12/9〜11

近年の収穫開始日が早い理由

 


 

今回のORGANISATEUR

 

私個人で。

 

今回のチーム・デギュスタシオン

 

私一人。

 

今回のスケジュール

 

12/9

パリ発

14:00 Domaine Prieure ROCH訪問

ジュヴレイ・シャンベルタン泊

12/10

Domaine Claude DUGAT&Maurice DUGAT家訪問(終日)

ジュヴレイ・シャンベルタン泊

12/11

8:30 Domaine Bernard DUGAT−PY訪問

11:00 Domaine MARCHAND−GRILLIOT(ジュヴレイ・シャンベルタン組合長)訪問

帰パリ

 

 12月1日よりフランス南部マルセイユを中心に豪雨が降り続きローヌ河が氾濫、2日には24時間に300ミリの降水量を記録し、各地で洪水が発生した。昨年9月の大洪水よりは亡くなった方々などの被害は少ないものの、ここ10数年の南部における洪水の頻度は過去に比べ非常に高く、その原因としてテレビや新聞では環境問題と関連する地球温暖化等が論じられているが、それでも明確な結論は導き出せない。連日のように現場からの中継をテレビで見ながら(昨年はワイン産地の被害も多く報道されたが、今年はテレビで見る限り特に伝えられておらず、現時点では私自身状況をまだ把握できていない)、2003年、自分が滞在した国で起きた異常気象に、しばし気象知識の無い頭を悩ませる。今年の酷暑が間を置かずに来年繰り返される可能性もあるのである。

枝も凍り付く、この寒さ!

 しかし12月のブルゴーニュの寒さは、夏の酷暑を思い出せないほどに厳しかった!TGVの車窓がディジョンに近づくに連れて白い霜に覆われていくのを見て嫌な予感がしたが、ディジョンの駅に降りるとその寒さはパリのものと質が違う。駅でこれなのだから、吹きっさらしの畑はいかに???そして畑は覚悟以上に本当に寒かった、、、。

 到着翌日の早朝、この日の最低気温はマイナス5℃。寒い地方に暮らす人達にとっては驚くべきものではないのだろうが、室内育ちの都会っ子には堪えるのだ。加えて一面の霧。毛穴から染みこんでくるような寒さである。水たまりはバリバリに凍り付き、草木や土は完全に霜に覆われ足元でサクサクと音を立てる。マフラーを目出し帽的に巻き付け、タイツは2重、インナーやセーターを何枚も重ね、更にタイツとインナー&セーターは現金書留封筒を閉封するように(?)タイツの中にインナーを入れ、それをセーターで覆い、そのセーターを再度タイツで抑える、、、を繰り返す(色気も何もあったものでは無い)。それでも寒さは容赦なく忍び込んでくるのである。だが「一昨年にはマイナス20℃の日もあったよ〜」と語るブルっ子は(ということはここ2、3年で気温差60℃以上を経験している、ということか?!)「まだまだこれからさ」、そして「太陽を見ない日が2〜3週間続いてもおかしくはない」と平然。たくましいぞ、ブルっ子!!!

 まぁ数日間の寒さなら文句を言いながらも耐えられるのであるが、困るのはカメラ撮影である。フラッシュを焚くと時に霧の微粒子は乱反射し、同時に指先の震えは(別にアルコールが切れたからではない)そのまま手ぶれに。特に接写は辛い。そこでゴルゴ13如く、日本の文化であるホッカイロと手袋で指先の保温を心がけ(「ゴルゴ13」は最近知人宅でハマっており、極寒の中ゴルゴがホッカイロによる指先保温で標的を外さず勝利するストーリーを読んだばかりであったのだ)、細心の注意でシャッターを押す。だが問題はまだあるのだ。それは「結露」である。マイナス5℃から20℃近い室内に入るのだから、結露は当然起こり得る。よってカメラをビニールに入れ室温に馴染ませてから取り出す、という私らしくもない気遣いでこれを回避。炎天下の撮影もかなり苦労したが、零下の撮影にも泣かされる。

 まぁこんな苦労もこの地らしい風景が撮れれば報われるもので、それよりもこの寒さの中連日畑に出るヴィニョロン達に比べれば、大したことでは無いのだが。

  

近年の収穫開始日が早い理由

 

 「この地で収穫が8月に始まった年といえば過去に1822年と1893年があるが、『8月に終わってしまった』年というのは記録に残っている限り2003年が初めてではないかな」。

 そう語るのはジュヴレイ・シャンベルタン組合長、ジャック・マルシャン氏(ドメーヌ・マルシャン・グリオ)である。そして勿論その理由は様々なメディアで報告されているように異例の酷暑によるものである。

ジャック・マルシャン氏。信望の厚い、ジュヴレイ・シャンベルタン組合長である。

 ところで私の手元には「19世紀のブルゴーニュ・ワイン(Le Vin de Bourgogne au XIXe Siècle)という本があり、この本にはモレにあるマリオン家の1804〜1919年の収穫開始日と、ごく簡単な作柄状況が記されている。ざっと見たところ19世紀の収穫開始日は9月後半から10月中旬までに集中しており、近年のコート・ド・ニュイの収穫開始日が9月中旬〜下旬に多いことを考えると約2週間ほどのズレがある。私はこれを単純に「地球温暖化」と結びつけて解釈していたのであるが、マルシャン氏によるとそこには「収穫を遅らさぜるを得ない、もっと現実的な理由」があったのだ。

 2003年は氏だけでなく、多くの生産者が到着したブドウを冷却装置やドライアイスで一旦冷やす措置を取ったが、発酵槽の温度調節が自在になったのはドメーヌによるが、近年のことである。つまり19世紀に限らず過去においては、ブドウの成熟度がピークに達しても外気や醸造所内の気温が低温で安定しない中で冷却装置も無いまま一次発酵を行うと、発酵中にワインが酢になってしまうリスクが非常に高かったのだ(氏曰く「お陰でディジョン名物であるマスタードに必要な酢には事欠かなかった」)。

 そして「収穫を可能な限り遅らせる」と言うと決して悪いイメージは無いのであるが、この地においてそれは裏を返せば「夏期に十分な日照量を得られず、待たざるを得なかった」場合も往々にしてあり、むしろ「並年」であることの方が多いそうだ。確かに先述の本、「19世紀のブルゴーニュ・ワイン」の中でも例外はあるものの、全体的に9月に収穫が行われた年に「良昨年」の記載がある。そこで次に過去の「ロマネ・コンティにおける伝説的なミレジムの収穫開始日」を見ると(非常に大雑把な抜粋で失礼)、

     1929年:10月1日

     1959年:9月26日

     1978年:10月16日

     1985年:10月5日

であり、「収穫が遅い=並年」の法則は成り立たないものの、少なくともこの地において「収穫を遅らせれば良い」のではないことがよく分かる。

 「世界9カ国(27ワイン生産地域)における平均気温は、過去50年間で1,3℃上昇している」というアメリカの研究者達の報告もあるので(この報告によると今後20〜30年も上昇傾向は続くらしい)、「地球温暖化」と「醸造技術の進歩」というファクターは、今後も収穫開始日を早めることになるのかもしれない。

 

「畑の仕事」の最後の訪問を終えて

 

 2003年1月より当HPで始めた「畑の仕事」の取材が、12月10日に終了。数時間の生産者訪問なら誤魔化し(?)も効くであろうが、仕事の現場にズカズカと入られるのはハッキリ言ってかなり迷惑な行為でもあったと思う。しかし2002年の収穫・醸造に引き続き、この取材を快諾して下さったロック氏と、毎回案内してくれたサンパ(気の良い)チーム・ロックに深く感謝する次第である。

 そして「畑仕事をもう1件で見てみたい」と考えていた矢先、デュガ氏に依頼することになったのは、ごく些細なきっかけであった。最初の訪問となった1月(正確には2002年の5月に一度訪問)、「畑仕事をインターネットで日本に紹介したい」という、私の怪しげなフランス語を駆使した訴え(?)に、事前に送っていた私の手紙と照らし合わせながら熱心に耳を傾けてくれたデュガ氏の姿は今も鮮明に記憶に残っている。

 最後の訪問後、感謝の言葉を述べると

「畑に入ればすぐに服もドロドロになるのに、それも気にせず毎回来るアナタには何でも見せてあげなきゃ、と思っただけだよ」とデュガ氏は言ってくださったが、その言葉通りこのHPでは書ききれなかったほど、畑仕事だけではなく、ジュヴレイ・シャンベルタンの風景やこの地に伝わる味、習慣などを毎回、「アキヨ、これ知っているかい?見たことある?食べたことある?」と紹介してくださった氏とデュガ家に対する感謝の気持ちは、どんな言葉を用いても完璧に言い表せるものではない。

 またこの取材において、新世代の才能発掘に臨むジュヴレイ・シャンベルタン在住の上田ご夫妻には毎回宿と美味しい食事を提供して頂いた。そしてご夫妻のお知り合いであるドミニク・ギュヨンさん、スナコさん(2003年の裏話の多くや私の副業は、彼らの協力無しにはあり得なかったのである)。皆様にもこの場を借りて深く御礼を申し上げます。本当にありがとうございました!!!