9/22〜24 〜不思議な風景?〜 |
* 写真あり
今回のORGANISATEUR |
私個人で。
今回のチーム・デギュスタシオン |
私一人。
今回のスケジュール |
9/22
パリ発
14:00 Domaine Prieure ROCH訪問
ジュヴレイ・シャンベルタン泊
9/23
9:00 Domaine Claude DUGAT訪問
14:00 Domaine Bruno CLAVELIER訪問
16:30 Domaine DUJAC訪問
ジュヴレイ・シャンベルタン泊
9/24
10:00 Domaine Dominique GALLOIS訪問
14:00 Domaine BIZOT訪問
帰パリ
一瞬酷暑を忘れかけたフランス。長袖やストールというパリジェンヌの装いを見て何となくほっとしていたのも束の間、久しぶりの産地訪問を控えた前週(9/15〜21)になり、地方にもよるがまたもやダメ押しのような30℃超えの日々。日本の友人にワインの発送を頼まれるも、これじゃあ「今は送れません」と答えるしかない。そんなわけで私の「産地巡りファッション」も、6月以降基本的に余り変わらず。今年は畑仕事を中心に見ているせいもあるが、4ヶ月近くTシャツ+ジーンズで事足りているような気がする(毎月訪問しているデュガ家とチーム・ロックは「アキヨはいつも同じ服しか着ていないなぁ」と思っているかもしれない、、、)。
コート・ド・ニュイの風景もまだまだ「異例」が続いている。まだ夏の名残りを感じる光の下で畑に入っている人達がしている仕事と言えば、ブドウの植生をコントロールしていた針金のクリップを取り外す作業であったり、死んだ株を引き抜く作業であったりで、これらの作業は何となく「秋・冬っぽい」イメージがあるせいか、どうも不思議な風景に見えて仕方がない。たまにブドウを運搬しているトラックも見かけるが、このブドウも「マール行き」の既に絞り粕。9月だというのに。
思えば昨年の今頃は丁度私がプリュレ・ロックで収穫に参加しようとしていた時期だった。秋めいた涼しい外気の中背筋を伸ばして歩くのは心地よく、村々に漂う空気にある隠しきれない慌ただしさを、醸造所の前を通りかかった時に時折香るプレスされたブドウの香りを嗅ぎ、運搬中に落ちたのであろう道路に転がるブドウを見ながら実感していたものである。
だが誰よりも戸惑いを感じているのは、当の生産者達であろう。恐らく現役の生産者にとって、こんなイレギュラーな推移は未経験の域のはずである(異常に収穫が早かったミレジムとしては、過去に1893年、1822年が挙げられる)。また今年は収量が激減している上に、今回話しを伺った生産者達によると糖度の高さなどから発酵も例年より早く進む傾向があり、彼らにとっては収穫までを一気に走り抜いただけではなく、醸造も駆け足で終わってしまった感があるようだ。
「10月にちょっと、休もうかな」、「急にすることが無くなってしまって。死んだ株でも抜こうかな」、「休暇?とりあえずぐっすり眠りたい」。世紀の暑い夏と対峙し終えた彼らの口ぶりからは束の間の開放感や、安堵、呆然(?)が感じられる。
仕込みを終えたワインがどう成長するかはOn verra(今に分かるさ)。特に人為的な操作を好まない生産者にとっては、自分たちが育て上げたブドウのポテンシャルに発酵・熟成という領域を賭け、後は小さな「手助け」をしてやるしかない。最近の裏話の最後はいつも同じ締めになってしまうが、生産者の努力と酷暑を生き抜いたブドウの生命力が、ワインとなって生まれ変わり成長していくことを、一ワイン・ファンとして祈るばかりなのである(ちなみに9月23日になりフランスは急に秋を思い出したようで、やっと涼しくなり始めた)。
ムシュウ・シャルロパンより |
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カフェのカウンターにて、シャルロパン氏。 |
ジュヴレイ・シャンベルタンのカフェでなごんでいたら、シャルロパン氏とばったり。
「2003年、どうでした?」
「Ca marchait tres bien!(非常に上手くいったよ!)」
一点の曇りも無い、力強い答えである。
「確かに収量は少ないし、酸も低めさ。でも結果的には上手く行っているんだ。これが『一つのミレジム』ってものさ」。
そして氏はカフェの女将(?)や友人達と軽くおしゃべりしながらさくっとシャンパーニュのクープを空にして、大柄な体躯とは裏腹に、あくまでも軽やかに去っていった。カッコ良すぎ。
最近思うのである。生産者達の考えられないほどの細部へのこだわりと、同時に「これで、いいのさ〜」的な、ワインへの突き放し方は何なのか?それでそのワインが素晴らしかった時には尚更である。この「こだわり」と「突き放し」のポイントを外すと恐らくそのワインは素晴らしくはならないはずで、そのポイントを掴むには(何が大切であるかを知るには)経験と天性のセンスが必要なのであろうが、時々自分のチマチマした考え方がぶっ壊される時がある。
「一つのミレジムってものさ」という氏の言葉も然り。有名な生産者のワインであればあるほど、秀でたミレジムを手に入れようと心のどこかで考えていた「チマチマ」を、豪快にうっちゃられたような気分である。
「毎年興味深いからこそグラン・クリュであり、優れたテロワールであるのでは?私にとってはどの年も非常に興味深いです」という、ヴォギュエの醸造責任者、フランソワ・ミレ氏の言葉を思い出した。シャルロパン氏とミレ氏、どう見ても二人のタイプは全く違うが、言っていることは同じである。生産者巡りを初めて1年と数ヶ月。つまりこの言葉が本当に心に響くまでに、1年と数ヶ月を費やした、ということか。そして私のヘタクソなフランス語に時に数時間も付き合ってくださった数々の生産者と、その風景に今更ながら強烈な感謝の念が湧き上がった。
やはりワインは芸術的な農作物であり、でも根本はあくまでもラテンな飲み物なのである。芸術的な面があるゆえ「ミレジム云々」も言いたくなるが(それはそれでやはり飲み手・生産者にとって楽しみの一つであろう)、余り縛られては楽しみの範囲までも狭めてしまうものなのかもしれない。