」

(以上はタルランのマダム、ミシュリーヌさん談)

「2003年の出荷価格はまだ据え置き出来そうだけれど、2004年の価格は上げざるを得ないかもしれない。その旨は既に顧客にも告知しているよ」

「ブドウの開花後100日目が収穫っていうのが基本だけれど、今年は1976年以来の早い収穫になるんじゃないかな。これは過去のシャンパーニュの収穫データなんだけれど(リストを指し示しながら)、1976年はシャルドネの収穫が9月1日(82日目)、ピノ・ノワールで9月3日(84日目)、そしてピノ・ムニエで9月3日(80日目)だ。

通常は収穫しない『第2の芽からのブドウ』が順調に育てば、9月末〜10月上旬に『2度目の収穫』が行われる可能性もあるかもしれないね」

(以上はジャック・セロスのアンセロムさん談)。

 どうリアクションすれば良いのやら、というのが正直な気持ちである。

シャンパーニュは大陸性気候と海洋性気候の両方の影響を受けるからね。それでなくても予測が難しいんだ」

アンセロムさんのその言葉を聞いて、何の疑問もなく一つの技術として捉えていた「シャンパーニュにおけるミレジムのアッサンブラージュ」というものは必要性に迫られたものでは無かったのか、と今更ながら思ったのである。

 今年のミレジムにおいてまだまだ雹の可能性もあれば、来年の保証などは一切無い。「がんばれ、シャンパーニュ!」などと書いても完璧上滑り。「泡もの」の中でもやはりシャンパーニュをこよなく愛する私としては、お天道様をひっそりと拝み、生産者達の苦労が報われるようにこれまたひっそり祈るしかないのである。

 

ちょっと、独り言

 

 先週の北ローヌ行きと、今週のシャンパーニュは昨年の「生産者巡り」のスケジュールと全く重なっていることに気が付いた。別に意図はしていなかったのだけれども。

 今年の猛暑は時々風景まで変えてしまっているなぁ、と思うのだが、それでも変わらない「季節の色」みたいなものが行った村々にあって、2週連続昨年と同じスケジュールを辿ると妙に切ないデジャ・ヴュに陥ってしまった(そりゃ、デジャ・ヴュなはずだ。見てるんだから)。

 生産者巡りは結果的に一人で行くことが多い。しかしパリのワイン仲間や日本からワイン修行に来た人達(時にダンナ)、そして行きずりの人(?)と行動を共にすることもあり、彼らと交わした会話などが、目の前にある同じ風景や、暑さ寒さ、香りと一緒に思い出されて、妙に胸に「きゅん」と来てしまうのである。そしてレポートを書いている時も、ふとその感覚が呼び起こされる時がある。

 まぁエペルネのカフェでオムレツをバクバク食べたり(お昼ごはんにありつけるのはありがたい)、パリのステュディオで汗をダラダラ流しながら(自宅にある扇風機はよく言えば「アンティーク」で、音と図体は限りなくデカく風は悲しいほどに弱い)「切ないなぁ」などと 独り言も、余り様にならないのではあるが。