5/9〜

〜パリにて、麗しき試飲会巡り〜

 

 

パソコン、絶体絶命!

 

 日本は30℃だ、なんて話を聞くのに、一時帰国後戻ったパリは寒かった。これは私だけが感じていることではなさそうで、パリジャン、試飲会で会った各地の生産者達も「5月でこの寒さは、ヘンだよ」とこぼす。酷暑の翌年はこの寒さ、フランスの気候を自然に受け止める為には、きっと20年くらい住み続けなきゃ、分からないのではないだろうか。

 そんなフランスもやっと先週末(5/15〜)あたりから暖かくなり始め、いよいよ産地巡り再開か、と気ははやるが、ちょっとした諸事情もあり当分はパリを離れられない。ならば書き遅れているHPを書くべきなのだが、ここで大問題が勃発したのである。

 

 そう、私にとっての「三大神器」、携帯、デジカメ、そしてパソコンの中でも、キング・オブ・キングである「パソコン」が、いよいよ崩壊しつつあるのだ。特にWORDを使おうとすると問題が乱発するので、始末に負えない(この文章も「ワードパット」で書いていたりする)。よって重要な文章に着手するのは恐ろしく、パリにいながら「書き物」は何も進まない。

 私は全くのパソコン・シロートだ。なのでKernel32にエラーが発生」「モジュール違反」、最後にはブルー・バックなる画面に「Ctrl+Alt+Delで強制終了するか、EnterでWindowsに戻るか」というメッセージがパソコンに頻繁に出るようになっても、「どーにかなるでしょ」というスタンスであった。だがフリーズの余りの多さに根を上げ、このHPのWebmasterであるダンナに泣きつくと、電話の向こうでダンナがフリーズした。

ー それはパソコンにとって、末期症状だ、、、。

 あらゆる手を尽くしてもウイルス等が発見されなかったことで、いよいよパソコン自体の寿命を知り、どうにか国際電話でダンナの指示を仰ぎ応急処置を施す。が、今や応急処置後の「ワードパット」でも「モジュール違反」が現れる。この文章も最後まで書き切れるのか、というくらいにヤバイ。そしてダンナの厳かな宣言にライフラインが絶たれつつあることを悟った私は半パニックに陥り、「モジュールが、ボンジュール」等という、オヤジでも笑わない自暴自棄なギャグしか出てこない。おまけにパリの自宅にはファックスすら無いのである。日本との時差がある中で、どうやって日本とタイムリーなコンタクトを取ればよいのか?

 

 そんな時に、救世主が現れた。それは近々渡仏する、という大阪時代のワイン友達で(彼女達はワイン・プロである)、その中の一人がダンナの託した「元気な」パソコンを手荷物として持ってきてくれることを快諾してくれたのである。何と感謝して良いのやら。筆マメさも含めて私の友達付き合いは決して愛想の良い方ではなく、そんな私に渡仏を知らせてくれたことにも御礼が言いたい。ありがとうございます!!!

 ちなみに崩壊しつつあるノート・パソコンは某社のものであるが、頑強さではダントツの定評があり、「海外赴任者が最も信頼し」「フランス軍隊のご用達」でもあるらしい。フランス在住のメカ系知人は「2回くらい思いっきり落としたけれど、元気だよ」と語る。思えば多々の過酷な移動と、パソコン・シロートゆえのメチャクチャな扱いと酷使に、よくも2年も耐えたと思う。最初に持って来た他社のパソコンは3ヶ月足らずで私の扱いに耐えかね(?)、すぐさま今よりも酷い状態に陥った。ということで今回、私の手元にやって来るのも先述のダントツ頑強・某社のものであり、パソコン・シロートの私が言っても説得性に欠けるが、海外に持っていくのならこの会社のものをお薦めする。

 そしていかに自分がパソコンとインターネットに依存していたかを、思い知らされる。私がもし10年以上前に今のような立場なら、エア・メールでも書き連ねていたのだろうか?考えても仕方がないことを推測しても余り意味は無いので、まずは一渡仏者としても今の環境に感謝しつつ、元気なパソコンの到着を待つ日々である。そしてどうにかこのHPも続行できそう(?)で一安心だ。

 

 

麗しい試飲会が、目白押し

 

 パリ脱出が叶わない日々であるが、麗しい試飲会がここ数週間、妙に多い

 

 皮切りは再渡仏翌日、5/10に開催された「BYODIVIN。「BIODIVIN」については当HPの「ブルゴーニュにおける、ビオの動向」でも触れているが、シャプティエやウンブレヒトが牽引力となっているビオ実践者達のグループである。ルロワこそ現れなかったものの、特にアルザスからは多くの生産者が参加していた。日本では泡盛漬けになっていた舌にとっては、鮮烈かつピュアなワイン洗礼である。
 

 続いては5/15、ワイン・ショップ「Caves Auge(カーヴ・オジェ)」のものである。「ニュメロ 3(第3弾)」と書かれた招待状には、このショップらしくまさにビオビオしたローヌの生産者が名を連ねている。ちなみにその生産者とは、

    チェリー・アルマン

    J.L.シャーヴ

    マゼル

    ダール・エ・リボ

    グラムノン

    マ・ド・ラングロール

    ヴィエイユ・ジュリエンヌ

    ロマノー・デトゥゼ

 

この軒下に、生産者が勢揃い!天気も五月晴れで、誰だって良い気分になってしまう。

さすが、店主マーク・シバ氏。よくも一ショップがこの面々を集められるものである。しかしオジェの店内は人がすれ違うのもやっと、な手狭さなのだ。一体どうやって、試飲させるのか?

 ショップに到着して納得した。オスマン通りに面したショップの軒先には樽が並べられ、樽の上には垂涎のボトルと、シャルドネ・グラス大の磨かれたグラスがズラリ。そして勿論、生産者本人達がワインをサービスしてくれる。しかも大皿にはシャクトリー(生ハムやソーセージ)が盛られ、口直しに囓ったバケットも恐ろしく美味い。

 ああ、太っ腹、である。なぜなら集まった人達の殆どは招待状によってこの試飲会を知ったと思われる。だが通りに面した「屋外試飲会」であるゆえ、偶然通りかかった人が、これらの生産者がいかに凄い人達か等は気にもかけずに、興味本位でシャクトリーとパンをつまみに一杯「引っかけて」いってもおかしくはないからだ。

 思えば私が初めて赤ワインを美味い、と思ったのは百貨店のワイン・フェアでの試飲で、それは試飲用のプラスチック・カップに注がれた「シャトーヌフ・デュ・パープ ポール・ジャブレ」だった。全てのワイン・ファンにとって、ワインへの関心を呼び覚ました一杯があるはずで、この日も何も知らずに「たまたま」口にしたワインに、強烈なインパクトを感じた人もいるかもしれない。こういう垣根の無い出会いが用意されている場面に出会う時、つくづくパリの懐の深さに感謝してしまう。

 ちなみに「第3弾」と書かれていることから、4、5と続いていくものと思われるが、ショップの人達が忙殺されているのを見て、質問する余地はあらず。静かな時にでも、今後のプランを聞いてみたい。

 

 

 そんな路上の幸せを堪能した足で、当HPお馴染み、バスティーユのワイン・ショップ「カプリス・ダンスタン」へ。すると店主の一人であるラファエルが「飛んでもない試飲会」が5/17にあると言う。

 確かにこれは、「飛んでもない」試飲会である。そう、DRCの2001年の全て、ロマネ・コンティからモンラッシェに至るワインを試飲させるというのだ。主催者はもちろんヴィレーヌ氏で、DRCらしくオテル・ド・クリヨンにて完全招待客のみ、完全着席、時間厳守である。

 私は殆どの試飲会を「押しかけ」で参加しているが(?)、お陰でこの世にどうしても参加が叶わない試飲会があることもよく分かっている。そしてこれはまさに「叶わない」典型で、招待客の一人であるラファエルが当日ギリギリまでヴィレーヌ氏サイドに掛け合ってくれたものの、やはり答えはノンであった。まぁ自分が非力なので仕方がないが、パリの一画でこういう試飲会も存在している、ということだ。そして「カプリス・ダンスタン」がヴィレーヌ氏の信頼を得るのに十分な実績のあるショップであることも強調しておきたい。

 

 しかし、まだ続くのである。

 DRCにたっぷりの未練を抱えた翌日、メールを開けると、クーレ・ド・セランから試飲会の案内が届いていた。それは6月にあり、70もの生産者からなるニコラ派ビオ・チームによるものらしい。しかもプレスは10名強に限定、とある。DRCがノンの一点張りである時に、声を掛けてくれたニコラ様が神様に見えたが、それも束の間であった。よく見ると場所は「ニューヨーク」。遠すぎ。ニコラ様、もう少し近場の試飲会にお誘いください、である。

 

 そして最後は5/24に行われる(現時点では、これのみ未来形)、「クラブ・ド・パッション」主催の「フィリップ・パカレのワイン・セミナー」である。パカレ氏は3月に日本でもセミナー巡業を果たしたところであるが(日本でも「クラブ・ド・パッション」主催である)、私はパカレ氏と入れ違いに渡仏した為、参加が叶わなかった。

 私がパカレ氏を尊敬する理由の一つが、彼がまずは非常に論理的であり、その論理を下敷きに天賦のセンスを光らせる、ということだ。画家に例えれば、緻密なデッサンや写実画が描けた上で、人の心を揺り動かす抽象画をも描ける人であると思う。彼がセミナーで何を語るのかが、今から楽しみだ。

 

 ざっと書き流したところで、お気づきの人もいると思うが、上記は全てビオ系試飲会である(DRCもビオロジーを実践しているが、ビオディナミに移行しているかどうかは確認が取れない)。ビオであるから素晴らしい、とは思わないことは何度も書いてきたが、傾向としてやはりビオ、もしくは有機的アプローチを実践しようと思う人はコマーシャル目的の場合を除き、やはり「表現者でありたい」という情熱が強く感じられ、実際、彼らの活動も元気であると思う。

 ビオ・ワインはずっこける時も多々あると個人的には思っているが、今回のように粒ぞろいのビオと出会った時には、やはりワインの一つの可能性が、間違いなくこの方向に存在していると確信する。試飲会や産地巡りを通して何処まで何が見えるのか?On verra(今に、分かるさ)だ。