11/17〜19

〜涼しい土地で触れた暖かさ 「ミュスカデ」と「ムジヨン」〜

 

 


 

 

今回のORGANISATEUR

エア・フランスのソムリエールさんと私。

 

今回のチーム・デギュスタシオン

エア・フランスのソムリエールさんと運転を頼んだフランス人男性、そして私。

 

今回のスケジュール

11/17

パリ発

14:00 Domaine de l'Ecu訪問

16:00 Domaine de la Louverte et Ch. de la Cariziere訪問

ナント近郊泊

11/18

11:00 FRESNAYE訪問

14:00 Domaine Jo Pithon訪問

16:30 Clos Rougeard訪問

シノン近郊泊

11/19

9:00 Domaine Breton訪問

11:00 Domaine Yannick Amirault訪問

 

ドメーヌ・ド・レキュにて、「グネス」なる土に遭遇。土壌的にもミュスカデは新たな出会いの連続だった。

車と同行者に恵まれた今回は、思い切ってロワールの西端、ナントまで行くことに。

考えてみれば今から15年近く前、初めてキチンとテイスティングを試みたのはドナシャン・バユオーのミュスカデであった。それは私の勤務先が開催していた文化教室で、サントリーさんの講師の方が違いの分かりやすい赤と白を数種類持ってきていらっしゃったと記憶している。

最初に出されたミュスカデを見よう見まねで嗅いでみた時の、衝撃は忘れられない。そもそもワインを執拗に嗅いでみたことなど皆無だったので、嗅げば嗅ぐほど(当時は本当に、「嗅ぐ」という感じだった)様々な違う香りが出てくることにまずは驚き、次に例の「シュル・リー香」が私の個人的な記憶を呼び戻すものだったので(こう書くとヘンな想像を誘いそうだが、美しい?記憶である)、「ワインとは人の記憶を映すものである」などと、妙に納得したのである。その後はその安さもあり、ドナシャン・バユオーのミュスカデはかなり買い、その度に楽しい記憶に思いを馳せた。「堀は安いワインが好きなのね」と口の悪い人は私をチープなオンナとバカにしたが、「ワインは価格ではない」を最初にガツン、と教えてくれたのは1本のミュスカデなのだ。ワインを楽しめるかどうかは、よほどそのワインに問題が無い限り、最終的に体調も含めたその人次第なのだと、今でも私は信じている。

前置きが長くなったが、そんな私的な聖地(?)であるナント(ミュスカデ)に行くことが、干支を一回り以上巡った今、やっと叶ったのが今回の「生産者巡り」だったのだ。

 

涼しい土地で触れた暖かさ 「ミュスカデ」と「ムジヨン」

 今回の「生産者巡り」は、遅刻のオンパレードだった。理由は簡単で、

  土地勘の全く無い私が、ゴーインなスケジュールを組んだ

  運転を依頼した男性が、方向音痴であった(私も方向音痴だが、良い勝負である)

  毎回試飲に熱くなってしまい、時間管理を怠った

からである。時に1時間遅れまであり、流石に到着時は嫌な顔をされたりもしたが、それでも受け容れてくれるところに、100%の申し訳なさと200%の感謝である(本当にスミマセン&ありがとうございました)。しかも各生産者は、自身のドメーヌで時間が長引いたことを申し訳なく思ってくれ、次の訪問先まで案内を申し出てくれたり、次の生産者へ挨拶代わりのワインを持たせてくれたりで、「裏話」の冒頭に書いているように、「フランスがトレランス(寛容)の国」であったことを、改めて感じたのである。しかも彼らは所謂「著名生産者」であるが、そんな奢りは微塵も無く、「人を知れば知るほど、そのワインも好きになる」というワイン好きにとって嬉しい感情を、毎回呼び起こしてくれた。ロワールという涼しい土地で、加えて季節は冬の始まり。それでも試飲後の気持ちは毎回ポカポカに暖かい。

 

 この暖かさは宿泊先でも同様だった。特に1泊目のシャンブルドット(民宿)。3人で2部屋借り(各部屋は4人まで宿泊可能な広々とした部屋である)、朝食付きで65ユーロ。一人あたり20ユーロと少し、という価格の安さも魅力的だが、ここのマダムであるおばあちゃんが、これまた暖かい。

「せっかく来られたのだから、まずは1杯のミュスカデなどいかが?無理強いはしないけれど、ここの習慣だからねぇ」

と、まずはウエルカム・ミュスカデを勧めてくれた。正直に言えば集中力を使い果たした試飲後では、それほどワインを飲みたいとは思わなかったものの、好奇心からありがたく頂戴した。するとおばあちゃんは3人のためにハーフ・ボトルと、ビスケットを載せた盆を持ってきた。何だろう、このビスケットは?年齢がばれすぎる例えだが、見た目と大きさはソバボーロ、味わいはチチボーロ。素朴としか言いようの無い、郷愁を誘うビスケットである。おばあちゃんが口を開く。

ここではねぇ、ミュスカデにはこのビスケット。甘味と油分が殆ど無いから、ワインの邪魔をしないの。試飲会なんかでも必ずこのビスケットが出るのよ」。

なるほど。確かに幾つかの土地には、そのワインにお決まりのスナックがある。ブルゴーニュならグージエ(チーズ味のシュー)、またローヌの村名ワインであるサブレや、イタリアのアスティにもあったはずだ。そしてそう言われると、ごく普通のミュスカデが、このビスケットによってキリリと背筋を伸ばして感じられるから不思議である。

 おばあちゃんのホスピタリティは翌朝の朝食時にも途切れることが無かった。カップではなくお椀になみなみと注がれたカフェ・オレ、新鮮なオレンジ・ジュース、暖められたクロワッサンやバゲット、この地ならではの良質なバター、手作りの数種のジャム、ヨーグルト、etc、etc、、、。これらが全ておばあちゃんによってサービスされる。パリの宿泊事情を知っているだけに、65ユーロという価格で前日のミュスカデを含め、これらのもてなしを受けることが心苦しかったりすらする。お礼を述べると、「私こそ、日本の方々と会話が出来る嬉しい時間だったわ」。シャンブルドットを出る時、後ろを振り返ると、おばあちゃんは小雨の中、手を降って見送っていた。

 ちなみにこのビスケットは「ムジヨン(Mouzillon)」と言うらしい。もし日本でソバボーロやチチボーロを食べたら、きっとこのムジヨンとおばあちゃんを思い出しながら、ミュスカデが飲みたくなるのだろうな。そんなことを思いつつ、ミュスカデに対するささやかだけれど新しい記憶が増えたことと、一人のおばあちゃんによって生産者の暖かさに華が添えられたことを、とても嬉しく思ったのだ。 

おばあちゃん、ありがとう(このシャンブルドットを選んでくれた今回の運転役、ジョエルにも感謝)。